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What do we do, What do we do, Alone Again, Naturally

 ひたすら科研費の申請書を書いている。家族が夏祭りに行っても、ボスがキャンプにでかけても、ひたすらに書類作成に集中している。平日は深夜まで、土曜も日曜も研究室に籠もって、コーヒーとペプシでカフェインを補充しがら科研費の申請書を書いている。とても孤独な作業だ。

 科研費の書類作成はずっと「秋」の作業だったが、どんどん申請時期が前倒しになり、ついに真夏のイベントとなった。せっかくの夏休みで家族には申し訳ないが、今年の夏は科研費の書類作成に集中しなければならない。

 というのも、今年で今もっている科研費がきれるのだ。民間の助成がとれていない現状で、来年の科研費を獲得できるかどうかがラボの生命線だ。だから申し訳ないけれど、色んな仕事や督促や催促を無視しながら科研費の書類作成に集中している。がむしゃらに科研費の書類と向かっている。

 そんな状況なので周りの目が冷たく感じる。孤独を感じる。とても大事な、そしてまっとうな事をしているのに、不義理をしているようで心が痛む。

 そんなアンニョイナ気分をなんとかしようと、このところは、昔懐かしい洋楽をYou tube でかけながら書いていたのだが、唐突にギルバート・オサリバンの Alone Again Naturally が流れてきて、猛烈に切ない気持ちになる。

 高校生の頃に何度も何度も何度も繰り返し聞いた曲だ。とてもとても悲しい曲なのに、なぜか明るいテンポで、なんというか悲劇的な状況を第三者視点で俯瞰してみているような、不思議で中毒性のある名曲だ。

 この曲の主人公は繰り返し言う「Alone again, naturally」と。歌詞に描かれた主人公の状況は極めて悲劇的だ。それなのにだ。彼は自分以外の傷ついた心が放置されていることを憂えている。

It seems to me that
There are more hearts broken in the world
That can't be mended
Left unattended

What do we do?
What do we do?

Alone again naturally.

 この「僕たちに何が出来るだろう?」という問いは強烈だなぁと改めて思う。自ら塔に登って飛び降りようと考えている時に、手を差し伸べてくれなかった神に絶望している時に、世界中にいる心が痛んでいる人達の事を考えて「僕たちに何が出来るだろう?」と。この年になって改めて聞くと、凄く格好いい歌だなぁと思うのだ。自宅の棚にまだCDがあったはずだ。探してみよう。

 そんなこんなで、ずっと頭から「What do we do?」が離れない。科研費の申請書を書きながら「僕たちに何が出来るだろう?」と問い続けている。〆切に向けて、ここからが正念場だ。明日も明後日も「What do we do?」と自分自身に言い聞かせながら、科研費の書類を完成させたいと思う。

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