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せっかくの『美しきエレーヌ』をよく観るために—160年前のオペレッタにピントを合わす「コツ」(その3)

伊藤靖浩/Yasuhiro Ito
1994年、東京生。学術修士(東京大学)。社会科学高等研究院(EHESS)修士課程在籍。専門はフランス文学、20世紀の作家コレットを研究対象とし、最近は彼女の作品における翻訳、あるいは声の問題に取り組んでいる。研究と並行して、若手オペラカンパニー Novanta Quattroでドラマトゥルクを務めるなど、活動の幅を広げている。

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淫らな鳥たちのゲームは終わらない:第二帝政期の『美しきエレーヌ』


 『美しきエレーヌ』には《パリスの審判》と並んでもう一枚、絵が登場します。第二幕のト書きを読むと「王女エレーヌの私室。舞台奥の右手、レダと白鳥を描いた絵が飾ってある —— 森でひとり佇むレダと、小径の奥から彼女に近づいてくる白鳥、白鳥は首をもたげ目を爛々と輝かせている」とあります。白鳥の正体はレダを見初めたゼウス、まさにこれから結ばれようとする女と鳥 —— おそらくダ・ヴィンチの構図が念頭にあるのでしょう —— この番いから生まれてきたのが主人公エレーヌなのです。両親の肖像というにはあまりに淫靡な絵が見守るなかで、エレーヌとパリスもまた思いを遂げ、すぐさま不倫は露見する。この幕は、親から子へと継承される不倫を中心に展開されるのです。

チェザーレ・ダ・セストによるレオナルド・ダ・ヴィンチ《レダと白鳥》

第二帝政期と淫らな芸術

 《レダと白鳥》は、ルネサンス以降の芸術の「いかがわしさ」と切っても切れない関係にある画題のひとつといえます。オブラートに包まずいえば、ギリシャ神話をはじめとする古典的主題が、扇情的なシーンを描き、公表するための口実となってきたのです。もちろん、こうした建前はオッフェンバックの時代、フランスの第二帝政期(ナポレオン三世の統治、1852-1870年)にはじまったことではないにせよ、この建前をめぐり空前絶後の騒ぎが巻きおこった特異な時代だったとは言えるでしょう。一か八か、芸術作品が一大センセーションを巻き起こし、大成功となるかスキャンダルとなるかの大勝負、それは「芸術かポルノか」という瀬戸際の攻防に懸かっていたといっても過言ではないのです。

 たとえば、オルセー美術館に足を踏み入れてみると、当時の時代の空気がよく伝わってきます。入口から見て右翼の手前にはアカデミズム絵画、第二帝政期に「正統」とされた絵画が展示されています。向かいあう左翼に、同時代にどちらかといえば「異端」扱いされたクールベやマネの部屋があって、現在はそちらの方が混み合っているわけですが、アカデミズム絵画の部屋のなかでもっとも目を惹くのがアレクサンドル・カバネルの《ヴィーナスの誕生》です。

カバネル、《ヴィーナスの誕生》、1863年

 『美しきエレーヌ』の前年のサロンに出品され、大好評を博し、ナポレオン三世そのひとが買い上げたことで名声を高めた絵で、《ヴィーナスの誕生》というとボッティチェリが有名ですが、同じ画題でも、貝殻に立つヴィーナスに比して、波間に横たわるヴィーナスはあまりに官能的です。この絵に関して作家のゾラは「乳白色の流れのなかに身を浸す女神は、さながら恍惚としたロレット[高級娼婦]だ。もはや生身の肉体ではなく —— そうだとしたら淫らにすぎるだろう —— 薔薇色をきざす真っ白なアーモンドペーストでできている」というすれすれの評価を下しています。高級娼婦にしか見えないその明らかな淫らさを認めつつ、現実離れした完璧な仕上げ、神話の情景であるという口実によって、辛うじて「芸術」と認められている……ゾラは、画家カバネルが巧みな戦略によって、つまり「真面目な顔をしながら人を喜ばせる」という綱渡りの芸によって大衆を魅了したと言います。この建前のおかげで、上流階級の人々は恥じらうことなくサロンに出かけ、絵を前に女性はうっとりとし、男性は表向きには恭しい態度を破らなかったというわけです。

マネ、《草上の昼食》、1863年

 かくも艶かしい絵画がサロンに入選し、社交界の紳士淑女がこぞって観覧し、時の権力者が買い上げるくらいだから、ずいぶんとポルノに寛容な時代なのかと思いきや、事はそう単純ではありません。同年のサロンにマネが出品した《草上の昼食》が落選し、スキャンダルを巻き起こしたことからも明らかなように、「古典」であり「芸術」であるという建前なしには(マネの絵はカバネルの絵よりも扇情的とは必ずしもいえないのに)バッシングを受けかねなかった。このダブルバインドを受け入れることが第二帝政期に芸術家として成功するための条件で、『美しきエレーヌ』もきわどいところを攻めて観客の心をくすぐったのでした。

鳥たちの遊戯:本音と建前のあいだで空転するゲーム

 さて、エレーヌの話に戻りましょう。ギリシャ神話の皮を一枚めくれば、淫らであけすけなパリの現実が覗くというところに喜劇の快楽があるわけですが、外面は貞淑な妻として振る舞いつつ内心はパリスに夢中のエレーヌは、《白鳥とレダ》の絵を前に、まずはヴィーナスの定めた過酷な運命を嘆いてみせます。しかし実際には運命の実現を望む彼女は、「夢のなかで」パリスと添い遂げるという口実を設け、不貞行為に及ぶ —— 無論、それが夢でないことなど百も承知で —— このエレーヌの自己欺瞞は、当時の典型的ブルジョワ像、その乱れた風紀を容赦なく戯画化した姿と言えるでしょう。しかし『美しきエレーヌ』はもう一歩踏みこみます。エレーヌはお得意の駄洒落を交え、自分が王女の皮をかぶった「娼婦」にすぎないことをあっけらかんと開き直るのです。

 エレーヌ
[もしパリスとの不倫が明らかになった場合]私が群衆のなかを馬車で突っ切ると、人々からこんな声が聞こえてくるのだわ。「あんなの女王じゃない。娼婦(ココット)だ!……」
 
カルカス
娼婦ですって、女王様!……
 
エレーヌ
そうですとも!……それに、きっと正しいのね、そういう方は……でも私のせいかしら?……私は白鳥の娘ですからね、雌鳥(ココット)以外の何になれっていうのかしら? 

 元々「雌鳥」を意味するcocotteは、第二帝政期からベルエポックにかけて「娼婦」を意味する言葉でもありました。「ロレット」あるいは「ドゥミ・モンデーヌ(裏社交界の女)」とも呼ばれた彼女たちは、いかがわしい商売女として蔑視されつつ社交界に半ば受け入れられ、ことによっては高い社会的ステータスを獲得することもあるという、この時代のダブルバインドを体現する華やかな女性だったのです。エレーヌは、身分のある女性として振る舞いながら、白鳥から産まれてきたのだから「雌鳥=娼婦」でも仕方ないじゃないと開き直る。この種明かしこそ、観客の本音と建前をよく表しています。オペレッタは、威儀正しい「芸術」であるというふりをしつつ、観客の「あけすけな欲望」に応えたうえで、そのいかがわしい仕組み自体を駄洒落によって開陳し、結局は全てを笑い飛ばしてしまう。

 だからこそ、第二幕のタイトルは「鵞鳥(がちょう)のゲーム」なのでしょう。日本でいう双六、人生ゲームのようなもので、愚かなギリシャの王たちがこのゲームで賭事に興じるのですが、鵞鳥が悠々と泳ぐ湖に辿りつくまでを記した升目は、エレーヌの生を暗示し、また当時の浮ついた社交界の縮図でもあるわけです。誰が「あがり」に辿りつくかを運任せに競う、建前と本音のはざまの遊戯空間、なにひとつ影がないかのような華やかな劇場……その外側に広がる悲惨へ目を向ける芸術家もいる一方、オッフェンバックはあくまでゲームの中に留まり、現実を心地よく笑い飛ばす技術を磨いた人でした。しかしそうであるからこそ、彼の音楽は立ち止まることはできない。常に軽快なリズムには、少なからず時代の軋む音が紛れていて、その切なさがなお人々をゲームに没頭させるのかもしれません。160年の時を経て私たちは、オッフェンバックの音楽に乗せられ笑いながら、どのような時代の音を聴くことになるのでしょうか。


【公演情報】

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東京芸術劇場コンサートオペラ vol.9
オッフェンバック/喜歌劇『美しきエレーヌ』
演奏会形式/全3幕/フランス語上演/日本語字幕付
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日時:2024年2月17日(土)14:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール


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