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プロレス超人列伝第24回「ビッグバン・ベイダー」

皇帝戦士、一見逆の身分であるはずのこのあだ名も彼が使えばカッコよくなった。

今回紹介するレスラーはビッグバン・ベイダーことレオン・ホワイトである。

1955年アメリカで生まれたレオンは当初はアメフトのエリート選手だった。

大学を卒業後、NFLの世界で活躍したベイダーであったがアメフトの世界では彼は何度もケガを行いとうとう1980年には解雇されることとなった。

しかし、大卒という学歴・そしてNFLというアメリカ最強のスポーツでの経歴はどこでも歓迎されるものがあった。

NFLから引退したあとはアマチュアボクシングなどで活躍、友人でもあったブラッド・レイガンズの誘いを受け1985年にはプロレスの道へと向かうのだった。

当初、AWAのベビーフェイスとして君臨。

さらに当時のAWAチャンピオンであったスタン・ハンセンやあの天才ブルーザー・ブロディともライバル関係であったことからAWAからかなり期待されていたことがうかがえる。

その後、マサ斎藤によりスカウトを受けたレオンは1987年に衝撃の新日本デビューを果たす。

その頃新日本では第二のタイガーマスクともいえるマスクをつけた選手の開発にいそしんでおりその候補として後にWWFでアルティメットウォリアーになるディンゴ・ウォリアーとレオン・ホワイトがあげられていた。

ディンゴは残念ながら猪木の色眼鏡にあわず、レオンがそのキャラクターのギミックを受けることとなった。

そして、とうとう誕生する…。

ビッグバン・ベイダーが!!


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ちなみに、ウルトラマンタロウに出てくる強敵・テンペラ星人をイメージしたマスクはあの永井豪発案の物である。

当初のギミックはTPGことたけしプロレス軍団の刺客であったが、この当日に予定の変更などの影響でイラだっていた観客はたけしにもブーイングを浴びせた。

そんな中、猪木ををKOするという圧倒的な見せ場をみせつける。

この結果にキレた観客たちは暴動を起こしたそうだが…逆に言うとそこまで圧倒的な存在感が彼にはあったのだ。

その後は1980年代‐90年代前半を象徴する悪の権化として君臨し、新時代のヒールレスラーとして次第に善悪を越えた人気者として君臨する。

このころの彼は宇宙から来た宇宙怪獣のような何とも言えない不気味さがあったのだ。

その後はIWGPヘビー級王座やタッグ王座などを獲得、プロレス界にその名を轟かせることに成功する。

特にレッドブル軍団というソビエトから来たレスラーと対戦した時、ベイダーはアマレスエリートの多いソビエト系のレスラーを本気のパンチでボコボコにしたのだった。

彼はただのプロレスラーではなかった、本当に強かったのだ。

これはプロレスの範疇を越えており、いわゆるガチことシュートであったと今では語られている。

1990年にはスーパーファイトIN闘強導夢でかつてのライバルであり、全日にいたスタン・ハンセンと試合を行い、片目になっても戦うという驚異のタフさをみせつけ多くの観客の尊敬と崇拝を集めた。

恐らくこの試合こそベイダーのベストバウトであると信じて疑わないファンは今でも多い。

やがて、ベイダーは日本を越えメキシコにも侵略を開始した。

メキシコではカネックを倒し、UWA世界ヘビー級王座を奪取。

1991年には母国アメリカ第二の団体であったWCWにも進出した。

WCWでも日本時代と変わらない怪物ヒールとして君臨し、リック・フレアーやスティングと対戦、WCW世界ヘビー級王座を獲得した。

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しかし、90年代以降ベイダーは新日本よりもWCWを主戦場にするようになっていったようだ。

正直言った話、これはベイダーの全盛期の終焉を意味していたともいえるのかもしれない。


1993年には日本での主戦場をUWFインターにうつり、髙田延彦を倒しここでもプロレスリング世界ヘビー級ベルトを獲得した。

その後、WCWからも離れると再び新日本に舞い戻る、かと思えばWWFに移籍、それも1年ほど辞めて全日本に移籍など不安定なキャリアを少しの間みせていた。

そして、彼は1996年…WWFに移籍することとなる。


これは彼の長い人生の中でもたった一つといってもいい汚点になってしまったのだった。


その当時、WWFを牛耳っていたのはショーン・マイケルズ率いるクリックだった。

長い間WWFにいたクリックのメンツからすれば、ベイダーはWCWや新日本にいたアウトサイダーそのものだった。

自分たちのやり方に従わないベイダーに不利なアングルを組ませたりほぼいじめのような扱いを受け、1998年にはWWFを離脱することとなった。

恐らくWWF的には新日本やWCWよりもWWFのが凄いんだというアピールでもあったのではないだろうか。


そもそも、ベイダー自身がWWFを嫌っていたというのも理由の一つにされている。

その後、ベイダーは全日本に移籍して仇敵であったハンセンと共闘して活躍をしていく。

恐らくベイダーにとってアメリカ本国は逆にあまり向いていなかったのではないかと個人的には思うところがある。

やがて、全日本から2000年にはノアに移籍。

しかし、日本の暴力団と揉め事を起こしてしまい三沢に恥をかかせたくないと思っていたベイダーは2003年にはノアからも離脱を決断することとなった。

その後、世界中の複数の団体を不定期に参戦を重ねていく人生を歩んでいった。

そして、2018年…ベイダーことレオン・ホワイトは63歳でこの世を去ったのだった。

あまりにも早すぎる死に世界中のファンは驚愕した。


晩年の彼はアルコール依存症や相次ぐ病に苦しんでいたそうだ。

悲しい皇帝戦士、彼の人生には実は孤独があったのかもしれない。

新日本を離れた後の彼は思えばあまり長続きしていない。

1番彼が幸せだったのは新日本にいたころだったのではないか、と個人的には思うのである。






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