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イジゲンメトロ -6

 キイちゃんがこちらに背を向け足早に歩き出すと、私はそれを追った。

「キイちゃん、待って。病気は直ったの?」

 そのとき、浜田くんに手首をつかまれ、強引に引き留められた。

「早く追い掛けないと、キイちゃん行っちゃうよ」

 私は、慌てて言う。あの日の自分を、自ら演じている感覚だった。もたついている私たちを、キイちゃんは足を止め、待ってくれている。

「相原さん、どうしちゃったの? 誰もいないじゃ……」

 言葉が終わらないうちに、私はつかまれた手を力づくで振り解いた。そして、キイちゃんを再び追い始める。それに歩調を合わせるかのように、キイちゃんも地下鉄の入口へと小走りに移動し始めた。

 そしてあの日と同様、工事用鉄柵の外れたパネルを押し開けて中へと入ってゆく。私も、それに続いた。

「相原さん……」

 その声で、浜田くんがすぐ後ろに付いて来ていると分かった。キイちゃんは、すでに階段の前にスタンバイしている。私は浜田くんが入って来やすいよう脇にどき、ためらう隙を与えまいと声を掛けた。

「浜田くん、早く」

 言っているそばから、パネルが開き、浜田くんが這うように身体を押し込んできた。私はうなずき、キイちゃんに合図を送る。そのとき背後から、浜田くんが大きな声を上げた。

「あ、田代っ!」

 地下鉄の敷地内に入れば、浜田くんにもキイちゃんが見えるようになる。あの日と、まったく同じだった。これでようやく、お膳立てが整った。

 私は徐々に暗さを増してゆく階段を、キイちゃんを追う設定で駆け下りた。すると、前方を走っていたキイちゃんの背中が、闇に溶けるように消えてゆく。

 え? ウソでしょ? 前のときは、こんな展開じゃあ、なかったじゃない。

 それでも、汗をかきながらドタドタと走る浜田くんからは見えなかったはずと信じ、私はコンコースまで一気にかけ下りた。ここまで来れば、足元には誘導灯が等間隔に点いている。その薄明かりで、どうにか周囲を見渡すこともできた。

 通路を右手に折れたずっと先に、もっと明るい光が見えていた。あそこが、改札に違いない。背後からは、盛大な息づかいが近付いてきていた。
「相原さん、暗くてよく見えないよ」

 ハァハァという苦しげな呼吸の合間に、浜田くんの声がした。

「ここまで来れば、見えるよ。キイちゃん、あっちに行っちゃった」

 そう言って私は、改札の方向を指し示す。それを目にしたかは定かではないが、浜田くんが彼にとっての全速力で降りてきた。そして私の前に立ち止まると、ひざに手を突き、苦しげにあえぐ。子供にしては大ぶりな背中が、激しく上下をくり返していた。

「いなくなっちゃったの?」

 まだ呼吸が収まり切らないうちに脇腹に手をやり、浜田くんが身体を起こそうとする。無理しているのは、どう見ても明らかだった。

「うん、見失っちゃった。でも、行けるのはあっちだけだもん。別に焦る必要もないわ」

 どうせ走ったってムダだし、と、私はこころの中で付け加えた。

「だからゆっくり、息を整えて」

 そう言うと、浜田くんは「ごめん」と答え、後ずさるように階段に腰を下ろす。

 さて、ここから先の展開は、私にもさっぱり予想が付かなかった。キイちゃんに従えばいいだけと軽く考えていたが、こんな形で肩すかしを食うことになろうとは。まったく、予想だにしなかった。

 でも、こんな経験、滅多にできることじゃないのだけは確かだった。浜田くんは見るからに、身体も中身も小学生に戻ってしまっているようだけれど。私にはこうして、さっきまでの記憶がしっかりと残っているのだから。

 このままずっとこっちの世界に残ることができれば私、大人の実力をいかんなく発揮して、もっといい人生を送れるんじゃないかしら。そんな不謹慎な想像が、頭をかすめた。

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