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ブラチスラバに死す。あるいは絶対的な遅れ

受験生の頃の6月だったか、高校の世界史のアングルが描いた「ベルタン氏」みたいな教員が「いかにもヨーロッパ、みたいな雰囲気を味わいたい場合、フランスとかイギリス、ドイツの観光地より東欧の街の方がいいぞ」と授業中に言っていた。私はとても不真面目な生徒だったので、1年間の授業で今も覚えていることはその言葉だけだ。

しばらくしてウィーンとブダペストでその意味を知ることになるが、では「いかにもヨーロッパ」という雰囲気を好きになれたかどうかは今でもわからない。言語含め散々ヨーロッパの文化を勉強し、繰り返し滞在してきたが、結局いつも「ヨーロッパ」と呼ばれる何かは私の皮膚を滑り落ちてしまう。  

ブラチスラバへ行こうと思ったのは、周りで誰も行っていないからだ。ウィーンは観光客だけでなく留学生という身分でも日本人は極めて多い。特に藝大の楽理科の中には「あの通りに〇〇さんが住んでるよ。あの店はねえ…」レベルで詳しい人もいる。しかしウィーンから1時間でいけるスロバキアの首都については誰も知らない。

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