見出し画像

イジゲンメトロ -1

 だいぶ前にメモしておいた番号をタップした後、私は少しドキドキしながら、スマホを耳に押し当てた。電気的な呼び出し音が響く。一回、二回、三回、数えている途中で回線がつながった。

「もしもし、ミホ? 私、ミズキ。小学校のとき……」

 そこまで名乗ったところで、受話器の向こうに息を呑む気配がした。

「うっそ、なぜなぜ星人ミズキちゃん?」

 ずいぶんと懐かしいあだ名を耳にし、にわかに居心地が悪くなる。

「やめてよ、その呼びかた」

慌ててそう言うと、ぎゃはははは、と聞き覚えのある笑い声が弾けた。

「そうそう、いっつもそんなリアクションだったよね、ミズキは。ひっさしぶりだねぇ。元気してた?」

「うん、おかげさまで。ミホも元気そうだね?」

 からかわれたくすぐったさに苦笑しつつ言葉を返したときには、もうすっかり小学生時代に戻った気分になっていた。

「知ってるでしょ? わぁし、元気だけが取り柄なの」

 わたしの〝た〟をほとんど発音しない、ミホ独特のイントネーションは、まだまだ健在のようだ。その後ひとしきり、ぎゃはは笑いが続くのも。

「何年ぶりだっけ? なんでいつも、同窓会に来ないのよ? それにしても珍しいね、ミズキが電話よこすなんて。どうかした?」

 クルクルとあっちこっちに飛ぶ、これもミホ独特のしゃべりかたに、不覚にもちょっとした感慨を覚えた。

「いや、あのさ、浜田くんっていたじゃない? いっしょのクラスに。彼の連絡先、知ってたら教えてもらえないかなぁと思って。いま、何やってるんだろう?」 

 違和感を持たれぬよう、なるべく何気ない口調を装う。

「あぁ、デブっちょ浜田でしょ? いっつも男子にいじられてた。何やってるって、浜田くん、製薬会社の御曹司じゃない。当然、お父さんの会社に入ったわよ。いまや、重役クラスらしいよ」

 思い出した。そうだ、浜田くんって確か、いいとこのおぼっちゃんだった。

「連絡先、分る?」

 聞くと、ミホはしばらく黙った後、言った。

「いやぁ、電話帳見てみたけど、やっぱ知らないわ。わぁし、ほとんど接点なかったもん。でも三年くらい前かなぁ、同窓会で見掛けたら、ちっともデブじゃなくなってて驚いちゃった。しかも当時、すでに部長だって聞いて、不覚にもちょっとカッコイイとすら思っちゃったわよ」

 ミホはまた、ぎゃはは笑いをはさみ、狙っていた通りに聞いてくれた。

「誰か知ってる人いないか、聞いてみてあげようか?」

 一見がさつなようでいて、やっぱりミホは頼りがいがある。

「え、ホント? 私、中学は私立に行ったから、クラスの誰ともつながってなくって。聞いてみてもらえると、すっごい助かる」

 私はここぞとばかり、甘ったれた声を出した。

「うん、いいよ。でも、浜田くんの連絡先なんて聞いて、どうするのよ?」

 警戒していた質問に、ドキッとする。そりゃあ、ふつう疑問に思うよね。だけどごめん、本当のことは言えないの。

「あ、うん。ちょっと、聞きたいことがあってさ……」と、私は力尽くでごまかした。

「えー、なんかあやしい。でも、ま、いっか。今日はミズキと久しぶりに話せて、嬉しかったし。で? 分ったら、この番号に返せばいいの?」

「うん、お願い。ありがとね、ミホ」

「ううん。じゃ、またね」

 通話を終えた後、校庭の隅にあった藤棚に咲き誇る薄紫の花々の、懐かしい香りが鼻先をかすめた気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?