固定観念を取り払おうというLGBTの運動の入口に生物学的性差との着地点を示す看板がなければ、何の覚悟も犠牲もないまま観念的な「平和」だ、「自由」だ、「平等」だと唱えている輩と同じ穴の狢なわけだが、それ故、上っ面なイメージにノる、難しいことを考えることが苦手な「ライト層」を取り込むことに成功したともいえる。
近年のSEALDs, BLACK LIVES MATTER, 氷水を頭からかぶるやつ(筋萎縮性側索硬化症の研究支援が背景だそうです)等々の一時の熱狂と痛ましい忘却を想起するたび、純粋な僕はこの運動の将来を憂いてしまうわけだが、マーケティング的に考えれば、味噌も糞も、要は金を生み出す、或いは票になればオッケーなわけで、社会と対立する構図を推し量りがちなこの類の活動も、実のところ既成の大企業や、任期中の安定しか考えていない権力者がそんな世界観で背後から支えているような気もしている。

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