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プロレス超人列伝第18回「ジェイク・ロバーツ」

プロレスは厳しくツライものであるが、それを耐え抜いて生きてきたレスラーには温かい場所になることがある。

今回紹介するジェイク・ロバーツはそのプロレス道に浸りきった数少ない男の一人であるといえるだろう。

1955年、父グレゴリーの元で生まれたジェイクであったがその生い立ちは複雑であった。

母親は14歳で自分を産み、父はなんと元々母親の母つまり祖母の恋人であったなど…実父のと関係もぎくしゃくした仲で成長をしていたといわれている。

また、実父よりも尊敬していた義理の父も事故でこの世を去るなどまさに不幸の世界の中でジェイクは生きていた。

父のことを嫌っていたジェイクであったが、同様に父を求めていたということはあるのかもしれない。

父がそうであったようにプロレスラーとしての人生を志したジェイクは1975年にデビューを果たした。

アメリカでは近親縁者にプロレス関係がいれば必然的にプロレスのリングに上がる、俗にいうファミリービジネスとしてプロレスは展開している。

ジェイクもその王道にそったわけである。

ただの七光りでは生きていけないプロレス世界であるが、ジェイクは持ち前の機転と運動神経をいかして父の威光など微塵にもよせないレスラーとして大成する。

また基本的に、主戦場はアメリカであったが、当時存在していた国際プロレスでもラッシャー木村と試合を行っていたこともある。

やがて、ジェイクはベビーフェイスとして中途半端な立ち位置にいる自分を反省…悪役転向つまりヒールターンを果たす。

その時生み出されたのが「ザ・スネーク」というキャラクターであった。


これがまた大ヒットとなった。

独自の暗い性格をしていたジェイクは何をしでかすかわからない不気味なサイコ系ヒールはハマリ役であった。

やがてNWAやWCCWなどを経て、1980年代にはWWFに移籍をすることとなる。

WWFで彼の才能はさらに磨きがかかっていった、「ザ・スネーク」のキャラクターもより不気味なものになっていた。

試合の最中に蛇を持ってきて同時にリングインをさせて相手選手を動揺させるという独自のパフォーマンスも人気を博す理由になった。

ここで、「ザ・スネーク」のキャラクターの説明をすると…大抵の場合ヒールレスラーは激しく怒鳴ったり高笑いをしたり相手を罵詈雑言とともに侮辱するなど『動的』なパフォーマンスをするが、彼の場合はそういったものはしない。

相手に忍び込み、毒牙で噛みつきじわじわ追い詰めるように静かに語り掛け相手の心理に徐々に左様するようなマインドコントロールをするのがジェイクの本領である。

例えばアルティメットウォリアーを言葉巧みにだまし、複数の毒蛇が待機している部屋に忍び込ませ毒で昏睡させたり、対戦相手であったランディ・サベージの結婚式に「ご祝儀を送る」といってケーキの中に隠したヘビを呼び出して錯乱してる状態で奇襲をかける…。


そういったバラエティにとんだ策略で観客のヘイトを買う、そんな独自のヒール性が彼にはあった。

80年代ー90年代序盤ではWWFを代表する選手として第一線で活躍を続けていた。

このシリアスなヒールキャラクターは今現在でも、ワイアットファミリーや
CMパンクなどに影響を与えており、世界中の団体で彼のバカバカしさがないリアルで不気味なヒールレスラーを今現在でも生み出し続けている。

試合の方はというと、これもまた素晴らしく。

必殺技のDDTはつかんだ相手の顔面を床に叩きつけるという純粋にかなり痛いビジュアルがまた好評であった。

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このDDTはプロレスラーとしては体格に優れているわけでもスピードがあるわけでもなかったジェイクにとっては抜群の売りになり、それ以降多くのレスラーに使用されるほど愛好される技として定着していた。

やがて、時は黄金の80年代がややクレイジーになっていた90年代に移っていった。

彼も1991年にWWFを離れ、WCWに鞍かえをしていった。

だが、WCWでは思ったような成功を収めることはできなかった。

それ以降は団体を移り変わりしながら1996年にはWWFに戻ってきていた。

だが、そこで彼は以前のような思うような華々しい成功を収めることはできなかった。

と、同時に彼は私生活でも薬物や精神面が悪影響して、問題を起こすことなる。

これはドキュメンタリー映画「ビヨンド・ザ・マット」でも描かれているが、ジェイクの私生活は薬物とアルコールでグチャグチャになっており家族とも絶縁状態にあったのだ。

こういった私生活が悪影響をして長い間メジャー系団体からお呼びがかかることはなかった。

だが、そんな彼にも転機が訪れる。

かつてWCWで同じ釜の飯を食っていたダイヤモンドダラスペイジから救いの手が差し伸べられたのだ。

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DDPは自身のヨガ教室を持っていた、これは俗に言われる「DDPヨガ」である。

ビヨンド・ザ・マットのジェイクのすさんだ生活をみて心配したDDPはジェイクにコンタクトを取り、彼の私生活を公私にわたり支えることとなった。

幼少期のトラウマから逃れられないジェイクをDDPは寄り添い、時に突き放しながらも常に応援していた。

やがて、ジェイクはそんなDDPの声に従うようになっていた。

ここの話は「ジェイク・ザ・スネークの復活」という映画に詳しいが、非常に面白く中々見れる機会がないのが残念である。

そして、2014年…。

彼はWWEに帰ってきた。


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年齢は過ぎていた…もう若くはない…だが彼は健在であった。

長い間彼の相棒を務めていた蛇のダミアンも元気だった。

(追記:ダミアンはどうやら代替わりをしているらしい。初代のダミアンは天国にいっているか、引退している可能性がある。)

多くの選手はジェイクを大歓迎、彼の大ファンであったヒールのディーン・アンブローズ(現ジョン・モクスリー)も思わずにんまりであった。

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やがて、これをきっかけに彼の人生は徐々に明るい光が見え始めた。

そして、現在…彼はなんとWWEのライバル団体になるほどの成長をおさめた「AEW」にも出演をしている。


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もう以前のような試合を行う事はできないが、彼の演じる役回りは若いヒールたちをその円熟した知識と策略でカバーするマネージャーとしてものであった。


2021年現在、彼は団体への出演を控えているが長期間の契約をすでに結んでおりいつでも出演することは可能になっている。


プロレスで人生を壊したロバーツであったが、プロレスで救われることとなったのだ。

捨てる神がいれば拾う神がある、プロレス世界を震撼させたジェイク・ザ・スネークの伝説は今まだ更新され続けているのだ。



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