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君の青い車で海へ行こう

休みをとってどこかに出かけたら、なんとなく『お土産』が求められる風潮にある。
「お休みありがとうございます。お休み中はご迷惑をおかけすることもあったかと思いますが、皆様にフォローしていただいたおかげでゆっくりお休みできました。ほんの気持ちですが、そのお礼です。」
いやいやいや、たしかに労働は国民の義務。でも、休みを取ることも義務なのでは??休みは自分の好きなタイミングで取れて、仕事は放棄していいんですよね??休みなら仕事と完全に切り離して考えさせてくださいよ。仕事のこと忘れたくて、仕事の人のことなんて考えたくなくて、休みを取っているんだから。なんなら休みを取って遊ぶために働いてお金を稼いでいるんじゃないんですか?労働の対価としてもらったお金を、なぜ、「休ませてくれてありがとう」に費やさなければいけないんだろう?

そんなわたしはお土産を買うことが嫌なわけではなくて、お土産は基本人に喜んでもらえるものだから嬉しい。喜ばせたい人には積極的に買うしお土産コーナーは大好き。
でも職場へのお土産って、必要?
出張の手土産も、一社員として身につけておくべき社会的マナーなのだろうか?
お金をかけて遠くまで仕事をしに行くのに、なぜ自腹で手土産を買って行かなければならないのか。職場で働いている人たちの人数もふわっと確認し、全員に行き渡るかな、くらいの数のものを買う。ほとんどの人に面識がないのにな、なんて思いながら。
別に求められたわけじゃない。だから個人の自由なんだけれども、やっぱり『手ぶらで来た奴』よりも『ちょっとした手土産を持って来た奴』の方が圧倒的に印象がいい。わたしは自分の仕事のやりやすさのためにも人に少しでも良く思われたいので、こんな文句を言いながらも事前に人数をしっかり確認して大きめのお菓子を購入。なんなら好感度アップのために打ち合わせで長く顔を合わせる人たちには違うお土産も購入。

目に見えないルールを従順に守る、社会人の成れの果てだった。

お土産文化の始まりははるか昔に遡り、各地の特産品を交換することから始まったらしい。たしかにそれはウィンウィン。ビジネスの始まりだ。自分たちの力では手に入れられないものを他の地域から手に入れるために、自分たちの強みを活かしてモノを生み出し、交換してもらうことが必要だったのだ。どうやったら効率的に、大量に生み出すことができるのか。それを考え続けることが必要だったのだ。悲しくもそれは努力や知能だけではなく、武力で奪うことも出来るということを知ってしまったわけだが。

こんなことを考えながら、会社の人にお土産を選んでいる自分のことを、死んだ魚の目で蔑んで見てください。会社にはいい人ばかりでたまに息が詰まるという話を、ついに人にしてしまった。みんな優しいから性格悪い人は自分のことを性格悪いなんて言わないよ、と言ってくださるけれど、きっとこの人たちにはそう言ってもらえるんだろうなということを分かって、人を選んでこういう話をしてしまうのが私なんです。圧倒的に計算され尽くした言葉選びで自分の罪悪感を少しでも消したい、救われたい。
言葉の詰将棋を生業として生きていきたいのです。


「お土産ありがとう」って言ってくれた方々、ありがとうございます。そして、お土産ありがとうございます。
一度会って会話もしたし、私のこと、忘れないでくださいね。

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