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しがらみ系○△□会の存続に未来はあるか?

 もうだいぶ前に退職された先生の別荘にご招待された。凄いなぁ、別荘だよ、別荘。大学教員が別荘を持つって時代が違うなぁとしみじみと思う。働いても働いても暮らしが楽にならない、自分たちの世代とは違うよなぁと思いつつ、夕方の講義をおえてから移動して夜の8時頃に到着して、翌朝に早々と立ち去るという強行スケジュールでお邪魔してきた。

 夜更けまで美味しいワインをごちそうになり、楽しい一時を過ごした。感謝である。色々と大学の昔話をお聞きするなかで、やはり「時間軸」が違うなーと感じる。今の大学教員になくて、かつての大学教員にあったもの、それは「時間」だと思う。

 常に書類作成に追われて、〆切に追われて、満足のいく研究が出来ない焦りと向き合い続けている。そんな状態では趣味や余暇といった時間を楽しむ心の余裕もない。休まなければ頭が機能しない、でも休む時間があれば実験したり、論文を書いたり読んだりとインプットとアウトプットをしたいというジレンマで日々が過ぎていく。

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 そういえば、コロナ禍が一段落して、飲み会が再び開催されるようになってきたので、いわゆる「なんらかのしがらみ」で作った「○△□会」の集まりをしませんか?というお誘いが再び来るようになった。たとえば、うちの大学だと「同じ大学の出身の会」とか「同じ県の出身の会」とかだ。ここでは、とりあえず「しがらみ系」と呼んでみる。私は酒があればどこにでも出向く性格なのだけれども、その手の「しがらみ系」集まりには参加してこなかった。赴任当初から、ずっとお断りをしてきた。なんか面倒だなと思ったのと、この手のやつは僅かではあるが年会費を取るからだ。それに、私が誘われたしがらみ系の会はゴルフをするのだが、私はゴルフには一切興味がないのも理由だ。

 別荘で、この手のしがらみ系の会の話になった。昔は、良くここで、そういったしがらみ系の飲み会を開いていたらしい。いわゆるサロンみたいな場所になっていたのだろう。そこで某先生が「○△□会を誰も引き継いでくれない」と嘆く。「残金も○○万円ほどあって、そこから若い方の論文投稿費用とかを援助したり、飲み会で新たな共同研究が始まったり、と良いこともあったんだけどね」という。「でも最近の若い方は誰も入会しない」「引き継ぐ相手もいない」とぼやく。

 そりゃーーーーーそうだろうーーーーーー。今の若い研究者でお金を払ってまでしがらみ系の会に時間を差し出すって特異な方は、なかなかいないだろう。かつてとは時間という対価の持つ価値が違う。子育て世代だったりしたらなおさらだ。奥様に全てを任せていた時代とは違う。それに給料も違う。可処分所得も違う。私もこの1月から給料は(定期)で上がったが、今月に届いた納税額の通知書を見る限り、来月からは手取りが減る。給料はちまちまと上がっても、手取りは減っていく。子育て中盤戦で、お金がかかる時期にこれだもんなと溜息しかでない。

 そんなご時世のなかで、若い人がわざわざ会費を払って、しがらみ系の会になんて誰も入らんでしょう、と心の中で唱えてしまう。時代が違うとしか言いようがない。学会ですら、発表したらみんなやめてっちゃうのに。

 もちろん発言した先生も、そんなことは承知しているのだが「残金」がある分、解散しようがないとも嘆く。あー、確かに。昨今の色々から考えると、それ系のお金は処理が大変だし、でも銀行口座そのものが財産だよねぇとか思ったり(ってか、まだ維持できるんだ??ということに驚いた)、というか鬼籍に入られた方が支払った会費もたくさん含まれているはずで、なんだか色々と複雑な思いになる。若い方が入会してくれて、引き継いで、お金は好きなように使ってくれるのが一番いいと言うが・・・。

 うーん、おっしゃりたいことは分かるが・・・昔だったら安かった投稿費用も、今やその残金では賄えない。英文校閲ぐらいなら出せるかーと思ったりする。そこで、その先生には、「同じように存続に困っている会同士で話し合って、思い切って閉じてしまって、残金は共同で大学に寄付をしたらどうですか?」と提案しておいた。会計処理的にOKなのかどうかは分からないが、「もう、そういったしがらみ系の会を運営する余裕は、今の若い人にはありませんよ」と断言した。存続させるのは無理じゃないですか、と無残に発言してしまった。

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 翌朝の別荘からの帰り道、かつての大学教員の世界に思いをはせる。あのような別荘で、ひたすら議論を深めたのだろう。そういえば黒板があったなぁと思い出す。あの黒板で、歴代の先生達が深く深く議論をしていたと思うと、羨ましいなぁと思う。でも、その一方で、当時はPCも非力で高価だったろうし、論文を取り寄せるのも一苦労だったはずだ。研究のスピード感は圧倒的に今の方があるだろう。引退された先生達からしたら、今の時代を羨ましく思うかもしれない、そんなことを考えていた。

 言われてみると、なんとか協議会とか、なんとか連絡会議とか、、、大学や研究関連には有象無象にある。全ての運営は誰かがやっている。私もいくつか引き受けているし、色んなモノの委員になっていたりする。それ関係の出張もある。なので、それなりの時間を取られている。こういうのを少しずつ整理して減らすことも、研究時間を増やすことにならないのかなぁと思ったりする。

 きっと昔は良かったのだ。そういう会の総会やら懇親会に出て、みんなで酒を飲んで、横の連携を作って、情報を共有して、意味があったのだろう。今だって研究関連の新しい分野が出現すれば、その手のものは必ず生まれる。情報交換が必要だからだ。でもしがらみ系の会のように、もう存在意義が薄れているのに惰性で続いているものも多いんじゃないだろうか?その手の会の解散する勇気も必要ではないかと思う。

 日本人は開始したものを終えることが下手だと思う。一度始めたことは永遠につづけないといけない仕組みにしてしまう。必要な時に、必要なもの(組織)を作るという方針に転換しないと、いつまでも貧乏のままなのではないだろうか。有象無象のNPOに公金を配っているけれども、あれもたぶん辞められない。一度配分したら、減額はあっても配分し続ける。それが良いことも悪いことも産みだしているように思う。

 なので、これから教員生活としての終盤に突入して行くにあたり、止められるものというのを探していくのも大事なのかなと思う。

 でも、とりあえずは、科研だな。それ以外は暫くは何も考えないようにしよう。全集中で科研の書類だ。

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