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「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」のまとめ

 先日読んだ本、「ネガティブ・ケイパビリティ」
 とてもいい本だと思いました。

 ネガティブ・ケイパビリティとは「不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度」のこと。
 ネットで調べれば、おおよその物事に対し、瞬時に答えらしきものが見つかる現代だからこそ、この考え方の大切さが際立ちます。

 一方で、現代社会の多くの場面で求められるのはポジティブ・ケイパビリティ、問題を特定し解決することです。それも可能な限り早く。
 どちらか一つだけではなく、二つの考え方を両方押さえておくことで、生きることが少しだけ楽になるのではないかなと感じました。

 以下に、この本のポイントをまとめます。
 なお、各章のタイトルは実際のタイトルに補足を加えたものです。

  <2024/5/6 補足>
 ただし、ネガティブ・ケイパビリティのは創作の分野で産まれ、精神医療の分野で再発見された概念であることに注意が必要です。これは様々な分野に適用できる考え方ですが、創作や精神医療以外の分野では重みが違ってくるのではないしょうか。例えば、不断の決断が求められる政治の世界においては、ネガティブ・ケイパビリティを重視しすぎてはいけないような気がします。

第1章:イギリスの詩人キーツによるネガティブ・ケイパビリティの発見

・経済的困窮の中で、キーツはネガティブ・ケイパビリティを発見した
・キーツは受身的能力、共感的・客観的想像力と表現
・詩人や作家が外界に対し有すべき能力
・弟たちへの手紙の中で記述した概念である
・キーツがネガティブ・ケイパビリティという言葉を記述したのは生涯1回のみだった

第2章:精神科医ビオンによる再発見

・晩年のビオンが精神分析医に必要なものとしてネガティブ・ケイパビリティを挙げた。
・ネガティブ・ケイパビリティとは「不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度」
・ネガティブケイパビリティが保持するのは「形のない、無限の、言葉では言い表しようのない、非存在の存在」
・ネガティブケイパビリティという状態は「記憶も欲望も理解も捨てて」初めて行きつくことができる
・精神科医は精神分析学の理論に患者を当てはめてしまいがち。半端な知識で定理に基づき物事を見ても、見えるのはその範囲内のみ。思考は範囲外にまで広がらない
・精神分析学の記憶や理解があると、安易に結論づけてしまい陳腐な解釈にとどまりがち
・しかし、精神分析学の問題はたいていの場合、漠然としてつかみどころがなく、即座に解けないような事柄である
・子供は事象に直面した時、見たまま感じたままを口にし、振る舞い、絵に描く。その内容は大人には理解しがたいものもある。それは子供には記憶も欲望も理解もないから。

第3章:ネガティブ・ケイパビリティを軽視しがちな、「『わかりたがる』脳の傾向」

・脳はわからないものがあると不安になる
・物事をわかりやすくし、不安を減少させるためのツールがマニュアル
・マニュアルがあれば緊急事態でも脳が悩まずスムーズに対処できる。
・しかし、マニュアルにない事態の発生時、マニュアルに慣れ切った脳は思考停止に陥ってしまう
・キーツは詩人や作家がヒトを含めた自然と対峙したとき、不可思議さや神秘に対し、拙速に解決策を見出すのではなく、興味を抱いて宙づりの状態を耐えろと主張した。ヒトと自然の深い理解に行きつくためには、その方法しかない。
・わかりたがる脳が、わからないものを前にして苦しむ典型例が音楽と絵画。
・音楽はわかることを前提としていない。抽象画も同じ。雄大な景色を目の前にした時のように、ただ味わえばよい。晴れた日の山頂からの景色を見て、「わかった」という人がいるか?
・精神科医ビオンの言葉「答えは好奇心を殺す」
・作家黒井千次の言葉「それにしても、とあらためて考えざるを得なかった。謎や問いには、簡単に答えが与えられぬほうがよいのではないかと。不明のまま抱いていた謎は、それを抱く人の体温によって成長、成熟し、更に豊かな謎へと育っていくのではあるまいか。そして場合によっては、一段と深みを増した謎は、底の浅い答えよりもはるかに貴重なものを内に宿しているような気がしてならない」

第4章:ネガティブ・ケイパビリティが軽視されがちな医療現場

・一般的な学校教育で教えられるのは問題解決能力
・答えの用意されている問題に対し、できるだけ迅速に答えを出す能力が試される。医学教育ではそれが著しい
・現実では、問題が見つからない場合や、問題への解決策がない場合もある。
・終末期医療では問題の解決策がない。人は死ぬ。
・主治医としての終末期医療への最適解は、何もしてあげられないのだから、できる限りエネルギーを割かないことか?
・そうではない。主治医が患者や家族に共感し、寄り添うことは患者にも家族にも助けになる
・「日薬」と「目薬」
・「日薬」:すぐに解決しないような病気に対し、その日できることをを継続的に続ける。先のことはわからないけど、何とかしているうちに何とかなる(医療であれば時間を稼げばヒトの自然治癒力で回復する場合もある)
・「目薬」:ヒトは誰も見ていないところでは苦しみに耐えられない。他に何もできなくても、見守っている目があれば耐えられる
・セネガルの言い伝え「人の病の最良の薬は人」

第5章:ネガティブ・ケイパビリティが必要とされる精神科医への身の上相談

・精神科医への身の上相談には、解決法を見つけようのない悩みが多く含まれている。仕事、家庭、体調への不安、etc
・個々の患者さんの問題に粘り強く向き合うことが求められる。それは間に合わせの解決で帳尻合わせをするのではなく、ただ、話を聞き、問題が何かわからない、もしくは解決が困難であるという宙ぶらりんの状態に耐え続ける必要がある。
・ネガティブ・ケイパビリティを知っていなければ、解決方法を見つけようのない悩みを持つ患者と向き合うことから逃げ出していたかもしれない
・設備もスタッフも不十分なインドネシアの病院の精神科教授が言った言葉「治せないかもしれませんが、トリートメントはできる」
・治癒させるのではなくケアするという考え方

第6章:ネガティブ・ケイパビリティを活用した伝統治療師(メディシンマン)

・わかりたがる脳がわからないものに直面した場合、不安になる。不安を解消するために「意味づけ」をしようとする。
・「意味づけ」においては、楽観的な希望の付加が起こる。
・例えば「あなたの運転技術は平均より上か?」という質問に対し、93%がYesと回答した。わからないことに対し、ヒトの脳は希望的観測を踏まえ楽観的に考える
・米国の経済学者の調査では、楽観的な人の方が、悲観的な人よりも勤務時間が長く収入が多い。離婚後の再婚率も高い
・ヒトの脳は悪い記憶を忘れ、よい記憶で上書きされていく
・うつ病になるとなんでも悲観的に考えるようになってしまう
・楽観的な希望を抱く脳の性質を利用し、ネガティブ・ケイパビリティを活用しているのが伝統治療師(いわゆるメディシンマン。例えば祈祷師、占い師)
・著者はかつてメディシンマンを軽蔑していた。非科学的な治療をする詐欺師だと思っていたから
・英国人精神医学研究者の言葉「精神療法家は(中略)伝統的占い師の直接の継承者とみなすことができる。現代精神医学の勝利は薬理の領域内においてのものであり、社会的処遇の面ではそうとも言えない。この分野は伝統治療師の方がよく実践している」
・つまり現代の精神科医は薬の効き方はよく知っているが、患者の扱い方はメディシンマンに及ばない
・メディシンマンのやっていることは結局のところ「日薬」と「目薬」
・例えば「山の薬草を取ってこい、それを飲めばよくなる」は「日薬」である。家族に薬草を探すという目的を与えるとともに、病人を鼓舞する。病人が気力を取り戻せば、自然治癒力により快方に向かうための時間を稼ぐことができる。
・例えば「お守りやお札を貼っておきなさい」は「目薬」である。お守りやお札に守られているということは、超常的な存在に見守られているということであり、他者の目を意識させる効果がある。これによって気持ちに張りが生まれる。
・メディシンマンによる祈祷などはいわゆるプラセボ効果(希望や気の持ち方が心身に治癒力を発揮すること)を狙ったものであり、医療分野でも実証されているものである(世間には大金を奪う詐欺まがいの健康食品などもあるけれど…)。

第7章:ネガティブ・ケイパビリティなしでは成立しない創造行為の奥深さ

・事例の紹介が主のため省略

第8章:ネガティブ・ケイパビリティを活用したシェイクスピアと紫式部

・事例の紹介が主のため省略

第9章:ネガティブ・ケイパビリティが失われ、殺伐としてしまった教育

・教育に共通しているのは問題の設定と回答の方法。それもできる限り迅速に。
・問題解決が強調されると、問題を平易化・単純化しがち。その結果問題が現実と乖離して、机上の空論となってしまう。
・フランスの学校では小学生でも落第がある。日本はない。画一的な教育が求められ、ついていけない子はドロップアウトしてしまう。
・画一的な教育を行うのは、教える側の思惑。答えのある問題に早く回答ができるように教える必要がある。そのために解決できない難しい問題は排除されている
・解決できない問題を排除した結果、教える側も教えられる側も視野狭窄に陥っている。親はそれ以上。
・難しい学問は研究の分野の範疇となる。研究に必要なのは「運(luck)・鈍(熟慮)・根(根気)」これはネガティブ・ケイパビリティの別な表現でもある。
・問題解決能力(ポジティブ・ケイパビリティ)と、どうしても解決しないときにも、持ちこたえていくことができる能力(ネガティブ・ケイパビリティ)
・今すぐに解決できないくても何とか持ちこたえていく、それは一つの大きな能力なのだ。

第10章:生き延びるために必要な寛容さ

・争いが生じた場合、どちらの側にも言い分があり、欠点もあるのが当たり前である。その時に自分はどちらかが正しいと決めなければならないのか?
決定しない者は、曖昧主義の卑怯者、どっちつかずの無力者として評される。
・どちらの言い分も認める者は寛容である。
・寛容は大きな力を持たない。だが、寛容がないところでは、物事を極端に走らせる。結果、取り返しのつかない争いが生まれる。
・寛容を支えているのが、ネガティブ・ケイパビリティである。

以上


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