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月刊コグマ#10 HONYARARA

10月16日。先日、誕生日を迎えた。
つもりで今書いている。

というのも、この10月には毎年#番外編#特別号と題して自分の誕生日を祝うことに去年からした。そのため、書く量は毎月の倍になる。なので、早いうちに書いておかなくてはということである。

あちらの方がどうなるかはわからないまま今書いている。どんなことを書いているのだろう。ノープランの様を見せつけるのだろうか。今月の月刊が終わるくらいのところでは多分、既に出し終わっているとは思うので少し楽しみだ。
自分で書くんだけど。

何かシリーズものが作りたい気分だ。ジャンプは週刊。マガジンは月刊か。作りたいとは言っても物語を書くことは僕には向いてないので、そこは悩みどころではあるのだが。

そうだ、ここでも一応祝っておこう。
Happy birthday.
誕生日おめでとう、僕。
これからもよろしくね。

そうして今、バトンは本編に渡された。

Birthday massage

去年は、絶対に祝おうと思って、LINEが繋がっている人で誕生日を知っている人には、「誕生日、おめでとう。」と贈っていた。実際はもっと長いけれども。

人の心を探るのに疲れた。きっと、嫌だって思うだろうな。迷惑だろうな。気持ち悪がられるんだろうな。そう考えてしまう自分に嫌気が差した。最終的に、一時いっときではあるが人との関わりさえも辛いと思うようになってしまったこともあった。それを遠ざけることもあった。人の思考に対して全てマイナスの方向に考えてしまうのは駄目だと思った。けれど、その信号を急に変えることは出来ない。

自分は自己主張の強い人だと思う。自分の意見を押し通そうとする節がある。思い通りに行かなければイライラする。だからこそ、根底から変えていこうと、自分から変えていこうと行動するほどには。簡単に言い換えれば、自己中心的であった。他人の気持ちを考えず、「こう思われたらどうしよう」と自分のことだけ考えるその心も含めて。そこが自分の短所でもあると思っていた。

この自己中心を良い感じに使えたら。そこで、私は考えた。祝いたくても祝えない、貧しい心。何がなんでも押し通そうとする傲慢な心。この2つを上手いことミックス出来ないかと。

自分がしてもらって嬉しいことってなんだろう。まずはそこに立ち返ってみる。おめでとうって言ってもらえるとやはり嬉しい。その気持ちは変わらない。もし、人間が単純であるとしたなら。僕が嬉しいと思っていることは他の人も嬉しいのではないか。関わってくれる喜びが人間にはやっぱりあって、それを出せるのはこの自分の傲慢さなのだと思った。相手は喜ばないかもしれない。迷惑だと思ってるかもしれない。けれど、そんなものはどうだっていい。僕が祝いたいから祝うんだ。僕がされて嬉しいからするんだ。

それからはしっかりとメッセージを贈るようになった。恥ずかしいとか、自分の意地のようなものが出てきてしまうこともいくつかあるが、もっと自分勝手に幸せを喜びを振り撒かなくては。

今年度からは、バリエーションを持たせたかったので文字だけのメッセージではなく、声を録音してそれを送りつけるようにしている。時間が経って、顔が見たいと思っていても、離れていてはそれが叶うことはない。声が聞きたいと思ってもそれは同様で。データとして残っていれば、聞きたいときに聞くことが出来る。その人を感じることが出来る。だから、僕の声を録音しよう。という魂胆である。

誕生日の祝い方にもたくさんある。僕みたいに、おめでとうって書いて、言って。それで終わる人もいれば、プレゼントまで用意して祝ってくれる人もいる。それは人様々だ。けれど、共通して、その人たちは、祝ってくれている。おめでとうってその人に言いたいという気持ちがある、多分。それだけでも、十分。嬉しいものなのだと思う。僕は嬉しい。

もうすぐ誕生日の人へ。これから誕生日の人へ。これを見ているすべての人へ。誕生日、おめでとう。この言葉が届いていますように。


リバーシ

オセロには表と裏。白と黒がある。人間だって同じように、表と裏があって白と黒があると思う。普段見せている明るい部分と、追い詰められたときや焦っているときに出てしまうような、黒い部分。

この黒い部分。自分の嫌いだなと思う部分。一口に裏といってもたくさんあって。表向きは良い顔をしていても、裏では悪口を言うような、あまり良くない裏もあるだろう。イライラすると人に当たってしまったり。しかし、裏=黒だとするならばそれだけではないだろう。逆に、人を遠ざけてしまったり。そういう所も、裏。黒い部分なのではないか。

自分には表と裏があるのだろうか。人と関わっていてそう考えることがある。今、見せているこの部分はどちらなのだろうか。「人には表と裏がある」ということだけは信じているので、その考えの尽きることはたぶん無い。

書いていて思った。考えが偏りすぎじゃないか。これはもう押し付けているのと変わらないではないか。決めつけられることの不快さは自分が一番知っているのではないか。さすがにやりすぎだ。少し、視点を変えてみるとしよう。自分の気持ちも探ってみよう。脳内会議のスタートだ。

人の心というものは、今までずっと表と裏。1枚の紙のイメージがあった。ここで、二重構造だとして考えてみよう。リバーシを分解する。すると2枚の板になる。表も裏も白で、表も裏も黒だ。ということはなんだ。人の心の裏には黒も白もあるのか。

思い返してみる。あの時、あぁ言っておけば良かった。こうやって行動しておけば良かった。そうやって1人で後悔したことがある。これはどちらかというと、白な裏だと思う。なんなら白の部分の方が多いではないか。

たぶんこの考えに決着は着かない。何枚もレイヤーを増やしていけば、幾万にも表と裏が増えていって、より分からなくなるだろう。これが、「人の心は複雑だ」ということなのだろうか。

自分の悪い癖であるが、そうだと決めつけてしまう節がある。これは自分のどちらなのだろうとまた考えるのも面白いし、全て表だと割り切るのも良いだろう。何者にも表と裏はある。それをどう見ていくか。表を表と見るのか。裏と見るのか。それは人次第だ。どう変わっていくかのスイッチだ。
自分の心も相変わらず矛盾ばかりだと思う。コロコロ変わってひっくり返って。本当にリバーシなんじゃないか。なんて、タイトルに引き寄せたところで。オチをつけるのなら、やはり心は面白い、ということなのだろう。


帰り道。暗くなるのが早くなり、自宅近くの駅に着く頃には既に真っ暗になっていることも最近は多くなった。こちらは飲み屋街とは反対方向なのであちらと比べると灯りは少ない。階段を下っていると横から冷たい風が吹いてきた。何故か心を捕まれるような感覚を覚える。そろそろ冬も近付いてきたなと感じる。

僕は夜が好きだ。夜は自分を守ってくれている気がする。いつもなら怖いことも、心配なことも夜であれば少しは怖くないと思える。音楽を聴いているから、というのもあると思うがこの暗さが僕を守ってくれているように感じる。

昔は、中学生までは夜が怖かった。自分が妄想のよくする子供だったこともあり、夜に外へ出たら誰かに襲われてしまうのではないかと心配になっていた。気付いたら刃物を突きつけられていることがあるかもしれない。そんなとき、自分にはどうすることも出来ないのでそのまま死んでいくんだろうと考えていた。何かの間違いで、空想生物が町を蔓延はびこっている可能性も考えた。夜の町に化物が大量にいたり、大蛇が地を這っている。そんな妄想を。灯りのない風景が怖かったのだ。自分を常に照らしてくれる何かが欲しかった。

中学3年の頃、考えが少し変わっていた。この頃になってくると塾の行きを1人でするようになっていた。(帰りは22:00を過ぎてしまうため車だった)初めのときこそ怖かったが、10月にもなればさすがに慣れて塾まで歩いていた。普段は目立たない電灯も夜が来ればその役割を果たす。暗い夜道であの電灯があったから、その「守ってくれる」という気持ちが生まれたのかもしれない。この10月は夜に寒さも相まって、より自分好みのものになってきている気がする。

僕は寒さが好きだ。冷たい風が吹いて、何故か心が空くような感覚を覚える。からっぽになったところに、微妙に空いた心の隙間にすっと風が通る。風が触れるたびに虚しさと同時に不思議と懐かしさも感じる。かつて過ごしていたあの場所の思い出が自分の中で反芻する。そのときの感覚が癖になっているのだと思う。

ドラマを見ていて、とてつもなく自分に共感を得た言葉がある。
「誰かと一緒にいるのに孤独」
この空くような感覚はそれなのかと思った。毎日、家族と顔を合わせて自分は「1人じゃないんだよな」と思う。クラスの人たちと話しているとき、部活の仲間と悩んでいるとき。どれも一緒に笑いあって楽しい。けれど、何故か孤独感があってそれに寂しさも感じていた。この空いたところを埋めるにはどうすればいいのだろうか。

夜も寒さも孤独感を強く感じる。肌を刺す寒さや視界を塞ぐ夜で。寂しいと思うときもあるが、暖かい気持ちになることもある。歩いていて、暖かい家の灯りが見える。この暖かさも好きだなぁ。バターとトマトケチャップの匂いがする。オムライスだろうか。お腹が空いてきた。そして、早歩きをする。町の色々な灯りを眺めながら。
そんな日々の夜が好きだ。


余談

定時で毎日、スマートニュースからその時間帯のピックアップされたニュースが送られてくる。つい先ほど、「夜」の話を書いていたら気になるニュースが流れてきたので紹介したい。

何だ何だ。等身大だと!等身大チルタリスだと!!びっくりした。
チルタリスをわからない人に説明すると、
ポケットモンスター ルビー/サファイア に登場した ドラゴン・ひこう タイプの通称、ハミングポケモン
図鑑説明によると、

うつくしい ソプラノで うたう ポケモン。わたぐもの ような つばさで じょうしょう きりゅうを うけて おおぞらへ まいあがる。

と書かれている。そらのはしら に出てきたときは既に四天王やチャンピオンのレベルを越えていて驚いた記憶がある。レックウザを捕まえるときは、彼女の うたう にとても助けられた。
そんなチルタリスが等身大ぬいぐるみで出てくるという。

いいじゃないか。可愛い。お姉さんの気持ち良さそうな寝顔が少し羨ましい。あのモコモコとした、「わたぐものようなつばさ」に包まれることが出来るのか。

そういえば、僕がこの場でポケモンの話をするのも珍しい気がする。次の話のネタにでもしてみようか。どこまで広がるかはわからないが。


イッシュの旅#1

ポケットモンスター、縮めてポケモン。この星の不思議な不思議な生き物。空に、海に、森に、街に、世界中の至る所でその姿を見ることができる。

ちょうど、ポケモンの話を書こうと思い、自分の棚を漁っていたところ、「ポケットモンスターブラック」が出てきた。そのデータを見ながら、記憶をたどり話していこう。

僕が初めてポケモンに触れたのは、確か小学1年生の頃。ちょうど「ブラック・ホワイト」が出た時期だった。初めてのポケモン。初めての三匹。ラッコ、ヘビ、ブタ。どれも姿は愛くるしく、可能性に満ちていた。その三匹から選んだポケモンは、ひぶたポケモン。何故、彼女を選んだのかは分からない。直感、フィーリングだったのだろう。

カノコタウンからカラクサタウンを経由してサンヨウシティへ。カラクサタウンのBGMがジャズ全開、オシャレ全開で感動した。久しぶりに聴いたのだが、人に話しかけることでピアノとドラムが追加されるシステムは本当に面白い。よくわからない団体の演説を聞き、ポケモンは解き放つべきと説かれ、そうかと信じそうになってしまった。

ブタとイヌを連れて初めてのジム戦。相性の悪いサルにボコボコにされ、跡地へ。連戦の後、新たなメンバーに似ているサルを追加し、再度ジムへ。ふるいたてることで生み出していた猛攻を懸命に捌きながら、無事初めてのバッジをゲットする。三色のトライなバッジだ。もう二度と、彼ら三兄弟の顔は見たくない。

イシやシマウマ、コウモリを相手にレベルアップ。画面が変わりオレンジ色に。不思議な音楽とともにバラバラになっていくブタ。何が起こっているのだろう。気がつくとブタが立っていた。どこぞの国の挨拶か、というような名前をしている。つっぱりを覚えたらしい。

そうこうしているうちに次の町、シッポウシティに到着した。ここには博物館があるらしい。恐竜好きの僕にはもってこいじゃないか。博物館へ行くと元気なお父さんが案内をしてくれた。ここは夫婦で経営しているらしい。化石の復元が出来るらしいが、持っていないのでどうも出来ない。その他にも、大きいドラゴンの骨や宇宙の石。そして普通の白い石。奥に進むと松重さん似のおじさんが。そういえばサンヨウのジムにもいたな。

なんと、博物館の奥はジムになっているらしい。だから松重さんがいたのか。ジムは本を読んで先に進んでいく仕組みだ。確か5冊ほど読んだ。色々な本棚を往復していると、進化前の彼女(ブタ)の本を見つけた。なんと書いてあったかはもう覚えていない。

リーダーのいるところまで到着しバトルをすることに。姐さんの威厳はばつぐんだったが、結果は快勝。つっぱりでドン。もふイヌも胴長ネズミもぐちゃぐちゃに。かたきうちされてサルが倒されたときは少しヒヤヒヤしたが、ウチのエースには何のその。無事、ベーシックなバッジを手にすることが出来た。

すると、突然さっきのお父さんが駆け降りてきた。なんと、ドラゴンの頭が盗まれてしまったらしい。姐さんに連れられて外へ出た。

続きは次回。


フードコート

色々と訳がありフードコートへ来ている。一緒に来た人を待たせるわけにはいかない。席で待っているので先に選んでいいと言うと相手は、いやいや自分が待つと言う。これはお祝いだと。これでは譲り合いになってしまうのでお言葉に甘えて先に選ばせてもらった。

パスタ、ハンバーガー、うどん、クレープ、たこ焼き、ラーメン。どれも美味しそうだ。しかし今、僕のお腹はジャンクなものを欲している。ハンバーガーにしようか。並ぼうと思い、店の前に行くと思っていた以上の長蛇の列が。さすがに相手を待たせることは出来ない。もっと空いているところにしよう。そう思い、すべてのお店を回ってみるがすべて混んでいた。まぁ休日だからしょうがない。結局待たせてしまう旨を伝え、申し訳なさと共に比較的空いていたラーメン屋の前に並んだ。

それでも長い。前には7人ほどが並んでいる。待っているとラーメンの匂いが鼻をくすぐる。とんこつの匂いか。今の気分には最適な味だ。メニューを見ようと壁に掛けてあるメニュー表へ目を凝らしたが目が悪いのであまり見えず、ぼやけている。もう少し前に進んだら見ようと思い視線をずらすと、目の前のお母さんに抱かれている男の子と目があった。

「こんにちは。」と、目で語りかけてみる。すると、その男の子は気付いたのか僕から目を逸らした。悲しい。気を取り直し、辺りを眺めてみる。子供連れが多いな。

それもそのはず、今日は日曜日。先ほどまで雨が降っていたのだが今は燦々さんさんと晴れている。出かけるにはちょうどいいのだろうか。色々な人が別々のものを食べて、時にシェアして、楽しんでいる。フードコートはテーマパークみたいだ。そういえば、昔はショッピングモール等に入っているフードコートに行くのが楽しみだった気がする。

前に並んでいた家族が注文を終え、遂に自分の番が回ってきた。いざ注文をしようと意気込んでいると、なんと呼び出しベルが足りないという。人が多すぎてベルも回っていないのか。飲食業はこんな休日にも働いてるし大変だな。いつ休んでいるのだろうか。

そこから5分ほど待って注文を始めた。その間に置いてあるメニューをさっと見て、気になっていたとんこつラーメンを頼んだ。ベルを渡される。13番らしい。

席に戻ると、相手の人が少しにらんできた。
「さすがに待たせすぎ」だと。申し訳ないということ、君も並んだら分かるということを伝えて送り出した。そこから数十分。一向にベルは鳴らない。相手も帰ってこない。もし、入れ違いになってしまったらどうしようか。少し離れている間に席を取られてしまうかもしれない。焦っているとベルが鳴った。

ラーメンを貰って席に戻ってくると、相手は先ほどと同じように席に座っていた。ならば、と自分もにらんでみるがスルーされてしまった。反応してくれたっていいじゃないかと言うと、居なくて少し心配したと言われた。申し訳ない。

自分の目の前にはラーメン(とんこつ)。相手の手元にはベル。食べていいのだろうか。こんなこと、相手には聞けない。するとちょうどよくベルが鳴ってくれた。相手が席を立つ。それとほぼ同時にお腹が鳴った。離れていくのを見計らって一口、口に運んだ。美味しい。スープもレンゲスプーンを使って飲む。うん、とんこつだ。

「美味しい?」
うん、美味しいよ。そう返して気づいた。
横にいる。内緒で食べているわけではないので、やましいことは無いのだが何故か冷や汗が…。相手の盆の上にはうどんが乗っていた。シンプルにエビ天が乗った天ぷらうどん。美味しそうだ。次にここに来たときにはこれを食べようと心に誓った。

人とご飯を食べることがとても新鮮に感じている。いつも家族と食べているのに何故だろうか。対面での食事を家族以外の人と、というのが久しぶりだからだろうか。少し恥ずかしくて、暖かくて、美味しい。こういうのもたまにはいいな。

二人とも食べ終わり少し経った後、急に甘いものが食べたくなった。目の前にクレープ屋があるからだろうか。甘いものが食べたいと言うことを話すと、ちょうど相手もその気分だったらしい。一緒に買いにいくことに。

自分は いちごチョコカスタード を。相手は いちごチョコクッキーホイップ を頼んだ。何故カスタードにしたのかを聞かれたのだが、そこまで深い意味はない。ただ、ホイップがくどく感じてしまう気がしたからだ。そのことを話すと、急にクレープとホイップクリームの相性の素晴らしさについて語りだした。申し訳ないのだが全く覚えていないため、ここでその内容を書くことは出来ないが、確か、舌触りがどうとかクレープを頬張ったときの口いっぱいにあるときの至福感だったりの話だったと思う。思った以上に覚えていたな。

クレープを貰うと一口食べてみる。予想通りの美味しさだな。いちごの酸味とチョコとカスタードのベクトルの違う甘さ。これが絶妙にマッチしている。

視線を前に戻すと、まだクレープの紙をめくっている。もう食べられるくらいにはめくれているのだが。手が止まったと思った瞬間、クレープを頬張った。とっても美味しそうに食べている。可愛いな。自分もやってみたくなり、紙をめくろうとするも上手くいかない。結局、チビチビと食べることになったのだが、やはりクレープは美味しかった。

時間は13時を過ぎている。この後はどうするのかと尋ねてみると、行きたいところがあるらしい。財布の中身を確認しながら、苦笑いを浮かべる。
そうして私たちはフードコートを後にした。


まとめ:秋の日は釣瓶落とし

秋の日も早いもので、布団から出られない朝を迎えることも多くなってきました。夜の寒さが好きだという話しはしましたが、朝の寒さは出たくても出られないもどかしい気持ちになるので、嫌いとまではいかないけども、あまり得意ではありません。学校に行く時間くらいにもなれば寒さに慣れるので大丈夫なんですけど、どうも寝起きはてんでダメですね。

と、いうことで今回の月刊コグマはいかがでしたでしょうか。ここまで読んでくださったみなさま、誠にありがとうございます。今月は、頭でも話した通り2本も上げさせていただきました。番外編のBirthday massageと今回の本編。両方のまとめをここではしたいと思っています。まだ今回のタイトルは決まっていないのでどうなるのかは分からないですが、英語っぽい英語じゃない何かをタイトルにしたい気分ですね。

ということで、今からざっとまとめていきます。ちなみに、今月の書いた話の中で一番印象に残っているお話はありますか?あまり自分の書く内容って記憶に残りにくいって定評が自分の中にはあるんですけど。

ちなみに私は、番外編なら「好きということ」。本編なら「夜」ですかね。やはり、私は自分を見つめ直すことが好きみたいで。自分の新しい気持ちをそこで見つけることが大好きなんだなと思いました。時おり出てくるように、僕は昔からたくさんの妄想をしていて、その度に自分の考えを作り、改めてきました。それをしているときが、考えている時間が楽しいです。

前々からずっと「僕は僕が好きだ」と言ってきました。これは自分のことを嫌いになれないから、自分が好きだと言い聞かせているようにも思います。誰1人として自分の味方がいなくなるという状況になってしまうのが怖くて、自分の味方は自分だと心に決めたからなのかもしれません。

くだらないもの(=面白い)を見つけるということは、自由を求めるということと同義だと思っています。話のスケールが広がりますが、今の世の中は閉鎖された空間が多すぎる。そこから抜け出せない人も多くいる。それは自分もそうで。けれどこの、先の見えない空間からどうしても抜け出したくて、人々は将来を見つけるのだと思っています。しかし、現状ではまだ先の見えないまま。変わらないまま。

自分はひねくれ者だと自負していて、周りの落ち込む時期だからここで頑張ろう。と、周りと合わせることを嫌う気持ちも確かに自分の中にいます。先の見えない現状。本当なら、この空間から光を求めて働くのかもしれない。けれど、そんな地獄でも楽しめることはあるのではないか。この制限ばかりの世の中で自由に必死に足掻くって面白い。そんなことを考えて日々、生活をしているような気がします。

ここまでの数ヶ月で自分の中で大きく変わったことがあります。他人の目を気にして、恥ずかしいカッコをみせるのが怖くて、ダサい姿をみせるのが嫌で、嫌われたくなくて自分を着飾っていました。誰かに必要にされたくて、好きでいてほしくて、自分の気持ちを押し殺していたこともありました。なぜなら、要約すればこれは、「カッコいいと言われたい」という気持ちに過ぎないのですから。

けれど、もう、誰からも好意を向けられることはないのだから。そう思うようになってからは、あまり気にしなくなりました。なんと、女の子の名前をみんな下の名前で呼び捨てが出来るのです。他にも、コンプレックスと感じていた部分を大いにさらけ出すことも出来るようになりました。なんと、おでこが出せるのです。

これは大きな進歩だと思いませんか?それこそマイナスな気持ちをプラスに上手くかえたような気が自分の中ではしているのですが、どうでしょうか?僕は今、とても誇らしい気分です。

まぁ、その。そうやって呼ばれた方々はどう思っているのかしりませんが。もうそこまで考えないと決めたので。自分が一番大切で、相手のことも大切で、正直、差なんて決められないけどそれで良い気がします。こうやって出来るのも高校生のうちだと考えると、今楽しんでおかなきゃ一生後悔するぞ、という気持ちで過ごしています。

周りの仲間たちは彼女らのことを下の名前で読んでいるようには聞こえないので、僕がNo.1かもしれません。そう考えると、やはり誇らしげになってしまいます。

そうそう。「表と裏と今の私」を書いていて思ったことなのですが、自分で自分をねじ曲げることも僕は多いみたいです。まるで、本当は好きなのに嫌いと言ってしまうツンデレちゃんのように。

ツンデレちゃんって良いですよね。見ているこっちは萌えて萌えて仕方がない。何かツンデレちゃんが正ヒロインの素敵な漫画があれば教えてください。僕は二乃推しでは無かったのでそこまで気にしていませんでしたが、彼女もおもいっきりのツンデレキャラでしたね。

ツンデレはめんどくさいけど、第三者側に立っているともどかしくってもう大好きです。もう一度言いますが、第三者側に立ってみるとです。多分、自分がその輪の中に入ることになったらツンデレちゃんがツンデレということに気付かず、ただ傷つくだけと思いますから。

ポケモンの話を書き始めました。チルタリスのことを話に出して、あまりポケモンの話をしていないと思い、どうせなら僕の初めてのポケモンでも紹介しようと思い、あのイッシュの旅は始まりました。ここから最後まで書いていく予定ですので、ぜひ見ていってください。

書きながらずっと文化祭で着るクラスTシャツの背ネームを考えていたのですが、1つ良いものを思い付きました。

意味はあるけど、何の意味か分からない。けれども何故か頭に残る。

ホニャララにしよう。



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