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傲慢と善良と余白

#傲慢と善良  が偏愛に刺さった。

 "結婚"という得意ではない(色々とすっ飛ばすと固定されすぎた価値観に違和感が強い)テーマが続いたけれど、傲慢さと緩慢さ、そして善良を日々感じているなかで、それらに意識的になった瞬間の感情をデータに残すのは、石や木に自分の存在を刻み込んでおきたいという感覚に近い。

 読みたい本だけ持って、1人でキャンプしながら、明るい時間の殆どは川の写真を撮りながら、気づいたら本を読んでいるうちに朝が来ていた。

読書には十分な明るさ

小説を読んで何かを感じられることが増えるのも趣深い。知らない価値観は古典から学ぶことが多いけれど、最近は小説からも学べるようになってきた。写真を撮ることで写真について記述された文脈を読み取れるようになると同時に、知らない地図作りの話にも興味を持てるほどのインプットが行われる。愛読書のドストエフスキーや太宰治は共感性が高すぎて、自分とは異なる価値観を学ぶのには適していないので、偶には現代の小説も読もう。

 虫も活字が好きらしくて、本の周りを虫たちが飛び回って読むのに時間がかかった。彼らなりの計算機処理は独特なのだろう。焚火の傍らで本を読む習慣や、川のせせらぎを聞きながら眠りにつく習慣は、きっと自分の中に根付いていくはずだ。

テントか川原で読むのが1番集中できることに気づく



会いたい人に会えるうちに会いに行くのと同様に、生きている間にできることをやっておきたい。それが傲慢さの表れであっても、自覚的になろうとすること、自分の中でだけ善良であろうとすることとのバランスを取りながら。

 傲慢さと善良さのバランスを取ることは簡単ではない。時には、自分の傲慢さが他者を傷つけてしまうこともあるだろう。だが、自分の非を認め、反省し、より善良な人間になろうと努めながらまた失敗を冒す。完璧を目指すのではなく、自分なりの生き様を残していく。そこにはあらゆる価値観を理解する(≠受容)練習が必要だと思う。

夜の自然への畏怖と火の安心感は自分に必要


 本から学び、自然と触れ合い、写真を撮り、AIと仕事をする。大切な人々との時間を偶に持つ。大切に。そんな日々の積み重ねが、自分自身を形作りつつある。根本的に小学生の頃から何も変わっていない自分も認めつつ、傲慢さと善良さの狭間で揺れ動きながらも、余白のある人生を歩むことができれば、それでいいのだと思う。偏愛に刺さる言葉や体験を胸に、これからも余白を作り続け、石に刻み続けるような日々を送る。

良いソロキャンプを初体験しつつ


本物のマタギとも出会った。人間にはない計算機を搭載している。

 写真において人を撮りたいと思うことは滅多にないけれど、心から結婚をしたいと思いあった人たちの写真を撮ってみたいと思えた。この世界の広がりも小説のお陰。

 次はわんことキャンプしたい。

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