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多様性という言葉をよく聞くようになった分、矛盾する言動の多さに辟易する

 LGBTQといったジェンダー平等から技能実習生の外国人労働問題への提言、はたまた好きな事で生きていくといった言葉に象徴される、生き方は多様で良いとされる価値観。

 そうした事が社会に認識され、論争の議題に上がるようになってきた事は実に好ましい事だ。私たちが就活をしていた5年前に、グループ面接で「あなたの大切にしている価値観は?」と聞かれて「多様性を尊重し、威厳を保ちながら適度な距離感で受容する事です」と言った時の周りの反応はあまりピンと来ていない事が多かったし、就活生の中に「多様性です」と答える人には会う事もなければ、企業がその言葉を使っている事も極めて少なかった。

 ところが丁度去年くらいに転職活動をしている時に、同じく「あなたの大切にしている価値観は?」という質問に対し「多様性」という言葉を使う人の多さに驚いた。その時は時代の変化にとても嬉しく思い、それらの人たちと話をしてみると、どうも私が思う「多様性」とは少しずれている事に気付かされた。

 例えば、駅で奇声を上げている大人を見た時に咄嗟に嫌悪感を示す人は「多様性」という言葉を真から理解しているようには思えないし、LGBTQや障がい者と共に生活したり、会話もした事無い人から気安く「多様性」という言葉が出てくる事への違和感。

「理解はするが、同意はしない。けれど否定もせず尊重する。目的により同意する事もあれば、目的が異なっても威厳をもって尊重しあう。」そんなスタンスが多様性を捉える上で必要になってくると思う。ポイントは尊重と威厳にある。

 尊重と威厳が無い多様性は「24時間テレビ」さながらの薄気味悪い同情と好奇心の感情の煮凝りみたいで嫌いだ。それを多様性として理解はするけれど、同意する事もなければ目的を共にすることも無いと思いたい。
 相手を尊重するには一面だけを見て残りの五面を無視して判断する事でもなければ、誰もが六面体だと決めつける事であってもいけない。一面だけの人もいれば十六面体の人だっているし、いていい。
 威厳を大切にするには、常に自分の価値観と今日の行動に責任を持っていなければならないし、自分も含めて存在を大切に出来る人間でいなければならない。

 そんな訳で、世間が使う「多様性」以外の言葉で考えを述べなければならない場面が多くなってきた。それで数年前から「Update "Diversity & Inclusion"」と言ってきているけれど、未だに上手い日本語が見つからずにいる。
 自動運転の言葉が社会に浸透したけれど、その中のレベル1~レベル5までを説明できる人が少なかったり、5Gとやたら聞くけどそのGとは何の事かとか、黒人女性が副大統領になったけどあんた黒人の歴史をどこまで知った上で「凄いね」って言ってんの、とか。
 恐らくそうした言葉だけが社会に流布されていくスピードに社会の理解が追い付かない事は往々にしてある。言葉が日本中を旅するスピードは飛行機よりも早く、理解されるのは徒歩よりも遅い時代にある。
私自身もその理解が追い付いてない事の方が多い筈だ。

 こうなると根気強く、ソクラテスみたいに一人一人に説いて回るしかないのかと思いつつこのnoteを書いている。
 どうでもいいけど、鬼滅の刃の映画動員数が1000万人を超えたのにまだアニメ編も見終えていない私が、日本社会を語る資格は無いのかもしれない。

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