【PTSD患者】自己中すぎんだよ【エッセイ】

本日、朝から母に罵られた言葉でした。起きてすぐでしたご、ぐわん、衝撃がきて、布団に倒れていたら夕方になっていました。

朝、私が母に言ったことは、

テレビに夢中になっている母に、

「スマホが見当たらない。どこにあるか知らない?」

「知らない」

「テーブルのうえにあったはずで……ココにあったと思うんだけど、SIMが入ってないスマホだから電話は鳴らせないやつなんだけど、どこかに動かしたりした?」

「うるせぇなこの自己中女が。知らねぇって言ってんだよ!!」

こんな、話しかけで、そして『自己中』と言われて非常にびっくりしたのでした。
母がスマホがない、メガネがない、そう言い続けているとき、私は1度もそんな返事をしたことはないです。思ったこともありませんでした。

いっしょにスマホがありそうな場所を考えたりメガネを探したりしてました。

しかし。

母が悪いんでしょうか。
私が、悪いんでしょうか。

母がテレビのワイドショーを見るよりも、行方不明になった私のスマホを優先して話しかけつづけたのが、悪いんでしょうか。

自己中。

突き刺さりました。頭の奥に。PTSD患者にそれを言い放つのは、酷すぎるのでは、ないでしょうか……。

それを指摘すると母はいよいよ本格的に罵倒をはじめて「そこが自己中すぎるんだよ」と指摘し返してきました。

PTSD患者の私は日頃から自己中すぎると母は感じていたらしいです。母は前からそう言いたかったようでした。あれがPTSDにさわる、これはPTSDには辛いから言わないで、確かに母を注意することは毎日のようにあります。

毎日のように……

うちの母は、そもそも、鬱病すらも認めていません。精神科のくすりを飲んでるからオマエは頭がおかしい、薬を飲むのを止めたら治る、飲むな、やめろ。そもそも母は……

そういうひとなのでした。

活動をしたくて、在宅介護にまで悪化してしまい、母に何度も誘われて、私は2023年の12月に実家での療養をすることに決めました。

明るく。生きたい。いつ呼吸が止まるか分からないまで悪化していますから、好きな、文章活動がしたくて。



きょうは

あまりにつらい、日、で、し、た。


自己中だからPTSDになるひとなんて。いないのでは、ないので、しょうか……。

そんな罵倒にPTSDを持ち出して「そう言うのは止めて」と半泣きで訴える私に母は、ブチ切れてしまいました。

そうでした。毒親と言われる育ちでした、わたしは。


……実家にもって約半年、なにも活動ができません。創作ができていません。

私は、わたしが重病だから。
わたしが、怖がっているから。

そんな、ふうにら考えていました。


でも、12月からずっと間違えていたのかも……

実家に戻って来て、全く、PTSDどころか鬱病も精神科も精神科医も認めていない、母親に、誘われるがままに来てしまったこと。


それが、悪かった。

今さらながら、キツイ頭痛に耐えながら、私は気がついてしまったのかもしれないです。


実家にいるから書けないのでは??

……でも、PTSDに10年以上苦しんで来た現場である、一人暮らし先のマンションにはもう居られませんでした。

パソコンの前に座るだけでフラッシュバックが激しく起こり、なにもできなくなり、泣き出し、苦しみだし、クローゼットを見つめるようになっていました。


きょう、は、つらい、これから先も

もっとつらい

時間がはじまる



それに気づいてしまった、1日でした。

PTSD患者のいちばん、つらいことは、この世にはもう居場所が無いこと、では、ないでしょうか。

生きて、好きなことができる

そんな夢みたいな場所はもう失っている、それがPTSD患者の現実ではないでしょうか。


……しばらく、……1000年くらい、仮死状態にでもなりたい、と、願う私がいました。

母のこと、大嫌いかもしれません。
私がPTSDを直せないダメな人間だからでしょうか。ロボットみたいに。壊れた、あと、だからでしょうか。


壊れたロボットは捨てるしかないです。

なにも

気遣う、意味も、理由も、情けも、なにも。見出せない粗大ゴミ。私ってそんなふうに見られているのか。

久々にこの世界を終わらせたい、心から、そう思いました。

創作や活動を、まえみたいに、して、やって、私を取り巻くシの世界を、治したい、と願うのは。

無謀、なのでしょう、ね。


ごめんなさい。救いが無くて。救いが無くてごめんなさい。

でも、ただ、これが

PTSD患者の末期のすがた、で、す。
生きてる意味なんて、ない、ですね。ほんとうは。


なんでこんなことに、なったんでしょう。

……私のPTSDは、ずっと仲良く、いちばん好きだった友人に、長期に渡ってパワーハラスメントを、短期間のうちに、しかし長期にわたって、『わざと』やられた、ことで、発症ひたものです。

その友人はできないことが、多かったので、私は、でも進んで泥を被って悪いのは私、作品が今回できあがらなかったのは、原稿を落とした(かけなかった)彼女ではなくて、私のスケジュール管理ミスです、などと。

公に、
Twitterなどで言い続けて

その相手を、ファンのひとが喜ぶ様に、聖人みたいに感じられるよう、演出をしていました。


母は、こうした、事情を

話したことはありますが

理解は、できないですね。


自己中と罵られることは、私には、またナイフで脳みそと心臓をほじくられる、痛み、が、ありました。

先ほど、と言いましても
夕方のことですが

こうした内容を母に伝えて、自己中と言うのはやめて、私を自己中と言わないで、と、いいました。

「ほら自己中じゃねーか」

それが母の答えでした。





すみません。


救いが、
無くて……。


明るい、作品を、世のため、ひとのためになる、ものを。今は、創りたいです。

ですが

救いの無さを痛感するたび、

死ねばよかった、そう、思います。どこにでもある話なのだろうとは、思います。


母はそう言いますね。

なんでも

「よくあることだ」
「皆そうなのになんでオマエはPTSD? なんかになってるんだ」
「年齢を考えろ大人だろ!」

そんなふうに、言います。


………居場所がない、理解されない、それがPTSDで、しょうね、すみません。救いが無くて。

救いがなにもなくて……





こんな救いの無さは、


作品なら、

没です。


没です。 

死にたくなるだけだから。


END.




わたしは、でも、ここにしがみつく……こと、で、しか、小説をまた書けない……

状況と思えます。

先生には、さいごまで、入院を説得されていました。
でも、小説は書いちゃダメと言うのです。

治療の妨げになるから……




救いなんて易しいものは

ほんとうは、この世に無いんだろうな、

と、

感じます。PTSD患者より。


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