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間違いだらけの仏教知識(お盆編)

仏教批判をしたいためか、何なのか、とりわけ生死にまつわる仕事をなされている人の中に、間違いだらけの仏教知識を披露している人がいる。例えば、某業者のサイトには次のような文章が見られる。

盂蘭盆は仏教が生まれた地インドの古代語であるサンスクリット語の「ウランバナ」の音訳ともいわれていますが、この語の意味は「逆さ吊り」であるため、餓鬼道で苦しむ母を意味すると考えられてきました。
しかし、「盂蘭盆」という言葉は「お盆にのせた(僧へ施す)食事」を意味することから、現在では盂蘭盆経そのものが偽経だとする説もあります。

この後半の文章は、一昨年、若くして亡くなられた辛嶋静志大先生(『大阿弥陀経』の和訳などで有名)の説なのであるが、中期インド語のodanaから派生したolanaを想定でき、それは「a bowl for boiled rice(炊かれたご飯を乗せたお盆)」を意味するのだから、サンスクリット語で再現することができ、当時の習慣とも一致するのであるから、偽経ではなく、インド撰述経典であるというのが結論である。

したがって、むしろ偽経としない説なのであるが、生死にまつわる商売をしている人は、何を思ってか、理論を捏造し、意地でも盂蘭盆が間違いとしたいようである。

もう少し古代インドのことを検討したい。インドの暦は、太陰太陽暦が用いられ、そのうえで1か月を白分、黒分にわけ、それが12月分で構築されていた。

毎月15日には、戒律である波羅提木叉(はらだいもくしゃ;パーティモッカ)を、みんなで読み上げる布薩(ふさつ;ウポーサタ)という儀式が行われ、悪いことを行った出家修行者は自ら名乗り出て反省していた。

インドは4~7月にかけて雨季(雨安居)に入り、出家修行者の行動が制限された。そして、雨季があけるāśvinaの白分の最終日…すなわち7月15日に「僧自恣(そうじし;プラヴァーラナー)」という大反省会(この時は反省だけでなく、告訴などが許される)が行われ、それが終わると、在家の方々により、沢山の御寄付を頂き、迦絺那衣(かちなえ)を作ったり、沢山の食事を食べたのである。

いわゆるこれは年末大反省会であって、この日を境に仏教教団では、法臘(修行経過年数)が1つ加算される。

だから「盂蘭盆」は、その経典の内容と見ても、整合性が保てるのであり、インドで行われてきた儀式として見ても、全くおかしくないのである、という見解になるのが適切なのである。

先に示した業者のような何もわかっていない人が、中国で作られたから偽経だとかそういうことを言い出すのであるが、そもそも偽経という言葉は、それが正しいとか悪いとかいうことではない。ただただインド撰述経典ではなく、中国撰述経典であるということを示したものである。

そもそも大乗仏教ムーヴメントというのは、その時代の社会背景に基づいて、それに対応するため、経典製作によって重ねてきた歴史であり、極端にいえば日本撰述経典なんてものもあるのだから、正しいとか間違いとか言うこと自体が本当にみっともない考えなのである。

おそらくきっと、所詮wikipediaで得た知識程度なのだろう。

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