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K-187 ポセイドン胸像(もしくはゼウス)

石膏像サイズ: H.74×W.40×D.28cm(原作サイズ)
制作年代  : 紀元前460年頃
収蔵美術館 : アテネ・アクロポリス博物館
作者    : 

①概要

古代ギリシャ神話上の重要な登場人物であるポセイドン、またはゼウスの姿を描いたブロンズ像です。この作品の特筆すべき点は、古代ギリシャ時代・クラッシック期に製作されたブロンズ彫像で、後のローマ時代にコピーされたものではないという点です。本来、古代ギリシャの有名彫刻の多くはブロンズ像として制作されたものでしたが、その素材の可塑性故にそれらの多くは溶解されて失われており、制作当時の基本構造がほとんどが失われていないこの彫像はたいへん貴重な存在なのです。

②発見の経緯

1926年に、ギリシャのエウボイア島北西部(Cape Artemision,in northern Euboea アテネがあるアッティカ地方の北側にある大きな島が”エウボイア島”)のアルテミーシオン岬沖合の海中から偶然に発見されて、1928年に引き揚げられました(1926年は、左腕部分のみが漁船によって偶然発見されて、28年に盗掘船が残りの部分を引上げ中に、官憲に発見されて無事にギリシャ国家の所有物になった)。古代ギリシャで制作されたブロンズ像が、イタリア半島へと輸出される際に、船が難破してそのまま沈んだと考えられています。彫像が制作されたのは、紀元前5世紀前後ですが、この船が沈没したのは紀元前2世紀頃と推定されています。紀元前2世紀頃は、ローマによる古代ギリシャの神域に対する略奪が繰り返されていた時代で、その戦利品として本国(またはローマの同盟国)へ移送される途中に船が沈没したものと考えられています。

③彫像のテーマ

このブロンズ彫刻が、誰によって、どういった意味合いで制作されたのか?ということについては、まだ学術的に解明されていません。発見当初から、彫像がポセイドンを表しているのか、ゼウスを表しているのかが論争の的となってきました。右手に持っていたであろう、“雷(ゼウス)”、もしくは“三叉の鉾(ポセイドン)”が残っていればはっきりするのですが、残念ながら失われてしまっています。近年の研究で、同時代の同様のポーズの彫像がゼウスを表現しているものが多いことから、”ゼウス”であるという結論に傾きつつありますが、研究者の間ではいまだに議論が続いています。

同時代のブロンズ小像。右手に雷霆を持っているので、こちらは明らかにゼウス像。

こんな風に三叉の鉾を持っていればポセイドンとすぐ分かります(紀元前100年頃のもの。金属の三叉の鉾は発掘後に付加されたもの)

④海神ポセイドンについて

ポセイドンは、ギリシャ神話上では海の神、ローマ神話上でのネプチューンとも同一視される存在です(石膏像としては、ひとまず“ポセイドン”という認識です)。系図的には、ゼウスの”兄”という立場であるため、本来はゼウスと並ぶような強大なパワーを持ち、大海と、大陸を自在に支配し、その支配力は全物質にまで及ぶというような壮大な存在でした。ただ紀元前12世紀頃からの古代ギリシャの暗黒時代(ミュケナイ文明が終焉して以降の400年間くらいの混乱の時代)以降は、海、地下水などに結び付けられる、少し控えめ存在に落ち着いてしまったようです。

⑤アッティカの土地を巡るエピソード

ポセイドンと言えば、アッティカの土地(現在の首都アテネのある地域一帯)の領有権をアテナと争ったエピソードが有名です。オリンポスの12神が、それぞれの土地の守護神となるべく争ったときに、アッティカの土地に対してはアテナとポセイドンが名乗りを上げました。人々からの信頼を得ようと、それぞれがアピールをすることに。そこでアテナは、オリーブの樹をはやし、ポセイドンは、大地に三叉の鉾を打ち付け、海水の泉を出しました。もちろん人々はオリーブの樹をもたらしたアテナを支持し、守護神とすることにしたのです。

アクロポリス博物館 「アルテミーシオンの神(The Artemision Bronze, God from the Sea)」 紀元前5世紀 (写真はWikimedia commonsより)


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