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世間というものは、厳しくもあるし、また暖かくもある。

松下幸之助さんの「世間というもの」より

 世間には、目くらな面もたくさんある。
だから、いい加減な仕事をやって、いい加減に過ごすことも、時には見逃されて過ぎてしまうこともある。

広い世間には、それだけの包容力があるということもある。
しかしこれに慣れて世間を甘く見、馬鹿にしたならば、やがて身のしまる厳しい思いをしなければならなくなる。

 おっしゃる通り、間違いない。
手を抜いた、いい加減なことをしていても、バレなければOK!
これは、誰かわからなければOK!にも似ている気がする。

誰かわからなければが、意味が分からなければや、難しく表現して見えなくしたり、隠したりも現在では、あらゆるところで横行している。

学校や会社にいろんな場面での人間関係もそう、手を抜いたり、ちょっとした悪びれたことも、見逃されることは多いが
それが露見して、大きなしっぺ返しを食らう。

時代とともに、受けるしっぺ返しも多様化し、またそれを免れようとする手口も巧妙化する。

いい加減なことを、見逃される手口まで進化しているのが現代社会。

努力や考えもなかなか認められないのも世間

こんなときは世間が冷たく感じられる。
自分は孤独だと考え、希望を失いがちになる。

だが世間には、目くらが1000人いれば、目明き人も1000人いるもので
そこに、世間の思わぬ暖かさがひそんでいる。  そうです。

実際にそうあってほしいと願う。
人数の数はさておき、認めてくれない人が周りに多くても
広い世間では、同じ数だけ認めてくれる人が居る

ただ、それはいい加減なことをしたのではなく
真剣な努力を重ねること
諦めないこと

いずれにしても、世間は厳しくもあり、暖かくもある
だから、いつも謙虚さを忘れず、また希望を失わず
着実に力強く自分の道を歩むよう心がけたいものである。

この言葉を知らない頃、苦しい時、悩ましい時も
私は、自分なりの道をゆっくり切り遠回りしてきた…

もっと早く、この言葉を知っていたなら…

もう少し早く、いい時間を過ごすことが出来たかもしれない…笑


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