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一方的な主張ではなく対話を通してぐるぐると解決に向かえれば良いなと考える。(アート鑑賞[15]スザンヌレイシー)

 当事者でない人が、議論をするハードルは本当に高いと思います。
スザンヌ・レイシーさんのパフォーマンス作品「玄関と通りの間」では、ニューヨークの一角で300人以上の参加者が黄色いスカーフを見に纏い女性に関する問題について議論しており、約2500人の人々が傍聴したそうです。

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 美術館でも黄色をモチーフとしたメッセージが展示されていましたが、このご時世で無ければ、ここでも同じように美術館に訪れた人達で議論が出来たら良いなと強く思いました。

 社会に対して議題を提供する為に、様々な活動が行われています。唯、先述した通り「顔を見合わせる事 (先入観、匿名性無しに対話すること)」と「場づくり(知らない人や知っている人とも議論しやすい空気、機会)」が重要になると考えています。その点、この作品は素晴らしいなと感じました。


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 展示されている一つ一つの作品から、自らに問いかけます。そして、当事者になれない時、その問いに答える資格が無いような悲しさも覚えます。ふと、近くにいる人と話したくなります。綺麗な答えは既に世の中にあるけれど、一人一人がどんな事を考えているのかが気になります。

 マイノリティとしての経験はありますか?
 そして、その経験を誰かに話した事はあるでしょうか?
 そして、一方的な主張ではなく対話として成立した事はあるでしょうか?

 歴史を振り返ると、世界のあらゆる問題は螺旋状に進みながら解決に向かっているように思います。唯、それが個人の問題となった時、そう上手くいかない事ばかりのようにも思います。 

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 対話する相手と、一人でも多く、出会えると良いなと思います。

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