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自分ゲーム史

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同人誌

ゲーム関連のなにか作りたいと思って、数年に1度ぐらいのペースで、Tシャツ作ったり、攻略本つくったり、ゲームに関連したゲーム以外のレコードなんか紹介する本作ったりして、最新はゲーム会社のロゴの歴史をまとめた本をつくりました。印刷にぎりぎりだったので詳細を全く書けないないまま発行してしばらく経っちゃいました。ということなので、今更ながら改めて

●サークル名:GAMER'S GETTO 「ロゴでみるゲ

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1990年代前半 近所のゲーセン続き

中学生になり行動範囲が広がったものの、行動範囲には商業施設が少ないのでゲームセンターはなかった。別記したスーパーのゲームコーナーは中学生の時からほぼ毎日行っていたが、小学生の時からよく行っていた場所なので広がった訳ではない。そういえば、小学生の友達の家の横に大型筐体ばかり置いてあったゲーセンがあったが、当時はそれほど興味がなかったので入った事はなかった。

高校生になるとさらに行動範囲が広がり市内

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1990年頃 近所のゲームコーナー

中学の頃、通学路の途中にあったスーパーのゲームコーナーがかなり充実していたので、部活が無い時は必ずと言っていいほど通っていた。
白いテーブル筐体が2台、あとはオレンジの小さい画面の筐体。
エレメカは別なコーナーに結構あったが中学生の時は見向きもしなかったので、そっちにはほとんど行かなかった。が、なぜかそっちの方にドルアーガの塔やガンスモークがあった。

昔、ボーリング場だった時の名残なのか、大型筐

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ファミコン雑誌

ファミコンのゲーム雑誌といえば、ファミコン通信(ファミ通)、ファミリーコンピューターマガジン(ファミマガ)、ファミコン必勝本(ヒッポン)、○勝ファミコン(マルカツ)の4大誌。そして少年マンガ誌などいろんな雑誌がファミコンを特集として取り扱っていた。

自分の周りではダントツでファミマガの購読者が多かった。なんといっても裏技の数が圧倒的に多かったからだと思う。自分がもっているゲームの裏技が書いてある

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1984年頃 初パチものゲーム

近所の駄菓子屋は親の代からある古いところだが、ある日店頭にテーブル筐体が置いてあった。ゲームはバトルス。「あれ?このゲーム知ってるのとちょっと違う」と思いつつ塾までのバス代をケチり何回かやったが、その後すぐに筐体が無くなってしまった。レンタルだったのかもしれない。地元でパチものをゲームを見たのはこれが最初で最後かもしれない。

1985年 クリスマス

おもちゃ屋のチラシと毎日にらめっこして、なにを貰うか悩んでいた。ひまさえあれば○をつけたりしていた。そして、最終候補に挙がったのが「マクロス」と「ボンバーマン」。マクロスはテレビCMが実に魅力的でこれはおもしろいはずだ!と、この時まで思っていた。ボンバーマンはちょっとだけプレイしておもしろいと感じていた。

そして、考えた末にクリスマスに貰ったものはマクロス。CMではすごく面白そうに見えていたがア

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1985年 ゲームの内容

スーパーマリオブラザーズが出たこの年、だいたいファミコン本体が行き渡った感じがした。発売されたゲームの数も前年から一気に増え、総ファミコン時代と言ってもいいんじゃないかと思う。記憶に強く残る作品が多かった。

協力プレイ…「協力プレイ」という名の「殺し合い」。マリオブラザーズ、バルーンファイト、アイスクライマー、レッキングクルー、並べると見事に任天堂だけ。はじめから対戦を目的としているものなら、負

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1985年 ファミコンを買ってもらう

ついに買ってもらう。

どんなゲームがあるのか全然わかっていなかったので、ゲーム屋に行ってから選ぼうと思ったらおもちゃ問屋で買うことになり、期待とはうらはらに抱き合わせセットで選択肢は無かった。問屋だから安いだろうと買いに行ったみたいだけど、結局安かったのかわからない。クルクルランド、エキサイトバイク、スターフォース。あ、スペースインベーダーはセットじゃなかったかな。この4本が一番はじめに買っても

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1984年 ファミコン以外の家庭用ゲーム

ゲームと言えば世間はほぼファミコン一色。すぐにそんな時代になった。

それ以外のものを持っていたのは、スーパーカセットビジョン二人。セガマーク3一人。MSXが一人。

ファミコン以外という物珍しさで遊びにいくもスーパーカセットビジョンのコントローラーの違いに全く馴れず困惑。バルダーダッシュを見てたけど、友達がうますぎて何をやってるのかわからなかったのも困惑の原因かもしれない。ルパンというキャラクタ

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1984年 ファミコンと遭遇

いつ頃、誰の家でかは記憶がぼんやりしているがついに遭遇する。

持っている人は極一部なのでみんな集中して遊び行くようになる。はじめにやったゲームも忘れたが、操作をしていると体が動いてしまう現象はすごい覚えている。この頃はゲームを長くやっていると怒られるのであまりできなかった。しかも友達の家なのでダメな日もあり、遭遇するもそんなに遊ぶ機会はなかった。

はじめてパソコンを触ったのもこの頃。そろばん塾

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1983年 ファミコン前世紀2​

テレビと接続するタイプいわゆるファミコンのような家庭用据え置き機
初期は本体にゲームが数本内蔵されていているだけで、操作は本体にパドルやスイッチがついていてそれを動かしゲームをしていた。その後操作部分は本体から独立し、レバーで操作するものが主であった。十字キーは任天堂のゲームウォッチから登場し、類似したものが増える。

当時、家庭用ゲーム機を持っていた同級生はいなかったと思う。ほとんどが外で遊んで

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1983年 ファミコン前世紀1

ファミリーコンピュータ。通称ファミコンは1983年(昭和58年)7月15日発売

当時、小学二年生が発売日を知る訳もない。もちろん存在もしらない。

この頃はまだゲームウォッチ(ゲーム&ウォッチ)が全盛、持っていたゲーム機は2台、10台以上持っている奴がうらやましかった。学校に持っていく事はもちろんダメだったが、なにかの行事の時に持ってきていい事になりいろんなゲームをやった記憶がある。ただ単純な内

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