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神々が手にしていた道具

勿論、こんな話をすると当然のように反対意見がでるものだが、今回はかつての地上には、あるひとつの統一された強固な文明が広がっており、人々はその「教え」のもとにいたのではないか、というものだ。

過去に存在していた文明が残したレリーフの神々は、片手にハンドバッグを持っていることがある。
非常に現実的な道具だが、神々がこれを所持しているということは、必ず何らかの意味があるに決まっている。

片手にはパインコーン(?)を持っていることが多く、普通に考えれば、この植物を入れておくためのハンドバッグだと思われる。
しかし疑れば切りがなく、本当にそれだけの意味しかないのだろうか。

そしてこの「教え」はもしかしたら広く世界に蔓延していたのかもしれない。
このハンドバッグをもとにされたと思われる遺物が他の地域でも見つかっているからだ。

もしこれらのものが神々の道具を模しているのもであれば、過去に存在していた絶大な力を崇拝して作製された、謂わば神の力のレプリカに他ならない。
ただしその製作過程において、道具本来の使い道や意味を理解することは適わなかったようだ。

オーストラリア 5000年前

上にあるものはオーストラリアで見つかったもので、およそ5000年前のものと推察されている。
オーストラリアといえば早くに巨大大陸から離れ、そのために独自の生態系や生物がいることでもお馴染みとされているが、それほど昔から海により隔絶されていたにもかかわらず、ハンドバッグを持つ神(この画からは神かどうかはわからない)が描かれるに至っている。
神のハンドバッグを知り得る人々が、この大陸にいつの頃からか生活していたということになる。

手にしているのは光線銃? それとも?

更にトルテック帝国の石像であるが、これは右手に奇妙なものが握られていることで有名な石像だ。
これが何なのかは正直なところわからないが、当時は存在し得ない銃器の類、もしくは近代的な道具ではないかとされることが多い。
勿論、これは過去に途方もない強大な未知の文明があったということになる。
こうした未知の文明を世界の「外側」に求めるものだが、そこまでいかないにしても、もしかすると神々の道具が形を変えて伝えられていたものではないか。

シュメールの神が形を変えたものか?
ケツァルコアトル

南米の神にも散見されるハンドバッグの痕跡。
それは広く影響を与えていたとしか思えない。
この「道具」を知識として携えていた者たちが、かつて地上を席巻していたのではないだろうか。
そして日本への影響はどうだろうか。
この場合、可能性として考えられるのは「銅鐸」だろうと思う。

どうだろうか。
こうやって見てみると、銅鐸としてよりも、世界に散らばっている神々のハンドバッグが形を変えたものとして、充分に考えられるのではないか。
その土地に生活している人々の様式によって、より生活に密着した形となり独自の形となる。
そしていつしか本来の意味を見失うことになる。
このようなことがこれまで何度も繰り返されているのではないだろうか。

ちなみに銅鐸はオークションサイトに出品されている。
もし興味があるのであれば購入することもできる。
もしかすると神々の道具を象った神器のレプリカという可能性がある。
その効果たるや・・・。


このテキストの動画版もつくりました。
併せて見ていただけたら幸いです。


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