人間だけの物語【書評/人間たちの話】

柞刈湯葉(いすかりゆば)さんの、SF短編集「人間たちの話」を読了しました。さすが、生物学の研究者…舞台設定がすごい緻密で、世界にすっと入り込めて、SFを読むときの気持ちい感覚がずっと続きました。まだまだ柞刈さんの作品は読みたい…!!

本の中の6つの物語はどれも、少なくとも僕の見えている世界とは違う、でもそれでいて魅力的な不思議な環境での作品です。

寒冷化した後の地球、相互監視時代の2019年、銀河の小惑星でラーメン屋を経営している世界…ここではないどこかの話だけど、読み終えると今の現実世界もなんだか違う目線で見れてしまう、とても面白い作品でした。

6篇どれも良い作品ですが、今回はその中で特にお気に入りの表題作「人間たちの話」に対して感想を書きたいと思ってます。


人間たちの話


1グラム、1秒、1メートル、それらの単位ってどこから来たのでしょう。普段無意識に使っている単位もすべて、人間の偉い人がいつかの日に定めたものです。素人が見ると意味不明の原子が振動した時間によって「秒」という単位が定められ、ある金属円柱体の重さが「キロ」として定義されました。

でもこれって、人間だけの話ですよね、言い方を変えると人間たちの都合の話ですよね。

簡単なあらすじ


  この物語の主人公、新野境平(しんのきょうへい)は孤独であり、常に「他者」の存在を欲していた。彼にとって地球の生物は同質であり、つまり人間も奇想天外な動物も、約38億年前に生まれた細胞の子孫であり、地球に存在する自分は、生命という孤独な巨人の細胞にすぎないと感じでいた。

 そういうわけで彼の関心は地球ではなく宇宙に向き、火星の生物を探求する科学者になる。きっと、どこかにいる他者を求めてなのか…。35歳になった境平はある理由から姉の息子である累を面倒ことになり、累との同居生活が始まる。

 累はまるで境平に似た知的好奇心旺盛な子供で、彼との対話により徐々に境平は自身の孤独を感じる理由、不都合に利用される科学、彼にとっての他者の存在を認識していくことになる…。


感想


人間が恐竜にどういう名前をつけるかなんて、恐竜にとってはどうでもいいことだ。こういうのは、あくまで人間たちの話なんだ

人間たちの話(kinoppy版 p122)

 オヴィラプトルという恐竜は「卵泥棒」という意味をもって名前を付けられました。名前を付けた時代の研究では、恐竜に卵を温めるという発想がなく、卵の化石とともに見つかるのは、ほかの恐竜の卵を盗んで食べていたと、推測されたのでした。

 時代は進み、恐竜のイメージ図も大きく変わり、オヴィラプトルも鳥類のような特徴をもっていると認識している少年累は、その人間たちの勘違いによってつけられた不名誉な名前に対して「かわいそう」と言うのでした。上の引用はそれに対しての主人公境平の反応です。

 この2人のやりとりが僕にとってはすごい面白いなと、思えた場所でもあります。

 我々人間の認識している世界は、時代時代の科学の見解によって大きく姿を変えています。天動説から地動説、惑星から準惑星、科学の進歩は我々の見える世界の認識を変え続けてきました。

 だから、未来からの視点に立つと、「これは人間の間違った認識じゃん!」ってことが沢山あると思うんですよね。でも、それ以外に方法がない、その方法でいろんなものを想像できた、完璧ではないけど、でもそれが人間だものと僕の中の相田みつをが小説を読み終えたあとに出てきました。

 この本は、もしかしたら皆の中の相田みつを呼び起こし装置になるかもしれません。今見ている世界とはちょっと違う場所で繰り広げられるすごい現実感のある物語は、人間の面白さ、不十分さを相対的な尺度に落とし込んで読める、SF作品かなと思います。是非、読んでみてください。

 




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