プロレスの練習生だった話20

東京の団体では新宿スポーツセンターでの練習とは別に
スタジオでのミット打ちの練習をしていた。

そこにはプロレスサークルというプロレスの受け身などを一般の方に教える場も兼ねていた。
プロレスが好きな主婦の方や昔レスラーになりたかった人、なんとなく運動不足を解消したい人などがいた。

一般の方と混ざるので基礎体力の運動やミット打ちは大変ではない。
ただ自分は体重がないので打撃が軽かった。

あとはマットを敷いて受け身の練習。

代表の知り合いのジムでは重量トレーニングにも励んだ。
入会金一万と月謝を払った。
まだバイトもしてなかったので財布が痛かった。

ベンチプレスは50キロくらいが限界だった。

この団体の興行は日曜日に月一度東京の会場を借りて行っていた。

所属の選手は二名しかいないのであとはフリーの選手が参戦していた。
習わし通り練習生候補として挨拶をした。
そしてここでは練習生にならなければセコンドにつくことができなかった。

先に入門していた練習生はセコンドについていた。
正直前の団体でセコンドをバリバリこなしてきた自負というものがあったので面白くなかった。

当時はまだコロナ前なので紙テープも投げ入れられていたし紙テープの捌き方は自信があった。

リングの組み立ても問題なくできていたので特にすることなく物販で他のスタッフの方と世間話などしていた。

よく笑顔が少ないと言われた。
前の団体でも表情が硬いと言われたのでレフェリーの方にウィスキーって言ってご覧。
と言われた。
ウィスキーという言葉を口に出すと口角が上がるので幾分か表情は和らぐようだった。

物販からリングは少し距離があった。
横断幕の一部が剥がれていたのがわかった。

セコンドについていた2人の練習生はセコンドそっちのけで横断幕を貼り直していた。

いまやる??と思ったが立場は向こうが上だったので任せることにした。

また、大会の締めのマイクで代表がマイクで喋った際、
学プロ経験者の練習生がチャチャを入れた。
観客からは失笑が聞こえた。


試合後、横断幕とチャチャを入れたことでスタッフの人と代表に揃って叱られた。

自分は何一つ関与していないがはい。っと答えた。
人のふり見て我がふりなおせ。そんな感じだった。

しかし、これをきっかけに自分は自分。早くデビューしようと練習に気合が入った。

誰よりも早く練習場へ行きマットなどの準備をし受け身をたくさんとった。
練習が終わっても一人居残り練習をした。

側からみたら1人受け身を取り続けていたので奇特だったと思う。

この頃には後ろ受け身、前受け身の他に空転という宙を舞い前に受け身をとるなかなか難易度の高い受け身をできるようになった。

そんなある日、フリーで練習に参加していた女子の先輩がある選手を連れてきた。

参戦している団体でタッグを組んでいた亜利弥'さんが練習に参加することになった。

昔吉本興業がプロレスに参入していた際にデビューしたベテランの選手だった。
あまり詳しくはなかったが女子プロレスからプロレスにハマったので本で読んだ事のある方と対面することができた。

19歳と伝えると可愛いですね。と笑っていた。
またKAORU選手に憧れレスラーを目指していることを伝えるとKAORUさんかっこいいですよね!と同意してくれた。
亜利弥'さんは底抜けに明るく優しかった。

受け身の取り方や寝技での技術など細かいことをたくさん教えていただいた。
特にマウントポジションからストマックを押さえつけたりのど仏に指を当てるなどいざとなった時に使える技術を教えていただいた。

ラ・マヒストラルからの腕ひしぎの練習を代表ともしていた。

やっぱりプロはすごいなと久しぶりに感じた。

来週新木場で防衛戦あるから見にきなよと誘われたがチケットのお金がないので断ってしまった。

そしてフリーの女子の先輩が誕生日ということであ利弥'さんがケーキをみんなの分買ってきてくれた。

久しぶりにケーキを食べた。

代表と帰りの電車が同じだったので軽く話した。
亜利弥'さんきてどうだった?
ものすごく嬉しかった。これからももっと教えて頂きたい。
そんな感想を伝えた。
しかし亜利弥’さんはその後数回練習に参加していただいたがその後いつからか来なくなってしまった。
フリーの選手なので仕方のないことだったけれど
寂しかった。

東京の団体ではあまりいい思い出はなかっただけに
亜利弥’さんの明るさと優しさは今も鮮明に覚えている。


当時の自分と亜利弥'さん
新宿スポーツセンター敷地内にて

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