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長崎県島原市に移住しました - 後編

前編

後編は実際の移住記録です。順番にとりとめなく書いてしまったので、ダラダラと長くなってしまった。

準備と根回し

21年10月頃、すべての宣言が解除された時点では、コロナで動けないまま2年半考えてました。もう年齢的に迷ってる時間は無い。11月に2泊3日で親戚に根回しの挨拶回りを強行して、以前から予備的に連絡していた行政支援の相談会に行って、本格的に動き始めました。

行政はながさき移住倶楽部から県就職支援と、島原市、南島原市の移住担当課にアクセス。相談会の面談とメールやLINEでサポートしてもらいました。結局移住インセンティブのような制度は自分はほぼ対象外でしたが、沢山情報を頂いて、最後まで親身に相談に乗って頂き、結構心の支えになりました。

大量な情報を捌くので、Notionで進行管理

はじめての転活

まず仕事がないと生活出来ないので、乏しいキャリアを洗い直して(資格を取ってたのはそういうことです)12月から転職活動を始めました。諸事情で現職での異動(制度はある)は諦めて、異世界転生異業種転職をすることに。ほぼどの求人でも未経験だし年齢的にも正直無理かなと思ってて、5月くらいまでやってみてダメなら移住自体諦めるつもりでした。

島原はとにかく求人が少ないけど、人材不足なのも確かで。複数の転職サイトと長崎県運営の求人サイト、ハローワークを並行で探して、結局6社くらい応募して2社最終面接まで行けました。冬休暇を使って現地面接に行く準備もしたんですが、1月下旬には緊急事態宣言が再度出てしまい、結局面接は2月中旬くらいにやって、全部リモートでした。行かなくてもいいし、直前まで練習できるし、入退出の緊張が無いしである意味ラクでしたね(笑)。

1社は手応えはあったものの面接一週間後も連絡がなく、他を探してたところ、3月半ばに連絡が来ました。内定が取れたならもう、行かない理由はない。

ここまでで友人には、一人を除いて誰にも伝えておらず。計画倒れになったら恥ずかしいので…。話したら一様に驚かれたけど、後日壮行会を開いてくれました。唯一相談してたのは同じく島原に縁がある某敏腕デザイナー氏で、さすがに一人で決めて動くのは不安でキツかったので、かなり助かりました。

お花とかもらった

現地で物件探し

入社日が決まれば自然と全部の日程が決まります。即現職に退職を伝えて、3月下旬には有給を使って物件探しに再度島原へ。

移動しつつネットで物件を探すも、全然なくて焦りました。年度替わりの転居シーズンも終わりだったわ…。なんとか残ってた条件に近い2件を内見して、年数はまぁまぁ古いけど設備的には十分な3LDKのマンションに即決。1Kのマンションに住んでたのに、家賃が2/3くらいで専有面積が3倍以上になってしまった!

内見で3Dスキャンする時代

余裕を持って5日ほど滞在してたので、スーパーや日用品を買う場所、病院といった周辺環境を調査したり、親戚に報告と職場の挨拶に行ったりしました。職場はこれが初対面…!

引っ越し作業

入社は6月に調整してもらい、引っ越しは5月中旬に決定。ギリギリまで前職の仕事と4月、5月とライブ出演もあったんで、3月末から休日全部使って徐々に荷造りをすることに。機材とPCは車で運ぶことにしたので、ライブで使わないものから優先して荷造りして、先に車に格納しました。

助手席までびっしり積んでました

前週の土曜が秋葉原重工、引っ越し前日まで普通に仕事でじんわり焦げ付いてきたぞ…というところで、家が近い音楽仲間のふたり、R-9君とここうさんに支援要請したら快諾してくれました。直前の荷造りと退去清掃までを2人とも目一杯手伝ってくれて(ありがとうございます😊)、ソロだったらマジでやばかった…。古い家具も駿河屋系のブツも事前に結構処分してて、機材も自前で運ぶしそれほどではないっしょ…と油断してたら、大小合わせてダンボール100箱を超えてた。書籍類に大型本が多いのと、CDとかゲーム機が嵩張りますね。これだからオタクは…。

荷造りが終わった直後

見積では2トンショートで行けますねー、と営業さんに言われてたのに、当日やってきたリーダーのおねえさんが苦笑いしながら応援のトラックを呼んでました(汗

よくこの部屋に収まってたと思う

旧居、16年前に新築で入って以降、狭い以外はまったく文句なかったな…。設備いいし壁超厚いし。こんな長く住むとは思ってなかったけど。お世話になりました。

引っ越しキャノンボール

自宅から島原までざっと1700キロ?あります。荷物の到着より先に、車で自走して島原に辿り着かないといけない。物件探しも車で行ってたけど、今回は高価で重い荷物を積んでるし夜間の高速は怖いので、フェリーでワープすることに。

横須賀から九州までもフェリーで行けるんですが、高価だし外洋は揺れてキツい(らしい)。ということで夕方までに大阪港に行き、夜間に瀬戸内海を通って門司まで行くフェリーにしました。ちょうど新造船「きょうと」が昨年就航していてホテルみたいとの評判で、せっかくだしファーストキャビンを予約してみた。

新造フェリー、記事が一本書けるくらい楽しかったんですが、主旨から外れるので写真数枚だけー。

自由に出入りできる広い甲板
エントランス
ファーストキャビンでした。

お酒も飲んでぐっすり寝て、翌朝は門司からは高速道路でスイスイ。諫早のニトリで余裕の買い物をして夕方新居に到着。バルサン結界を敷設した後は長旅の慰労でホテルシーサイド島原に泊まりました。電気は来てたけど、まだ部屋になにもないし。

到着

新居のカスタマイズ

翌日荷物が到着して、2週間ひたすら荷解き⇄家具の組み立て⇄百均とホムセンに買い出し、のルーティン。広くなりすぎて家具がまっっったく足りない…。ほぼ毎日クソデカ組み立て家具が届いてました。

これが
こうじゃ!
センターをレーザーで測ってポジションゼロを作った

ほぼ事前にイメージした通りに、念願のスタジオ部屋が出来ました。以前は43インチTVをモニターにして床座で作業してたので、デスクとか椅子とかモニターとかを新調しました。

めちゃ広いデスクは古い音楽仲間であるspinn寺本さん激推しの「かなでもの」でカスタムサイズオーダー。

シェルフはアイリスオーヤマの安物ですが、値段の割にいい感じです。音楽の資料と、自分が強く影響を受けたものだけ置きました。眺めてるだけで癒やされる…。

本棚というより祭壇

他に寝室やリビングなどはニトリとかアイリスオーヤマ、ヤフーショッピング店舗などバラバラですが、テーマ色や質感やサイズをちゃんと測って揃えました。飾り気がないのでまぁおしゃれとはまでは言えないけど、シンプルで過ごしやすい(あと掃除しやすい)家ができました。

地方移住、意外と何とかなる

…のかどうかはわかりませんが、ひとまず一ヶ月生き残りました。

決断してからの半年はあっという間で、淡々とタスクをこなしてたらこっちにいた。今になってふと結構無謀なのかもな、と思うこともあります。でも以前の人生、漫然と固定観念で自分にとってベストだと思い込んでたフシがあって。いろんな積み重ねがあってだんだん見る角度が変わって、自分の芯に出来たコンパスのようなものが常にあっちを向いてるイメージが湧いて。なんか謎めいた確信が出来た。

もちろん多角的に現実的なシミュレーションをしたし、親戚とか親とか利用できるものは利用しまくってなんとかやってます。仕事も見つかったとはいえまぐれだし、島原ではマシなんだけど収入もすごく下がった。独り身だからギリなんとかなりそうなだけで、イ○ハヤのようにひとを煽るつもりはございません(笑)

収入、安定、都市の利便性、交友シーン…いろんなカードを墓地に送ったけど、それを犠牲に召喚した島原移住カードは、自分にとって最強の切り札です。片道10分の通勤、美しい海と山、格安で美味しい野菜と刺身、世界一美味しい水で作ったコーヒーとハイボール、5分で行ける温泉、じっくり音楽に向き合える広いスタジオ…。今のところQOLは爆上がりです。

いろいろあって初月いきなり50時間くらい残業したけど(泣)、それでも以前より体調良く過ごせてます。不安要素もありますが、それは生きていれば当然のことで、今の所前向きでいられてます。

さすがに音楽活動で直に接する機会は難しくなるので、各種ネットや秋葉原重工のCDなどでKURAYAMIの活動をサポートして頂けると大変心強いです。今後ともよろしくお願いします。

 Youtube / twitter / bandcamp / Soundcloud

僕の考えた最高のベランダ


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