見出し画像

組織のスピード感を殺さない為には

組織に躍動感を取り戻したいとか、今のこの力みなぎるチームのまま成長を続けたいとか。小さいチームから組織のリーダーまで、様々な立場の人が考えるテーマなんじゃないかなという気がします。

創業したてのベンチャーのように、少人数であれば全員の頭の中が揃っており、同じ方向を向くことができるものですが、人数が増えてくることによってそれが難しくなってきます。それぞれの人の頭の中には、ある程度の職責が課されており、向き合っている課題も様々。見ている方向性が違う人達が一緒に仕事をすれば、その中で時に利益相反のようなことが生まれることもありますから、ぶつかることが増えていくのは自然なことです。

まず第一に生産性を下げるのは怒りである

例えば上司に当たるような人が根拠はありこそすれ怒り散らしたらどうなるか。周りの生産性は劇的に低下するなんてことが言われ始めてもう何年も経ったように思います。

アンガーマネジメントの重要性なんていう話もよく聞くようになったのではないでしょうか。

お互いの正義の目線合わせをしよう

怒るって色んなシーンで起こり得るんですよね。なぜかというと、それぞれの見ている目線が違うことに起因する訳なのですが、この目線のすり合わせをせずに怒りをぶつけ合うと最後はパワーバランスの強いほうが勝つに決まっています。両者とも正義を掲げてぶつかるわけですからそりゃそうです。お互いの主張はどちらも間違っていないが、最終的には声の大きな方が勝っておしまいです。どちらが勝とうがあんまり気持ちの良いものではないですよね。敗者が絶望感とともに組織を離脱してしまってはもったいないですし、正義と正義をぶつけ合うというのは個人的には避けたい所です。

この話の要点は、「目線のすり合わせをしようよ」ということ。

お互い気持ちの沸点が近くなっているときこそ、この意識のすり合わせに一旦戻るべきじゃないかなと思うわけです。

ゴールが同じであるという大前提を文化に織り込む

ココが揺らいでいるとそもそもどうしようもないのですが、組織の成功やチームの成功を誰もが願っているという前提条件は必要です。それを踏まえて何をすべきでしょうか。

ある事象について議論をしなければならなかったとします。Aさんが手掛けたそれは、新しいチャレンジで、うまくいくかどうかについては50:50だったとしましょう。こういう場合にはおそらく失敗する可能性が高いですし、失敗だと受け止められるような小さな結果に落ち着いてしまうということも起こり得ます。大成功じゃなきゃ失敗であるという精神でここに対峙してしまうとまぁ炎上することになる訳ですが果たしてそれで良いのでしょうか。

昨日のノートにも書いたのですが、チャレンジは成功につながるプロセスの一つだということはおうおうにあるでしょうし、チャレンジから得られたものがあるのであればそれは失敗ではないと個人的には思います。

失敗を指摘する側も、どうなっているべきだったかという話をして怒っても仕方がありません。それは過去の話ですから。本当はそのシーンでこういう結果を得たかったという狙いがあったのにそれが実現されなかったということであれば、その人とチームの目線があっていなかったのです。一方的に雷を落としてもそこに成長は生まれないんですよね。

議論の時間が十分に取れないときが一番チームが崩壊してしまう危険性をはらんでいると思うのですが、当たり散らしたくなるその時こそ、じっくりと会話をすべき瞬間なんだろうなと思うわけです。

自分たちの狙いが何なのかをお互いにすり合わせた上で、じゃぁ本題に映りましょうか、と一呼吸するくらいでちょうど良いはずです。

お互いの目線合わせで生まれること

実はこの目線合わせには非常に重要な役割があります。すでに目線がずれていることは明らかなのですから、これを一度やるだけでお互いに不足していた視点についての理解が深まります。一石二鳥なんですね。

組織には大小様々な粒度で検討すべき事象があるでしょうから、全員が同じ頭の中である必要はないと思います。ただし、人間は自分が一番考えていることの解像度が高いのが当たり前で、その周辺事項に対するフォーカスが合わなくなってしまうのは、人間の仕様です。お互いに理解していなかったことが存在するんだよ、それは仕方のないことだというのは共通認識にしておいたほうが良いでしょう。

日本人は特に以心伝心を使いたがります。

それはこの複雑な世の中ではもう成り立ちません。

誰しもが良かれと思って活動をしている。幸運にもそんな組織に所属できた場合には、全員の正義をぶつけ合うのではなく、お互いの正義の旗印の存在を認め、時には譲り合いながら究極のゴールを手を取って目指すのが理想でしょう。

そうはいってもねぇ?

何でもかんでもレベルの低い方から高い方まで平等に時間なんて使ってられねぇ!っていうのももちろん分かるんですよ。上司になればなるほど時間が貴重になっていく訳ですから。しかし、時間が貴重になったときこそ、お互いの生産性を殺さぬように怒りを封印し、歩み寄るための筋道を考えていったほうが結果としては急がば回れ的に良いのではないでしょうか。パワーのない側についてもただただ権利を主張するというのではなく、相手が端的に理解しやすい形に思考を突き詰めておくみたいな歩み寄りも必要です。(僕はどちらかというとココを意識することが多いですが)

誰もが正義を掲げている。それは熱量の高い良いチームだとは思います。だからこそ、このエネルギーに水をささないような行動方針を共有することが重要な第一歩なのではないかなと思うのです。

noteにはこれまでの経験を綴っていこうかと思います。サポートによって思い出すモチベーションが上がるかもしれない。いや、上がるはずです。