プロレスの練習生だった話27

1ヶ月、2ヶ月と団体にいる時間は経っていった。
専門学校に通いながらジムに行き、また生活費を稼ぐためバイトをこなす。三足の草鞋を履いていた。
飲食で昼間に働き夜は居酒屋でバイトをしていた。
体づくりのために賄いがある方が何かと助かるからだった。
そんな中、試合会場に向かうため、団体の責任者の方と代表の方と3人でトラックに乗ら機会があった。
代表の人柄はエネルギーに満ちており太陽のように光り輝くような人だった。ミュージシャンとの交流やCMにも出演していたりと人柄や行動力などにより人を魅了するタイプだった。
責任者の方はどちらかと言えば月のように団体を支え、若手の指導や団体の運営、物事を分析し冷静に、時に優しく、時に厳しくという感じのタイプで2人は真逆のようだった。
代表とはあまり接点もなく、話したこともほぼないのでこの日は本当に珍しい機会だった。
責任者の方と代表とで選手のコンディションや近況などの話をしていてそれを聞いていた。
そして責任者の方がこれはこういうことがあって、と話を振ってくれる。責任者の方は本当に気配りや心配りができるのでみんなに頼られるのもよくわかる。

話は自分の話題になった。
元々千葉で練習生してたの?誰に憧れたの?など
自分は元々KAORU選手に憧れていました。と伝えると
女子が好きなんや。あの世代の人たちはみんな気が強いよと笑っていた。
なんでも他団体の興行で挨拶をしたらしく、
元ラスカチャーラスオリエンタレスの下田選手や
現在LLPWに所属している井上貴子選手等錚々たるレジェンドとも接点があったらしい。
もちろん自分もファンの頃から知っている選手で井上貴子選手には2度サインを頂いたことがあった。
そして体作りの話題になった。
線が細いからコスチューム工夫したらどうか?と提案をされた。
自分が千葉や東京にいたときは大御所のベテランがTシャツを着用して試合をすることはあっても、若手の男子が上半身もコスチュームを着るということは無いに等しかった。
2年が経ちDDTなどで男子も上半身のコスチュームを着て試合にしたりと時代は変化していたようだった。
何より無理に体をでかくしろと言わず、線の細さを理解しそれを工夫してみたらという理解が嬉しかった。
そして、コスチューム=生地=服という発想になりアパレルでのバイトを始めた。
古着なんかは好きだったけど自分自身の肯定感の低さも相まってお洒落な雰囲気のアパレルバイトは自分には縁がないなと思っていた。
しかし、プロレスのコスチューム作りの勉強やプロレスのグッズにはTシャツ等もあるので今後の参考にしたいと面接で伝えると内定をもらえた。

アパレルでのバイトは楽しかった。
メンバーにも恵まれていたのもあったがお客さんからコーディネート組んでと言われると自分が認めて貰えたような気がした。

店は梅田の中心にあったので忙しかったが興行や練習のある日曜日以外可能な限り出た。

そしてある日、いつも通り仕事をしていると見覚えのある後ろ姿が目に入った。
憧れの先輩がお客さんできていた。
ただでさえ働いているところを見られるのは恥ずかしい。
それでなくともプロレスの先輩の前では緊張してしまうのだ。

しかし無碍に無視することもできず、かと言ってなんて声をかけたらいいのかもわからないで狼狽ていると
先輩がテナントに入ってきた。
しばらくだけ観察をしようと思ったが頭より先に体が動き先輩の下へ駆け寄っていた。
〇〇さん。お疲れ様です!
いつもよりか笑顔で話しかけた自分自身にびっくりした。内心では憧れている先輩に会えたのだから嬉しくないわけがない。
先輩はイヤホンをして気が付かなかったようだった。
今度は顔を覗き込んだ。
普段の興行の時間では絶対にしないのだが、嬉しい気持ちが隠せなかったか、気づいてもらえるように振る舞っていた。
先輩は少しボーとしていたようだが少しの間の後
なんでいるの?と微笑んでいた。
バイトしてるんです。買い物ですか?
服買いにきたんだけどね、あんまいいのないたまたま笑っていた。
初めてしっかりと会話らしい会話をした。
先輩は服装や髪型などもとても格好良く実際に女性ファンも多かった。服も良くトレンドをチェックするのだろう。
生憎店は先輩好みの系統ではないようだったので系列店の方がいいのあるかもしれないです。と伝えた。
3分くらいだったが先輩と取り止めのない会話ができ自分のことを少しわかってもらえた気がして嬉しかった。

そして、その週の興行ではリングの設営を先輩と一緒にやった。
主にリング下のワイヤーを占めるのだが一緒にやろと誘われた。
そしてこっそりなんで言わなかったの?と笑っていた。
巻き方わかる?と聞かれいまいち自信ないので教えて欲しいです。と伝えワイヤー締め方を改めて教わった。
ベテランの選手がその光景をみて師匠と弟子やな!と笑っていた。
師匠、恐れ多いがこの人のプロレスがあったからこそ大阪に来てまたプロレスをやろうと決めることができたのだからその響は心地よかった。
そして、少しだけ先輩とは心の距離が縮まったような気がした。
その日はセコンドに着くことを許可されたので
場外乱闘のガードやガウンの受け取り、水の差し出しなんかをこなした。
先輩の試合は6人タッグだった。場外乱闘になった際先輩がふと頭をポンと叩いた。
恐らく労いなのか偶然なのかわからないが咄嗟のことに驚いた。
祖父母以外で頭を撫でられるのは恐らく人生で初めてだった。
今振り返ると先輩からは頑張れと直接言葉で言われたことはないが
先輩なりに応援してくれていたのだと思う。
目標であり憧れということは理解してるがゆえに安直に言わなかったのかもしれない。

自分としては他の先輩から褒めてもらう時ももちろん嬉しいが憧れている人に褒めて貰えた時の嬉しさは勇気や自信につながった。

自分と同期の練習生は方や憧れの先輩の同期に憧れて入団しており、そちらの関係性は仲の良い兄弟に見えた。

自分もそんな風に振る舞えたら幾分生きやすいかと思ったが厳しく言葉は少ないがしっかり見てくれる先輩がいるのだからと言い聞かせた。
今こうして振り返り、自分はこの人がいたからもう一度プロレスと向き合う時間を与えられ、この人の元で育ち認めてもらいたかったという気持ちがあったのだろう。
そうではなくプロレスラーの肩書きが欲しいのならば今頃どこかの団体にまた所属していたかもしれないのだから


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