私は、何か伝えたいことがあるとき 伝えたかったことが、全然表現できていないように感じる。 私の頭の中では、いろんなものが飛び交っていて、それが膨れたり、弾けたりして、 それらを整理して口から言葉として出すまでに、 言いたかったことがするするとどこかに滑り落ちていってしまう感じ。 いつも、言いたいことの10分の1も表現できていないような気がする。 でもそれって、決して私だけに当てはまることじゃなくて、誰しもがそうなのではないかな、と思う。 (勿論、自分の言いたい事を上手に
「幸せは測れないけれど、他の人よりも飛び抜けた幸せが、あなたに長く続いて欲しいと思う。」 と、私に言ってくれた人がいます。 私はこの言葉を、 人に対してそんな風に思える心を、 美しく尊いと思いました。 美しく尊い愛の言葉だと思いました。 私にそう言ってくれた人とは、もう会えなくなりました。 私はその人を、宇宙一愛していました。 今でも変わらずに愛しています。 会えなくなってから、もう何年も経ちます。 今日、私に 「ずっと幸せで、長生きしてほしい。」 と言ってく
「紫陽花が綺麗に咲いてるね」 と言っても 「わたし、紫陽花きらい!」 と言っていたグレイス(母)。 今年も紫陽花が綺麗な季節がやってきたので 「紫陽花が綺麗に咲いてるね」と言うと、 「綺麗ね〜」と、にこにこしていた。 何と、グレイスは私の知らぬ間に紫陽花が嫌いではなくなっていたのだ! 毎年「きらい!」と言っていたことが、まるで嘘のよう。 もしかしたら、嫌いだというのは私の妄想だったのかもしれない。 私はグレイスを、紫陽花が嫌いな女性にしたかったのかもしれない。 (…なんで
愛はどこにもいかない。 ずっと前から、ずっとそこにあって、これからもずっとそこにある。 ただ私たちが、近づいたり離れたりしているだけ。 愛されていないのではなく、愛を感じるアンテナの感度が鈍くなっているだけ。 彼らはいつも私たちのそばにいてくれた。 一人ぼっちなんかではない。 私が勝手に目を瞑って、一人だと思い込もうとしていただけ。 もし今、目を瞑って一人だと思う事しか出来ないと感じる人がいるなら、 どうか、一人じゃないんだと思い出してほしい。 どうか、無理矢理にでも
今朝見た夢です。 私の手のひらの中で、小さな生き物が不自然に、少しずつ膨れ上がっていきました。 その小さな生き物が苦しんでいるように思えて、可哀想で、 でも私にはどうすることも出来ず、私は半ベソをかきながら 「母ちゃん!母ちゃん!」と 大声で母を呼びました。 母は私のそばに来て、ひとつも慌てる様子を見せることなく私に何か言いました。 私は少しずつ落ち着くことができ、小さな生き物も苦しみから解放されたようでした。 目が覚めて私は 「どうしていいか分からなくなった時に助けを
四年ほど前に私は生まれ変わりました。 好きではなかった自分のことを、受け入れて、愛すことができるようになりました。 何故そうなったかをかなり簡単に言うと、 「愛されていることが分かった」からです。 特定の個人からのものではなく、もっともっと大きくて、形のない「存在」からの愛です。 あんなにどうしようもなく孤独で早く死にたかった私が、こんなにも自分を受け入れて、日々楽しく生きている。 私はそれが嬉しくて、ありがたくてたまりません。 私は以前とは考え方や生き方が変わりました。
私は三歳まで無敵でした。 好きな時に起きて、ご飯を食べて 大好きな公園に行って、満足するまで遊んで、 母の愛に包まれ、安心し切っていたからです。 二つ年上の兄が幼稚園に通い出したのを見て 「ああ、私もいつかあれをしなくてはいけないのか…」と思った途端に私の安心の世界は崩れ始めました。 そこから私は、どうやって「人間」をやっていいのかがよくわからず 学校でいじめられたり、死にたくなったり、お笑いに救われたり、 「愛」というものの尻尾を掴めたような気がしたり、やっぱり死のうと