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”固定観念を守る”時代が終わった。新しい価値を創り、感じ続ける為に出来る事を考える。(ズームバック特別編。オードリータン×落合陽一氏の対談を見て考える事)

 台湾の国民は「投票=ワクワクする事=祝祭」と捉えているとオードリー氏が話されているのが印象的だった。クァドラティックボーティング(二乗投票)や民主主義が生きたテクノロジーであるという話に改めて驚かされつつ、何よりもその国民性に憧れを覚える。
 

 「変わり続ける事」の大切さは、ダーウィンの進化論からコロナ禍の政治経済に至るまで、変わる事のない原則だと思う。テクノロジーが民主化され、限界費用がゼロに限りなく近い世界で、日々変化しない価値観で生きる事の不自由さを感じる事は無いだろうか?
 1回線で178000GB(人間の知覚の一万倍)をやり取り出来る無限のデジタルワールドを築き、「奪わない社会」を生きられる可能性が出てきたらしい。先日、ファミコンの解像度でデジタルワールドを築きたい、という話を記事に書いたばかりだったタイムリーさに驚きつつ、私のフェティシズムはさて置いても夢物語でない事は十分に実感できる。

 ココ・シャネルが女性をあらゆる呪縛から解放する為に作った服達が、一世紀近い時を経て、消費主義のモチーフとなり、また持続可能性のモチーフへ変化しつつある。「誰が、何の為に、どのように、創っている」コンテンツかという事に価値が置かれるようになり、そこにお金という価値が必ずしも比例しないようになってきている事が本当に喜ばしいと思わないだろうか?「毎年1億稼いで9600万寄付して生きていく」事を目標にしていたけれど、「寄付せずとも誰一人取り残さない消費が出来る」のであれば、そんな最高な世界は無いと思う。 
 SDGsといった号令が人々の中に目覚めさせる価値観が必ずしも絶対的なものとは思わない。それもまた時代と人々とともに変化していく価値だ。唯、2030年までを生きる人類にとっては優先順位の高い価値であることはコンセンサスを取るまでの事でもないのではないだろうか。 

 Update "Diversity & Inclusion"を自分のステートメントにしてから5年が経った。これ自体は「変わり続ける事をやめない」不変の原則であると思いつつ、真に多様性が生きる社会において重要なキーワードが「ほどほど」である事にオードリー氏も落合さんも得心がいっている様子だった。
 「ほどほど」のコンセンサス。「ほどほど」の距離感。「ほどほど」の対話。あらゆる事において、各々が日々変化し続ける限り、100%のコンセンサスなどもはや奇跡になる。単一民族国家としての歴史が長すぎる日本という国において、この壁は高く大きいだろう。唯、必ず壊さなければいけない壁でもある。

 日々、「自分が今日はどんな価値観で生きるのか?」を自覚し、そして「昨日と自分の価値観の違いはどこにあるのか?」を明文化して生きていく事。何を知らず、何を知ろうとしていて、どうしてここにいるのか、そんなレゾンデートルを日々更新しながら「精神的に変化に適応する」事で今の時代を生きていきたい。

 GDPで評価されない持続可能な社会で、健やかで豊かな人生を送る人々が一人でも増える為に、今、私に出来る事を日々自問し続けていきたい。


 そんな確信を新たに出来る番組と、お二方と、NHKに心から感謝。

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