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帝都に咲く花1 ~立志編~

以下の文章は戦争小説です。基本的に一般的な世界線とは異なり、
著者の趣味、妄想、思想も含まれますので諸々のデータは
史実のものとことなる場合がございます。
その点を理解したうえでお読みくだされば幸いです。






あは。

あははは。

あははははははははははははははははははははははは。

帝都に嗤い声が響く。






1853年、嘉永7年、7月8日米国海軍提督、マシュー・ペリーが
日本を訪れ、砲艦外交による開国を強要した。
日本人は屈辱的に感じながら対抗手段を持たなかったため、米国の
要求を受け入れ、開国。鎖国状態から脱せざるを得ず、日本は歴史上
初めて外国に対して明確に外交的敗北を喫した。これにより、国内では
攘夷派と開国派が衝突し国内の混乱は頂点を極めた。

慶應3年11月9日、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を
122代陸仁天皇へ奏上し、陛下はそれを勅許された。
また、1864年に天皇陛下改め明治天皇を中心とした
近代中央集権国家を目指す新政府、明治政府が誕生する。明治政府は
一刻も早く欧米諸国に対抗できるような力を持つために、国の近代化と
富国強兵を急務とした。殖産興業の推進や、学制発布、徴兵令、
地租改正など、近代化の為に可能な限りを尽くした。
そのため日清戦争では既に数で圧倒的に優位であった清軍に対し
大日本帝國軍は大勝を収め、日本を眠れる獅子より格上だと列強に
見せつけた。

日露戦争では亜細亜国家初の列強入りを果たした。
203高地を多大な犠牲を払いつつも制圧し、旅順要塞を攻略。
日本海海戦では我が勇猛なる大日本帝国連合艦隊は世界最強と
称されるバルチック艦隊を、圧倒的不利の中之を易々と撃破。我が方の損害は、水雷艇3隻であったのに対し、敵損害は21隻撃沈、
被拿捕6隻、中立国抑留6隻と、圧倒的な戦果をあげて、日露戦争は
大日本帝国の勝利となった。
この戦争により、大日本帝国は欧米諸国に対抗できるような軍事力を
得たと言えるだろう。

そして迎えた欧州大戦。欧州大戦では、英国の要請を
受けて、独領青島及び南洋諸島を占領。大日本帝国は欧州大戦に介入し、勝利した。これは大きな一歩である。また、戦後に於いて大日本帝国は国際連盟の常任理事国になるなど、国際社会において存在感を
出している――――――。と、聞いておりますかお嬢様。
「はい。聞いております。」
私の返答に遠藤は、ため息をつく。
「そうですね、今日の歴史の勉強はここまでにしておきましょう。
30分間の休憩のあとに、次は古典の勉強をいたします。
その間は、ご休憩なさってください。」
私は辟易する。私はあなたのマリオネットではない。
工場法の適用範囲を拡大させてはくれないだろうか。
「はい。失礼いたします。」
表面上はそう答え、静かに椅子を立ち、部屋に向かう。
部屋を出る前に
「しとやかに立ちなさい。」
と言われたがこれは無視した。
扉を開け、なるべく大きな音を立て、扉を閉じた。
部屋に向かうだけでも5分はかかるので
実質休憩時間は20分だ。わかっているのかいないのか、
恐らくわかっているだろう。
休憩時間などという非生産的な時間はあの人間のような完璧な
人外には必要ないのだから。
私は自室の布団にたどり着き、バタリとKar98kで撃たれたように倒れる。
部屋に向かってから部屋に到着するまでに考えたことが少ないのは
ほぼ何も考えていないからだ。
私は何も考えていない。私は何も感じない。
私は眠りに落ちた。
体感時間5分後、遠藤は私を30分経過したとして呼びに来た。
私の体感時間は誤差10秒程度なのでおそらく嘘だろうが素直に従って古典の学習を始めるために居間へと向かった。




「帝都に咲く花」立志編第一話は以上となります。
今後もこのように趣味全開で定期的に投稿してまいります。
小説以外にも情勢解説や、個人見解なども公開して参りますので
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