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山に登る~意味なんて後で~

久々の登山

今日は久しぶりに山に登った。
四国にある2,000m程度の山に一人で登り、縦走した。

登山で最もきついのは最初の100歩だと思う。
スタートして10歩で、ん?と感じ、
30歩であれ?と思う。
100歩目まで歩く間に、「思ったよりきつい」「これが最後まで続くのか?」「無理かもしれない···」とネガティブな感情が押し寄せてくる。

それを過ぎると案外頑張れるのだが、毎回はじめにつまづきそうになるのはなぜだろう?

まあ、そんなことを考えつつも、今回は6時間10分で歩ききった。
登山は長い時間歩くため、色々なことを考える。
特に「登り」

「下り」は、足元をよく見て集中していないと踏み外したり、滑ったりするリスクが高いため、意外と別のことを考えている余裕がない。

しかし「登り」は、息は上がるし、筋肉疲労もこたえるが、脳みそは意外と余裕がある。

なぜ山を登るのか

今日僕が考えていたのは、「なぜ山を登っているんだろう?」ということ。

なんならこんなキツイ思いをしてまで。

「なぜ山を登るかって?そこに山があったからさ!」
そんなどこぞの漫画の主人公たちが言いそうなカッコいい理由なんか当然なくて、(実際は有名な登山家が残した言葉)
「なんとなく」だったように思う。

もう少し言えば「なんとなく、登りたくなったから」だろうか。

意味なんて後でいいのかも

そんなことを考えながら登っている中で思った。
「理由なんていらないのかも」
性格的に「なぜ」が抜け落ちていると気持ち悪いし、目的や目標があったほうが頑張れるタイプだ。

でも、そればかりだと、理由のないことは出来ないし、動き出しも遅くなる。
たまには「なんとなく」
そんな自分の直感を信じて行動してみるのもいいかもしれない。

そして、行動した先で意味を見つければいい。後付けだって問題ない。

今回は「美味しいカレーメシを食べるために!」

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