目標のお話

小学生の時は将来の夢がはっきりとあった。
私は、"獣医師"になりたかった。
理由は至って単純で、動物が好きで動物に関わる仕事って考えて最初に思いついたのが獣医だった。
そんな単純な理由で夢にしていたけれども、年を重ねる毎に夢への思いは強くなっていった。
中学生の時もこの夢は変わらず、高校生の時も同じ。だから、高校生の時は獣医学科に進学するためにかなり勉強した。でもこの勉強をしているときは不思議と辛くなかったし、迷いも一切無かった。
それは今考えてみると、とてもシンプルな話で、『獣医師になるためには、獣医学科に入る必要がある。獣医学科に入るには今の自分の学力は圧倒的に足りない。だから勉強しないといけない。』って自分で理解していたから。だからむしろ楽しかった。
高校生の時の思い出はほとんど勉強だった。友達と遊ぶ事も全くしなかった。それだけ目標向って努力することが楽しかったんだと思う。振り返ってもこの時のことに関して後悔は全くない。
でも、何かが足りなかった。結局、獣医学部には入学できたけれども、獣医学科には入れなかった。
つまり、獣医の資格を取れる学科には入れなかった。動物に関することを学べる大学には入れたけれども、獣医師になるっていう目標をそこで失ったように感じた私はただただ入学後2年間を無駄に過ごしてしまった。転科試験を受けるとか色々方法はあったと思うけれども、そこまでの発送に至らず”大学に入学できた"という安心感にあぐらをかいてしまった。2年間はバイトとオタク活動でそれはそれでとても充実していたし、めちゃくちゃ楽しかった。
今思い出してもやっぱり楽しかった記憶しかない。でもそれは高校生の時の目標に向って勉強していた楽しさとはまた違った。
そうして大学3年になると、研究室に所属することになった。これが、また人生を大きく左右した。
研究が非常に楽しかった。教授が非常に懐が広く、気になることややってみたい実験は、計画を立てて推測される得られるであろう結果を説明したらとりあえずやらせてくれる教授だった。その分、失敗したときは厳しく指導されたけれども。自分で考え、実験して失敗してまた考えてまた実験する。今までやらされていたと感じていた大学の授業や実習とは違って、自分で何かを成し遂げる事が楽しかった。この感覚は高校生の時の"獣医師になる"って目標に向って勉強してたころと同じ楽しさだった。
そのうちある実験で、学部生のうちには結果が出ないであろう研究をやりだした。なんとか最後までこの研究を自分でやり遂げたいと思い、大学院に進学することを決めた。迷いは全く無かった。
否定せず、進学することを応援してくれた両親には感謝しかない。
大学院でも色々な研究をやって、様々な事をやった。しんどい事もあったけれどもやっぱり楽しかった。自分で決めたことだから、しんどくても楽しさは倍増だった。
そして、今。社会人になった私は日々がつまらないなって思ってしまっている。辛いと言っても良いと思う。今は明確な"目標"がない。仕事にしてもやらされているという感覚が強いから楽しくなく辛いんだと思う。
以前、noteでレールが引かれてたって書いたけれどもそれは間違ってた。改めて振り返ってみると、自分でやりたいことを決めてそれに向って努力してきたんだ。それが楽しかったし、楽しいってことを知ってるから今が辛いんだとわかった。
会社は組織に所属しているため、その組織に沿った目標を立てなければならない。その目標は自分の目標とは違うから苦しいし辛いし楽しくないと感じてしまうんだろう。
仕事とは別のところで、何か目標というか本当にやりたいことを見つける必要があるなと実感した、そんな夏の終わり。

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