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マキアヴェㇽリ 『マンドラゴラ』

 明けましておめでとうございます。2023年初めての投稿です。本年も宜しくお願い致します。
 いつもは、ベトナム近代史に纏わるあれこれを書いていますが、今日は新年スペシャル(笑)で、『安南民族運動史概説』の著者大岩誠氏の翻訳本、マキアヴェッリ著『マンドラゴラ』の紹介と正月読書の感想です。😅

  先に、昭和16年発刊の『安南民族運動史概説』を元にして『安南民族運動史』シリーズを投稿してますので、ご一読頂ければ幸いです。『その(1)グエン朝成立の頃』にも書きましたが、大岩先生のベトナム人との出会いは留学先のフランス巴里(パリ)でした。

 「私が越南の民族運動に多大の関心を持ったのは昭和6年前後、私がパリに留学していた当時のことである。恰も当時は昭和5年の安沛(エン・バイ)事件に引き続く大小の独立運動によって、越南の全土は元よりフランス本国殊にパリにおいても、様々な国体が種々な見地から、此の惨澹たる植民地の運動に刺激されて活発な運動を展開していた。或る機縁から、私は越南の若い志士たちと知り合い、彼等の生活を知り其の解放自立の活動を助けて共に戦った。」 
            
『越南民族運動史概説』より

 あの頃大岩氏がパリに留学してくれたお陰で、『安南民族運動史概説』(1941)を書き遺してくれたこと、そして強い『ベトナム愛』を感じる『安南民族運動史概説』の理由が、巴里で知り合った若いベトナム志士との交流だったという事に、本当におこがましいですが、私は非常に親近感を持ちました。😊 内容も非常に勉強になりますので、古書好きの主婦の方には是非お奨めの一冊です。(”そんな人いないよー!” ←我が家JKの新年の一言。。💦😅😅)
 政治思想史がご専門だった大岩氏は、モンテスキューやカムパネルラの翻訳と、特に、『君主論』で有名なニッコロ・ディ・ベルナルド・マキアヴェッリ(1469‐1527)の著書翻訳が多く、そんな訳でベトナムに長く住んだ(だけ😅)の主婦の私が、いつの間にか何故かマキアヴェッリを読むようになりました。。

 「…15世紀ルネサンス・イタリアに生まれ、その故郷フィレンツェ市共和国の役人になって働いた人物で、その職務は、今の言葉で言えば、外務書記官とでもいう役だった。29歳に初めて公務に就いてのち約20年に亘って対外関係の事務に携わり、近隣の諸大国の宮廷に派遣されて、つぶさに、国際政治の表裏を会得したのである。」
          
『マンドラゴラ 解説』より
 
 マキアヴェッリが生きた時代のヨーロッパは、近代民族主義国家が成育しようとする時代、次第に小大名から大大名の手中に権力が収まって行く時代であり、16世紀この傾向が顕著になっていったそうです。スペイン、フランスが大国として台頭し、1人の君主に覇権が握られ専制政治が行われるようになりました。社会風潮が「露骨な利己主義」に傾き、「権謀術数主義」が当然とされ、「目的が手段を神聖にすると考えられた時代」だったそうです、この時代の目的は、「現世の人間的要求」つまり、「肉体の欲望の成就」。。。(バブル後の日本に似ているような。😅😅気のせいかな。。)

 有名な「君主論」は、フィレンツェのメディチ家に追放されたマキアヴェッリが追放解除、公職復帰を求めて書いた就職論文がその原文だそうですが、その時代の政治人の姿を描いた「君主論」の戯曲化に当たるのが「マンドラゴラ」でして、1504年に市国で起こった出来事が題材になっています。

 「マンドラゴラ=曼荼羅華(まんだらげ)」は、「チョウセンアサガオの一種、古来、吐剤、下剤、又は麻酔剤として地中海諸国で賞用されていた。その毒性を転用して外科手術にクロロホルムなどと同じ様に使われていた」薬用植物。その毒性を「権謀術数」に利用して繰り広げられる事件を題材にしたこの芝居が、1520年フィレンツェで初上演されて大評判を博したそうです。

 「…かくて失意の外交官ニッコロは、一躍イタリアの大劇作家としての地位を与えられ、ローマの都にまでその名声は雷の如く鳴り響いた。…作者は遂に文豪としての永遠の名を与えられるに至ったのであった。」
 「…蓋し政治、外交の生業は人間の表も裏も知っている達人の仕事である上に、その政治、外交の論議は、畢竟、文学の一つのジャンルであるべきもの…。この認識は、ひからびた論理の塔に立て籠る政治科学者、そこはかとなき物識の評論家たちには恐らく無縁の事柄であるが、一般の市民にとっては寧ろ当然極まる骨法だからである。」
           
『マンドラゴラ 解説』より

 要するに、政治・外交は、役人・政治学者・評論家では到底役者不足で、人間の表も裏も理解した『本物の人間=政治家』でなければ、政治や外交など出来る筈がない、そんなことは一般市民の常識だと。そう云えばそうですよね、『人情や正義や道理=表面』が消え失せ、『忖度や権謀術数や裏取引=裏面』だけの社会、『裏面』『表面』の様に振る舞う社会は、何とも暗く嫌な感じです。。。

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 『マンドラゴラ』の登場人物は、
    *フランス帰りの裕福なフィレンツェ人の若者
    *金持ち老博士
    *老博士の若く美しい妻
    *身を持ち崩した修道士
    *居候
    *下男
 あらすじは大雑把に言うと、美しい人妻に恋をした若者の願いを叶えてあげて金儲けしようとした居候男が、一芝居を考え出します。子宝に恵まれない夫婦の悩みに付け込み、「マンドラゴラ」を妻に飲ませて、その晩妻の身体から出る毒を他人に吸わせて毒出しすればきっと身ごもるというのです。結局、妻の寝床へ若者を運んだ老博士は、妻からも裏切られることになりました。

 「マンドラゴラ」が「君主論」の戯曲化ならば、やはり「老博士」が「君主」に当る。とすれば、君主=リーダーは、如何にあるべきか? 😅😅

 老博士は、最後の最後まで全く気が付きません。皆が自分達夫婦の為に懸命に働いてくれたことに深く感謝し、沢山の褒美を出しました。周囲は誰もがこの悪事に加担し秘密を共有しているというのに。。。 

 「今日此頃の習わしは、世のひとすべて押しなべて、見たり聞いたりいたさるる此の世の悪しきことがらも、高見の見物と澄しこみ、人前はばかりこっそりと嘲り笑い給うこと。さればこそ今日此頃の世の中に、かつてはありし古(いにしえ)の美徳のかげも姿を消したる次第にござりまする。何ゆえかくなり果てたるかと申しますならば、世のひとすべて表面(うわべ)を飾り、楽しむは棘ある陰口ばかりと承知いたさば、誰ひとりとして苦労をかさね、風吹かば散り去り雲来たらば姿も見えぬ下らぬ仕事にかかり合いいたすものなどござらぬゆえにござります。
 さはさりながら、万が一、この狂言の作者をば、悪しきざまに罵りわめき、作者の毛をつかんでひき倒し、またそのほかの仕草にて脅やかされる御仁があれば、手前も憚らず申し上げましょう。手前の作者はその御仁に負けず劣らず盛大に悪口雑言必ずいたしまするが、それはそれ、その御仁のお教え下さる仕草の真似ごとにござりまして、この世界いづれの国に参りましても、何でも彼でも「御仰せ御尤も」などとあいまいなることを申すやからは、やがて豪勢な身分になりましょうとも世のひとすべてに見捨てられ見下げられまするものぞ、とな。」
        
『マンドラゴラ プロローグ』より

 今から約500年前に、『君主論』の”戯曲版”として絶大な称賛を受けたマキアヴェッリの「マンドラゴラ」
 ズルや不正がバレてもニヤニヤして、「御仰せ御尤も」、なんて答えて平気でいる人、昔の日本では殆ど見かけませんでしたけど、最近結構見かけませんか。。?!😅😅
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 
 
 

 

 


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