本当の近衛文麿(このえ ふみまろ)氏の姿

 私が2,3年位前から非常に不思議に思っていること、それは近衛文麿(このえ ふみまろ)が日米戦争を策謀した』という説の存在です。。。 

「近衛は、単なるポピュリストに非ず! 用意周到に己の野望を実現するための布石を着々と打っていた近衛は、首相時代は赤色分子(風見章・尾崎秀実ほか)を重用し、「敗戦革命」を夢見つつ戦争末期には近衛上奏文(反共宣言)でアリバイ工作。そして戦後はいち早くマッカーサー詣でをして、自ら改憲の音頭をとり、あわよくば昭和天皇を退位させて親米政権を樹立しようとしました。勢力均衡の中で生き抜いてきた公家の名家としてのDNAをフル回転しての巧みな遊泳術ともいえます。あと一歩で、その目論見が成就する寸前、それに危機感を抱き、挫折させようとした勢力がありました。(中略)彼は、極めて自己本位的に利用できるものは、昭和天皇でもコミュニストでも自分の子供(文隆)でも見境なく利用しました。青酸カリを使っての「自殺」とされている彼の荻外荘での最期の日々の数々の矛盾や不可解な行動も本書で解き明かしていきます。」(アマゾンの紹介文より)

 😅😅😅 別のご本にも、この様に、⇩

「藤原(近衛)文麿というピエロ
 …世界に数多くある有名な家系の中でも由緒ある歴史を持つ藤原氏は、皇室に次いで稀有な存在と言われます。近衛家はその藤原氏一族の中で代表格の家です。…藤原氏にとって皇統は権勢を保持するための道具であり、あたかも「藤」の蔓で締め付けるように寄生し養分を吸い取る対象だったのです。(中略)藤原氏の狙いは一党独裁。すり寄る者は生かすがそうでない者は潰す。(中略)千数百年にわたって権力に執着し続けて来た藤原氏。その末裔の筆頭、近衛文麿は氏祖鎌足から46代目にして藤原の血への信仰が篤かったのです。」
(林千勝氏著『日米戦争を策謀したのは誰だ!』より)

 ”んな、あまりな、ムチャクチャや~。。” (笑)😅

 これ⇧は、仏領インドシナ史を通して見た私の感想です。。だから、この2,3年ずっと不思議に思ってました。
 もし真実の日本史ならば、仏領インドシナ史を当て嵌めても崩壊しないです。戦後日本では完全に無視される仏領インドシナ史を、時とメディア操作で『風化』したり『搔き消したり』は出来ても事実・史実は完全には消えないからです。
 不思議だなぁ…と思う気持ちは止められない。。😅😅 それに、一主婦が異論を唱えたところで影響力は何も無いので、以前この記事⇒ベトナム抗仏志士と近衛秀麿(このえ ひでまろ)(8/12 追記)でご紹介した近衛秀麿(ひでまろ)氏のご著書『風雪夜話』(昭和42年発行)から、近衛文麿(このえ ふみまろ)氏の素顔を見て行きたいと思います。⇩

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 「…僕の先祖は遠く伝説に遡れば、高天原の天児屋根命(あめのこやねのみこと)。その22世の孫鎌足が聖徳太子を補佐して大化の改新を完成した功により「藤原」性を賜ったということになっている。その後太平の世に、この世をばわが世と謳歌した道長(御堂関白、12世)を始め、歴代、書家として日本的に名の通った者が多く出た。菩提寺、京都柴野大徳寺を本拠として、利休や小堀遠州と親交深かった、信尹(三藐院)や家熈(予楽院)は書家として、或いは茶道の開祖としての方が政治家としてより名が高かった。」        『風雪夜話 祖先』より

 近衛家の始祖は「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」「藤原性」は22代後の子孫鎌足が賜ってから。その後子孫の中に関白道真の「我が世の春」時代があり、その他書家あり茶道家ありの大家系で、「一党独裁」どころか「一族独裁」も無理そうです。😅 実際に、近衛家とはどんな家?を文麿氏自身が語ったことは、⇩

 「…生来の天邪鬼であった。…これは亡父から継いだ万年野党精神の現れかも知れない。…ところが兄(文麿)は大変簡単に割り切っていて、いかにも彼らしい答えを出してくれた。
 『それは何も気にすることはない。近衛の家の血統なんていうものは、特に徳川期に入ってからは、関ヶ原で敗けたいわゆる外様の諸藩との政策的な婚姻で、一般に日本人がまだ一国、一郷内の婚姻しかしていなかった時代に京都に在って九州の果て島津藩から嫁をもらったり、蝦夷や津軽の北の辺地との養子のやりとりなどして居り、母は北陸の加賀、我子の代になると開国派の井伊掃部の血統まで引くという日本には類の少ない雑種なのだからな。大天才もいないかわりに、一粒一粒に変わり種が多くて、ありとあらゆる性格が出て来ても、少しも驚くには当たらない。それで大空で列から飛び出した一羽の雁か、池中のコースを逆に泳ぐ一匹の鯉のような天邪鬼が出来て、1人だけ日本人的の枠からはみ出したって別に不思議はない。』」

         『風雪夜話 半生の履歴書』より 
 
 …これでは、万が一一族誰かが突然変異を起こし一党独裁で『藤原家』を再興したところで何にも意味がないに間違いなく。💦💦😅 
 御実弟の秀麿(ひでまろ)氏は、少し年の離れた兄の文麿(ふみまろ)氏との想い出をこの様に語っています。⇩

 「亡兄近衛文麿からは「社会主義」の洗礼を受けた。幼い弟と、まだ小学生であった我々(秀麿氏と直麿氏)が、食後のひと時、シェイクスピアの話、カントの哲学、天体の話など毎日異なった色々の話を聴くのは楽しみであった。しかし、亡兄が多分何げなしに口にした、彼自身悩み抜いて居たに違いない、社会問題中心の話題は、面倒な理論一切を抜きにして我々にもピンと来るものがあった。
 ”およそ良心のある人間はこのことに思いを致さなくてはいけない”
兄は我々には平易に話しかけた。
 ”僕等がこうして毎日を温かい家の中に安心して生活が出来るのに、世の中の一隅には、住むに家もなく、三度の食事にも事欠く人達も居るのだ”
 僕は自分達にも気のつかなかった話を聞かせれて、飛び上がる位のショックを受けたのである。」

 とても心優しい人です、文麿氏は。そして、こんなエピソードも。⇩

「雨中老婆を拾う
 戦前もある年の初秋、臨時国会の休日を利用して軽井沢に向かう途中であった。その当時の悪路の上を、悪天候をついて、大型の車は泥水を跳ね上げながら、本庄を過ぎ、高崎へ向かって走っていた。その当時はまたこの狭い街道で、とくに雨天では行き違う車もあまりなく、歩行者にもほとんど出会わなかった。
 車中には、時おり重い口を開いて、欧州でのヒトラー治下のドイツの内政の話や、内地の政党と軍部とのことなどぽつぽつと語り合う我々兄弟とガラスで遮断された前の席の運転手と三人だけである。
 遠く前方に小さい黒点が見えたと思うと、車はどしゃ降りの中を、はね上げながら、路傍に車を避ける人影を追い抜いて走り去ろうとしていた。丁度その時これを見とがめた兄は、大声に停車を命じた。
 ”どこまで行くのか、聞いてごらん”
 ”今の老婆にですか?そうまでせんでもよろしいでしょう。あんなもの乗せたら、車の中がよごれてかないません”
 ”かまわん!”
 兄の声は大きかった。
 車はしぶしぶ百メートルほどもバックしてこの人影の側でとまった。開かれたドアから乗って来たのは、おそらく、孫娘であろう、幼い女児の手を引いた雨ですぶ濡れの老婆であった。雨具のゴザをぬいで、勿論、くだくだと礼も言わず、黙って前方を見つめたまま座っている。車の主が首相候補の貴族院議長であることなどには、まったくおかまいなく。僕はたまらなく愉快になった。」 
  
       『風雪夜話 近衛文麿』より

 ここ⇧で、「たまらなく愉快になった」という秀麿氏に私は非常に親近感が湧くのです。秀麿氏とは2歳違いの弟直麿(なおまろ)氏も同じく面白い方だったみたいです。⇩
 
 「近衛の血統を引いたにしても、極めて珍しいタイプの人間であった。三木露風氏を敬慕して詩集を出版したり、坪内先生に平安期の長編戯曲を献じたり、洋楽器ホルンをマスターして日本で最初の交響楽運動に加盟したり、又彼が後年に寝食を忘れて没頭した日本古楽の研究、特に死の床に完成した「日本雅楽五線譜集成」は世界的な労作である。」
            『風雪夜話 少年期』より

 この3兄弟の御父上がベトナムの『東遊(ドン・ズー)運動』の恩人近衛霞山公篤麿(あつまろ)です。篤麿公は、こんな方⇩ 

 「ある時、視察旅行中に落馬した際の負傷がもとで類例のきわめて稀なアクティノミコーゼ菌に体内を犯されー…十数回に亘る全身の手術の結果、心臓を弱めてついに死亡した。
 …実は、彼はその手術に当たって当時の極秘の国策を自分の口から漏らしては申し訳ないという理由で麻酔剤の使用を断固として拒否し続けたのであった。
 …父の短かった生涯のことを思うごとによく考えさせられる。大体、明治の男の中でも彼などはことに念頭には『日本』だけがあって『私事』というものは全くなかったかのようだ。(中略)
 …しかし、僕一個としては、話を亡父近衛霞山一人にしぼれば、他の祖先談義などはどうでもいい。42歳で早逝したが、終始明治の日本を近代国家に仕上げることに挺身して陰の一役を買っていた。
 実父のことではあるけれども、彼だけは我が誇りであり、わが処世の指針であり、別に頼る宗教をもたない自分には我が胸に住む神でもある。」
      
   『風雪夜話』より

 どう考えても、藤原氏再興を目論み日米戦争を策謀するような奇男子が近衛家から出るとは想像し難いです。だって、再興してどうする?一体何のため?という大きな理由・モチベーションが、五摂家筆頭の家系に生まれながら昭和時代に敢て危険な橋を渡る理由・メリットが、『お家再興の為』では、、、単なるジョークだ。。。😅😅😅 
 
 ですがしかし、案外庶民の深層心理を突いているとも言えなくもない。何故なら能く周りを見渡せば、日本国民の大多数は数代前の先祖なんか判明せずだから、何時の時代でも『お家再興』は最も分かり易い庶民のゴシップ(週刊誌ネタ)です。
 かと言ってこの令和で、この手のゴシップを本気で信じる若者が増えるとなるとちょっと厄介です。
 近年日本は社会貧困化、少子高齢化、政治・官僚の不正腐敗の所へコロナ騒動、移民問題、地震頻発、物価高騰で大増税、、、、問題山積です。
 暗黒の危機的状況から立ち直って『日本再興』しなければならない大事な時期に、天岩戸で祝詞を奏上してアマテラス大神を外へ出した天児屋根命へ国民がブーイングして邪魔してアマテラス大神が出て来ないで、『日本沈没』とか『植民地日本』とかなんとか。縁起でもない。😅😑😑

 

    
  
 




 

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