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不登校のススメ ~その5~

娘の完全不登校生活開始から1年以上。
現在も、毎日を楽しく過ごしています。

私自身も高校時代に
両親が認めてくれなかったが、
不登校を心身が求めて
短い不登校を繰り返していたタイプ。
(高校卒業し、大学卒業後、短大編入卒業した)

夫はが学校という場所に適応して
問題なく卒業できたタイプ。
(大学卒)

それぞれの経験を持つ私たち家族と、
様々な専門家の方々、
現役の学生の保護者の方々から
お話を聞き、本を読むなどをして

私たちは学び続けてきました。

今回は、「義務教育」についてです。


義務教育とは

まず、義務教育という「システム」の
発端について説明します。

イギリス産業革命が発端

これは、イギリスの産業革命が発端で、
国策として、工場作業員養成機関を作ることが
目的だったことを、まずは前提として
知っておかなければなりません。

当時のイギリスでは
ご存知の通り、作業の機械化が進み、
工場が大量に登場しました。

そこで、経営者は工場作業員を
大量に求めるようになります。

かつては家庭が教育の役割を担っていた

しかし、当時、安い賃金で働いてくれそうな
地方の農家や職人のこどもたちは、
各家庭で修行を兼ねた
小さな働き手として生活していたため、
学びも、その職種に必要なものだけで済んでいました。

家庭での教育者は保護者でした。

こどもたちが将来、家業を継ぎ、
生活に困らないために、保護者は
こどもたちに自分が学んできたことを
そのまま伝えていたのです。

原始時代から人類全般の中で
これとほぼ同じ構図が
繰り返されてきたと考えられます。

こどもたちを「人材」にしたい人たちの出現

しかし、産業革命下の経営者としては、
これでは困ると考えました。

そういう環境で育った子どもたちを雇うと、
文字が読めずマニュアルを共有できない、
同時に機械を動かし始めたいけど
そもそも同じ時間に出勤してくれない、
疲れたら自由気ままに休んでしまう。

トイレも勝手に行ってしまい、
好きな日に自由に休まれてしまうと
毎日同じ工場の流れが保てない。

つまり「人間」だと
経営者は困るわけです。

大きな工場のラインになればなるほど、
人間の都合に合わせて
フレキシブルには動けないからです。

だから機械に合わせることができる
「人材」が必要でした。

国が義務教育を制度化

そして、機械を動かせる「人材」がないと
国が発展していかないと思った政府が
「義務教育」を大人に課して、
こどもたちを「学校」という場所に集めました。

そこでは、同じ時間に集まるように教育され、

まず「先生」という存在に対して
畏怖するように教育され、
目上の権力を持つ存在、
つまり「経営者」への忠誠を誓えるように
育てていきます。

その上で、
最低限の読み書き計算ができるように、
つまり、マニュアルが読め、
同じ作業を文句を言わずに繰り返せる、
疲れてもベルが鳴るまでは勝手に休まない、
トイレに立つ時には報告するのが当たり前の
「人材」へと洗脳を施していきます。

そして、新しい文明への対応力、
つまり、作業服や作業靴の取り扱い方、
蛇口の使い方や手洗いの慣例化、
電気のスイッチの入れ方などを叩き込み、

工場従事者にピッタリの「人材」を
大量に作っていたのです。

家庭から「教育」の機能を奪った

さらに国は、保護者たちに
「こどもたちには教育を受ける権利がある」
と、保護者が各家庭でこれまでしていたことを
「教育ではない」と暗に言い切り、
親から教育の役割を取り上げたのです。

さらに、政府はこどもだけでなく
保護者たちに、子どもたちを
「働かせてはいけない」と責めたのです。

これで、「家庭」から、
教育システムを奪い取ることに成功しました。

もう一度言うと、
人間は本来、保護者たちから生活の中で、
保護者と共に経験を積みながら
生きていくスキルを学ぶものでしたが、
それを「労働」させている、
子どもの「学ぶ権利」を奪っていると
政府が言い出したのです。

そうすれば、政府としては
発言力を持つ経営者たちから喜ばれ、
税収も増加して、お金が回り、
対外的には国も発達したように見え、
政治もスムーズに運営できるのです。

国の言うことを丸のみした保護者たち

問題は、保護者にもあります。
そういった政府の言葉を丸のみしてしまった。

こどもには「教育」を受けさせ、
隣の子よりも1点でも高い
評価を得ることが大事だから、

テストの点数に繋がらないであろう
家で家事や農家としての心構えを
教えたりすることを避けよう、

目立って先生から目を付けられないよう
周りの人と違うことをしないように、
先生の言うことをよく聞くように
こどもに言い聞かせようとしました。

こどもたちは、大人たちが
こぞってこう言うので、
「きっと、今やっていることは正しい」
と思い込んでしまい、

彼らは、彼らの「人間」としての権利を
じわじわと奪われていく環境に適応してしまい、
思考力をも奪われていき、
上司に反論する能力のない「便利」な
工場従事者の「人材」として
成長していきました。

つまり、誰でもできる単純作業を続けてくれる
経営者にとって都合のいい
「機械の一部」となったわけです。

そして、自分たちはこれで
安定的にお金を稼げるようになったから
お前も学校に行き、勉強をしろと、
労働者をしている保護者たちは
こどもたちに言い伝えることになります。

ざっくりとした言い方になっていますが、
これにて、国や経営者たちの目論見通り、
「労働者階級」の出来上がりです。

その一方…

一方、
自分の頭で考えるタイプだった
数少ない保護者はというと、

高いお金を支払って家庭教師などを雇い、
経営者になるために必要な「教育」を
我が子に施したのです。

「使える教育」を受けて経営者側になれば、
「人材」を使って働かせることができ、
それで儲かったお金を搾取でき、
「人材」となる人たちの
倍以上の収入を得られるという
資本主義社会の基本的で、かつ残酷な
社会構造に気づいていたからです。

(資本主義社会に反対しているのではなく、
これは事実なので、このような表現になります)

現代も根本は同じ

これが、義務教育の発端で、
その根本は今も変わっていません。

現在の学校教育を考えた時にも
思い当たることが、山のように
あるのではないでしょうか。

これは、現代で保護者をする人には
絶対に知っておいて欲しいことです。

この図式は、今もたいして
変わっていないからです。

「不登校」それ自体をススメたいのではない…

不登校をススメる理由、
少しずつ理解していただけているでしょうか。

私は、実は「不登校」をススメているのではなく、

「人材」になる教育を大切な我が子にさせること、
「人材」になるための努力をすることに
あなたの人生の大半を割くことに、何の意味があるのか?

これを真剣に考えていただきたいと思っています。

職業選択の権利

今より前に戻ることはできませんが、
これからの人生をどう進んでいくかを
選ぶ権利は誰にでもあると思っています。

「職業を選ぶ権利」は
日本国憲法でも保障されていますが、
それは「学校へ行かないとなれない
労働者階級の仕事の中で…」という風な
限定的な権利ではないことも知っておく必要があります。

次回は…

次回は、人を支配する
バイアスについて書いてみます。

なぜ、保護者達は
「学校へ行っておいた方がいい!」と
不登校を決断した我が子に言ってしまうのか、

「本当は、学校に行った方がいいのではないか」
と悩んでしまうのか、

そこを考えてみようと思っています。

今回も、最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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