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発達障害と感覚刺激 ~その3~

発達障害を持つ私も娘も、
それぞれに感覚刺激に対する
過敏や鈍麻を持っています。

感覚過敏は、刺激を感じすぎて辛い。
感覚鈍麻は、刺激を感じにくくて困る。

しかも、他人に理解されにくい。

どちらも、自分で
コントロールできるものではなく、
訓練できるものでもないので、

発達障害を持つ人間の生きづらさの原因の
大きな部分を占めるものだと
当事者としては思います。

今日は当事者だからわかる
感覚刺激への困り感や
個別にしている対処法を書いてみます。

今回は、触覚への過敏さについてです。

触覚への過敏さ(私)

私は、幼少期から、たとえ母親であっても、
体、特に頭や肩・背中を優しく触れられることに
とてつもない不快感を覚えていました。

母は、よく私の頭を優しくなでてくれましたが、
私は、その度に母の手を
強く振り払っていたそうです。

母は、周囲の人から
「普段からこどもに触れてあげていないからだ」
と責められ、とても悩んでいたそうです。

本当に申し訳ないことをしました。

でも、どうしてもダメなのです。

私には夫がいて、娘もいますが、
相手が夫でも、娘でも、
もちろん背中や頭を触られると
どうしても、かなり不快に感じます。

また、数ヶ月に一度必要となる美容院は
私にとっては苦行です。

ただ、自分の髪型にこだわりが
ないわけではないので、
諦めてなんとか耐えていますし、
思っていた髪型になったことに対しては
喜びを感じます。

でも、このまま髪が伸びなければいいのにと
思うことの方が正直、多いです。

でも、自分から手のひらで誰かを触れるのは
全然、大丈夫なんですよね。

自分でもなぜ大丈夫なのか
わからないですが・・・

だから、相手から手を繋がれると不快だけど、
自分から手をつなぎに行くぶんには問題ない。

こどもの時は遠足などで、どうしても友だちと
手をつなぐ必要がある場面が生じますが、
その時は自分から手をつなぐようにして
工夫して乗り切っていました。

私が落ち込んでいると、
誰かが元気付けようとして、背中をさすってくれたり
肩に手を置いてくれたりしようとしますが、
私にとってそれは攻撃でしかなく、
申し訳ないのですが全くうれしくありません。

私のうつ病を6年診察してくださった
女性の主治医の先生が、最後の診察で私と
ハグをしてくださろうとしましたが、
私は「すみません、触覚過敏なので」と断り、
エアハグをさせてもらいました。

感覚過敏は、
おそらく一生和らぐ事は無いと思います。

だから自分が老いた時、
誰かに介護をしてもらうと考えると
ぞっとすることもあります。

その可能性を少しでも低くするために
筋トレをしたり散歩したりと
自分の体力を落とさないように努力したり
健康管理に気をつけたりする動機となっています。

それから、人混みは
他人と体を接触する可能性が
グンと上がるので、とても苦手。

できれば、肩が誰かと触れるたびに
自分の触れた部分を手でパッパッと払って
なかったことにしたいくらいです。

ものすごくしんどい環境なので、
一刻も早くこの環境から逃げたいと
イライラしてしまうことも多いです。

海外移住と触覚過敏

また、海外移住を考えたとき、
自分にとって1番のハードルは
特に英語圏の国ではシェイクハンドやハグなど、
軽いスキンシップが当たり前であることでした。

ただ、1つ救われる出来事がありました。

それは、『アストリッドとラファエル』という
フランスのテレビドラマの中で、
自閉症を持つアストリッドが
私と全く同じタイプの触覚過敏の持ち主でしたが、
彼女は、はっきりと「私を触らないでください」と
相手に伝えて乗り切っていました。

その相手は、少し驚きの表情を見せるのですが
彼女が相手に対して忌み嫌う行動をしない。
むしろ相手を尊敬し、同じ人間として対峙することで、
だんだんと相手はアストリッドの触覚過敏や
他の特性についても理解をしてくれるようになっていました。

日本と違うのは、自分の気持ちをはっきりと
言葉にして伝えるということが、
むしろ良いことだとされているところだと思います。

つまり、自分の気持ちを言葉にしないで、
相手にわかってもらおうとする方が傲慢である。
相手に理解してもらおうとするのであれば、
適切な言葉で自分の言葉で感情や要求を伝える。
それが相手に対しての本当の優しさである
という文化があるのです。

もちろん海外でも、発達障害というカテゴライズは
存在しており、確かに発達障害を持つ人が
苦労をする場面は多いと思います。

ですが、はっきり伝えられるという文化は、
案外、発達障害の人にとっては
有利に働くのではないかと考えています。

空気を読むと言う文化は、
一見、相手のことをおもんばかり、
相手の気持ちを大事にすることに
重きを置いているように見えます。

ですが、例えばAさんが空気を読めるのは、
Aさんのそれまでの経験や常識の範囲内であり、
それ以上の事は、
Aさんの想像の範疇にないので
相手(Bさん)がはっきり伝えてくれないと
結局、正確にはわからないのです。

むしろ、空気を読むことが美徳とされる文化においては
AさんがBさんの言動に対する理解ができなかった場合、
相手に対して嫌悪感や恐怖心を持つ
きっかけにもなるのではないかと考えています。

人間は、わからないものに対して
恐怖心や嫌悪感を持つようにプログラミング
されている脳を持っているからです。

また、発達障害の人には、相手の視線や所作から
相手の感情を読み取る能力に長けていない人もいて
そういう人にとっても、
自分の考えや要望をハッキリと伝える文化は
ありがたいものであると考えています。

触覚への過敏さ(娘)

娘の触覚への過敏さは、「食感」に対して
発動されることが多いように思います。

娘は、頭を撫でられることも、
手をつなぐことも嫌がりませんが、

代わりに、苦手な食感があり
偏食が多い原因の一つになっています。

娘は、シチューや中華あんかけ、ヨーグルトのような
トロッとした食感の物を軒並み拒否します。

無理に口にすると、オエっとなります。

アレルギーについては、
まだまだ周知が必要ではあるものの、
生死にも関わる重大な障害なので、
医師からの正しい説明さえあれば
誰でも理解できるものだと思います。

でも、触覚過敏からの偏食については
ワガママ・贅沢な悩みと捉えられることも多く、
給食のある学校においては、
思いのほか辛い障害となります。

今後は、アレルギー対応食と共に、
糖尿病・偏食・小食・太れない人対応食なども
実現できたら、
もっと学校を楽しめるお子さんが
増えるかも?と思ったりします。

私も食感に苦手なものがありますが、
娘のそれとは全く違います。

私はフルーツポンチの中に入っている
寒天や、ナタデココ、タピオカなどの
水分の中に混入されたプルプル食感がダメで、
無理に食べる(飲む?)と吐きそうになります。
(これらが大好きな方、申し訳ありません)

それぞれ苦手な「食感」が違っていて
過敏さにも個人差があることを
わかりやすく感じるカテゴリーでもあります。

触覚への過敏さ(夫)

実は、夫も触覚への過敏さを持っています。

夫の場合、口の中に食べ物以外のものが
滞在することが、どうしてもダメなのです。

例えば、ふだんの歯磨きも
長時間は耐えられません。
こまめに歯ブラシを口から出し、
口の中にあるものを吐き出しながら、
まるで苦行のようにしています。

他にも、
例えば、シュノーケルをくわえておくことは
到底無理なので、スキューバダイビングに
挑戦することは人生から取り除く他ありません。

一番困るのが、歯医者での治療。

夫は現在、色々な障害を持つ人を受け入れている
特別な歯科を予約困難で、銀歯が取れたから
くっつけてもらいたいだけなのに、

予約可能な1か月先まで待ち、
全身麻酔で眠っている間に治療してもらう
工夫をするのが一番簡単な方法なのです。

もっと、全身麻酔ができる歯科が増えたら
夫のような人が必要な時に
すぐ治療してもらえるのにと思ってしまいます。

今回は、触覚への過敏さについて
書いてみましたが、いかがでしたでしたか?

触覚過敏だけでも、多種多様な特性となり
表出するので、「発達障害」を一括りにして
考えることがいかにナンセンスなことか
おわかりいただけるのではないでしょうか。

結局、お互いのことを時間をかけて理解しあい、
人対人として尊重しあうことが
家庭でも学校でも社会でも
お互いに過ごしやすい環境にする近道になるんですよね。

「自分は、特性が何もない」と思っている人は
自分の特性が、他人を困らせていることに
まだ気づけていないだけかもしれません。

誰にでも、苦手な事、得意な事があるように
誰にでも特性はあるので、他の人と関わりながら、
自分のこともよく知ることが大事かなと思います。

今回も、長くなってしまいましたので、
これで終わります。

次回は、前庭覚の鈍麻について書いてみます。

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