たいふうの目 下

 前回載せた「たいふうの目」の下になりますね〜〜(掲載分量を間違えたのでこっちの方が短いかも。。。)


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 ぼくの反応を見て、沙希はすごく悲しそうに笑った。ぼくは遅いと思いながらも少しだけ首を振って謝った。
「ごめん」
 沙希が驚いたように否定する。
「なんで謝るの? 涼ちゃんは悪くないよ!」
 ぼくは黙っていた。沙希はそう言った後もそのままじっとぼくのことを見ていたが、やがて、ふう、と力なく息をついた。そして、話し始めた。
「まだ、心の整理が、全然つかないの」
 ぼくはうつむきがちだ。そのまま沙希の言葉を待っている。
「毎日毎日、朝起きたら、なんで? の繰り返し。なんでパパは死んだんだろう? なんでパパが死ななくちゃいけなかったんだろう? なんで私たちは残されちゃったんだろう? なんで、なんで、なんで? それだけ。そればっかり、ずっとよ」
 うん、ぼくは口から言葉を零した。
「ねえ、パパはそれまでそんなに不幸だったのかな? だって、私たちは本当に大好きだったんだよ、パパのこと。ママだって妹だって、私だって大好きだったんだよ。それなのにパパは不幸だったの? すごく、死ぬほど不幸だったの? ずっと、そんな不幸に苛まれてたの?」
 沙希の父は、自分の部屋で首を吊って死んでいたのを家族に発見された。
 その部屋からは、沙希の父が綴ったものとみられる遺書が一通見つかった。自らの人生を強烈に呪った文面が強い筆跡で書かれていたという。それまでの家族仲は、少なくとも彼以外の家族にとってはすこぶる良かったことは沙希の口から何度も聞いていた。
 沙希の話は止まらない。
「だったらどうして話してくれなかったんだろう? どうして私たちじゃダメだったんだろう? あぁ、ひょっとしてパパは私たちにも自分の不幸を味わわせたかったのかな? 自分が死ぬことによって、それをわかってもらいたかったのかな? だとしたら効果覿面だよね。だって私、私今すごくっ…」
 言葉は不自然に途切れた。ぼくが彼女の手を掴んだからだ。
 彼女が顔を上げた。その顔は涙に濡れ、不必要に歪んでいた。
 その時、雷が強烈に光った。教室の窓を、雨という雨が凄まじい勢いで打ち付け始める。
 ぼくらは窓を見た。傘を持ってこなかったぼくらは、もう既にここから一歩も外に出られない。圧倒的な状況だった。ぼくは沙希を見る。沙希はまだ呆然と窓の外を眺めている。それからゆっくりとこちらを向いた。やはり、その顔はゆがんだままで、涙は目から流れっぱなしだ。
「ぼくは……、そう思いたくない」
 ぼくはゆっくりと言った。沙希が目を丸くした。
「たとえそうだとしても、そんな風に思いたくないよ。だって、本人がどう思っていたかなんて、本人以外の人間にはわかりっこないじゃないか。人の思いなんて、ちゃんとその人の言葉を聞かない限りそこにはないのと同じだよ」
 ぼくの言葉に、沙希は大声で言いかえした。
「パパは悪くない!」
 ぼくは口をつぐんだ。沙希は堰を切ったように話し始める。
「涼ちゃんにパパのことなんてわからない! パパは悪くない! 何も悪くない! 悪いのは私たちで、私たちがパパを疲れさせてしまったからいけないんだよっ! 私たちは罪人で、私たちが全部悪くてっ、わたっ、私たちはぁっ」
 もう、沙希の顔は涙でぐしゃぐしゃだ。外ではひっきりなしに雨が降り、風が吹き、雷が鳴っている。基本的に好きな、激しい雨にもかかわらず、ぼくはこの状況を憎んでいた。これは雨じゃない。これは大嫌いな騒音だ。こんな時まで騒音だ。ぼくは悔しくてしょうがなかった。
 沙希の覚悟を邪魔するな。
 ぼくは沙希を引き寄せ抱きしめた。
 沙希が息を飲んだ。ぼくはしっかりと沙希の体を抱きしめる。沙希の体温は、間違いなくここに沙希が存在していることを証明している。その証明はぼくを安心させ、この騒音を忘れさせ、静寂がぼくの世界を優しく覆っていく。その静寂に、ぼくは勇気をもらった。
「好きだ……」
 ポツリと呟くように、そう言った。沙希が小さい悲鳴のような声を上げた。
「ずっと好きだったんだ。そうだよ、ぼくに沙希のパパのことなんてわからない。沙希のパパを責める気も、否定する気も全然ないよ。でも…、でもね、言葉にしないと伝わらない想いっていうのは、絶対にあるから」
 いつの間にか、ぼくは涙を流していることに気づく。
「絶対に、あるから。だから今、ぼくはこうやって言葉にするんだ。そしてこれからもずっと言葉にし続けるんだ。パパはもういないし、沙希のママや妹は、これから自分が生きることに必死で言ってくれないかもしれないけど、もしそうならこれからはぼくがずっと言い続けるから。だから、だからもう泣かないでくれよ。君が泣くなんて、ぼくは、い、嫌だよ」
 沙希は震えていた。ぼくも震えていた。轟音が、台風が、ぼくらの周りを覆っていた。
 世界が終わりそうだ。そんな風に思った。
 その時、突然ふっと音が消えた。
 急激に、何の前触れなく音が聞こえなくなった。
 ぼくらは顔を上げた。同時に窓を見る。
 果たしてそこには、澄んだ青空が広がっていた。
 嘘みたいに晴れていた。ぼくらは驚いてその光景を見つめていた。先ほどの轟音は文字どおりどこかへ消え失せ、そこには耳に痛いくらいの静寂が訪れている。ぼくは沙希の手を握ったまま、小さな声でつぶやいた。
「たいふうの目だ」
 沙希がぼくを見た。ぼくも沙希を見る。
「たいふうの、目。どんなに強い台風にも、絶対にあるんだ、これは」
沙希は放心したようにぼくの顔を見ていたが、やがてゆっくりと表情を変え、涙を残した顔をくしゃくしゃにして笑った。
「なにそれ。バカみたいだね」
 沙希はそう言って、ぼくに体を預けて笑った。ぼくもつられて笑い出す。そして、静かにつぶやいた。
「そうだね。バカみたいだ」

 結局、予定通り一日だけで台風は過ぎ去った。ぼくらは特に問題なく、翌日には晴れた道を無事に帰宅することができた。
 その日から数日後に、沙希は転校していった。
 転校から数ヶ月も経てば、みんな沙希のことを口に出さなくなった。先生はもちろん、沙希と比較的仲が良かった生徒たちでさえも、だ。ぼくもその後は彼女と直接連絡を取ることなく、自分の日常を送っている。
 ただ、あの日のことはずっと覚えているつもりだ。
 友達以上、恋人未満という関係は変わらなかったし、遠くへ引っ越した彼女とはもう会うこともないのかもしれない。彼女の顔や、体温なんかも、次第にぼくの記憶から薄れていくのかもしれない。それでもあの時確かに言った言葉は、二人の目で見た本物の静寂は、絶対に忘れない。これは、騒音の毎日を送るぼくの、たいふうの目であり続ける。
 バカみたいな、たいふうの目であり続けるのだ。


たいふうの目 了

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