げこ

怖い話、不思議な話、変な生き物たちが好きです。

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最近の記事

閲微草堂筆記(205)生魂

巻八 生魂  母方のおじの張公健亭が言うことには、滄州の州牧(州の長官)である王何某は、愛娘が病を患ったことでひどく頭を悩ませていた。  ある夜、その家の者が書斎に入ったところ、たちまち、花陰の下、その愛娘が月に向かって一人佇んでいるのが見えた。家の者は慄然として、取って返したが、狐狸妖怪の類が変化したものではないかと疑った。そこで犬をけしかけてこれを攻撃すると、娘の姿は跡形もなく消えた。  しばらくして、床に臥せっていた娘が語った。 「先ほどの夢の中で、私は書斎で月を

    • 閲微草堂筆記(204)帳尻合わせ

      巻一 帳尻合わせ  献県の下役に王何某という者がいた。訴訟文書の作成に秀でており、それを利用して他人の財産を奪い取ることに長けていた。しかしながら、毎度その財産が貯まったかと思うと必ず想定外のできごとが起こり、その分を消費してしまうことになるのであった。  そこの城隍廟の小僧が、夜、廟の回廊を歩いていると、二人の官吏が互いに帳簿を突き合わせて計算をしていた。そのうちの一人が言った。 「奴は今年ちょっと貯えすぎたね。これを削るにはどんな方法がいいだろうかね?」  その者が

      • 閲微草堂筆記(203)太湖石

        巻十五 太湖石  金巡検がさらに言うことには、巡検の官署の中に太湖石がひとつある。高さは庇(ひさし)の際を越えており、その紋様はとりどりの色が複雑に混ざり合い華やかで、またそこに開いた穴は玲瓏であり、離れて眺めればまるで今にも飛びたとうとするかのような佇まいであった。  伝えるところによれば、これは遼、金の時代の古物であるとのことだった。考察するに、金はその昔、艮岳(宋の徽宗帝の時代に造られた庭園。金の兵が開封を攻めた際に破壊された)の奇石を切り出し、これを北に運び込んでい

        • 閲微草堂筆記(202)虎を燻す

          巻十五 虎を燻す  三座塔(蒙古語での名は古爾板蘇巴爾、漢・唐の時代においては営州柳城県がおかれ、遼国の興中府であった。現在ではハラチン右翼の地となっている。)の金巡検(裘文達公の姪の婿であるが、たまたまその名を忘れてしまった)が言うことには、とある樵が山で虎に遭遇した。  洞穴の中に入って逃げたが、虎もまた追いかけて穴に入って来た。その穴はもとよりそこまで広いものではなく入り組んでいて、樵はぐねぐねと曲がりながら逃げ、虎はだんだんと窮屈になっていった。しかし、虎はどうして

        閲微草堂筆記(205)生魂

          閲微草堂筆記(201)荔姐の機転

          巻三 荔姐の機転  満媼は私の弟の乳母である。彼女には娘がいて、名を荔姐といい、近くの村の家に嫁いでいた。  ある日、母が病気だと聞いた荔姐は、同行してくれる婿を待ちきれずに、大急ぎで実家に向かった。時はすでに夜となっていて、欠けた月がほのかにあたりを照らしていた。  ふと振り返って見れば、一人の男が急いでこちらを追ってきている。強盗かもしれないと思ったが、あたりは荒野で助けを呼ぶこともできない。彼女はすぐに古い塚の白楊の木の下に身を隠し、簪や耳飾りを懐の中に入れ、腰紐を

          閲微草堂筆記(201)荔姐の機転

          閲微草堂筆記(200)美人画

          巻二十三 美人画  田白岩が言うことには、とある士人が僧舎に泊まったところ、壁に一幅の美人画が掛けられていた。眉目はまるで生きているかのようで、衣の裾が翻っているさまはまるで今にも動き出すかのようだった。  士人は僧侶に言った。 「和尚様、かように心乱すものが恐ろしくはないのですか?」  僧侶は答えた。 「これは天女散花図といって木版画でございます。この寺に百年あまり前から伝わっていたものですが、じっくりと見たことはございませんでした。」  その晩、士人が灯りの下で目

          閲微草堂筆記(200)美人画

          閲微草堂筆記(199)庸人自擾

          巻七 庸人自擾  雍正の甲寅(雍正12年)の年のこと、私は姚安公に随行して初めて京城に足を踏み入れた。そこで御史の某公がひどく疑り深い御仁であるということを聞いた。  彼は初め、永光寺の邸宅を一軒抵当として手に入れたのだが、その宅地ががらんとしていて人気が無いために盗賊に狙われるのではないかと心配になった。そこで夜に家の奴隷を数人遣わせて交代で警備の番をさせたのだが、彼らが怠けるのを防ごうとして、どんなに厳しい寒さやうだるような暑さのなかでも、必ず手に灯りを持って自ら巡視し

          閲微草堂筆記(199)庸人自擾

          閲微草堂筆記(198)病と祟り

          巻十 病と祟り  文安(現在の河北省中部)の王岳芳が言うことには、ある村に女の巫覡がおり、幽鬼を視ることができた。かつて、ある官吏の屋敷を訪れると、ひそかにその下女に告げた。 「こちらの娘の寝床の前に、女の幽霊がおります。深緑色の衣を身に着け、胸のあたりはべったりと血にまみれています。首は切れそうでいて皮一枚でつながっており、頭が反対側へ折れて背中の方に垂れていて、たいそう恐ろしい姿です。もしかしたらその娘は病にかかるやもしれません。」  するとにわかにして、娘が高熱を出

          閲微草堂筆記(198)病と祟り

          閲微草堂筆記(196)人字汪

          巻十一 人字汪  先祖の光祿公は、滄州(現在の河北省東部)の衛河の東側に荘園を所有していた。そこではよく洪水がおこり、溢れた水が左右斜めに長く伸びて「人」の字の形に見えたために、「人字汪」と名付けられた。  後に、その土地の発音で訛って「人字(rén zì)」を「銀子(yín zi)」と呼ぶようになった。さらに「汪(wāng)」の字が「窪(wā)」に変わって、唇の先で軽く発音するようになったために、音が「娃(wá)」に近くなり、徐々にその原型を失ってしまった。  その土地

          閲微草堂筆記(196)人字汪

          閲微草堂筆記(197)倉を守るもの

          巻十一 倉を守るもの  人字汪の脱穀場には柴が積まれている場所があり(これを俗に垛という。)、ずいぶんと長い年月を経ていた。土地の者はそこに霊怪が棲みついていると伝えていた。領域を犯せば、その多くは禍が降りかかったが、時に病の平癒を祈れば験があることもあった。そのため人々は茎の一本、葉の一枚であってもそこから取ろうとはしなかった。  雍正の乙巳の年(雍正3年)のこと、その年は大飢饉がおこり、光祿公は粟六千石を無償で提供し、粥を煮て皆に施した。  ところがある日、粥を煮るための

          閲微草堂筆記(197)倉を守るもの

          閲微草堂筆記(195)土地神の懲罰

          巻十一 土地神の懲罰  叔父の行止が言うことには、とある農家の妻と小姑はいずれも整った美しい顔立ちをしていた。ある月夜の晩、涼をとるため二人は共に軒下で眠っていた。  そこに突如、赤髪で青い顔をした幽鬼が牛小屋の裏から出てきたかと思うと、ぐるぐると旋回しながら飛び跳ね、掴みかかって噛みつこうとしてきた。時に男衆は皆外に出て畑の見張り番をしていて、妻と小姑は恐ろしさのあまり震えあがって声を出すこともできなかった。幽鬼は一人ずつ引きずり出して無理やり手籠めにした。  その後、

          閲微草堂筆記(195)土地神の懲罰

          閲微草堂筆記(194)耳泥棒

          巻二十一 耳泥棒  私の門人の邱人龍が言うことには、とある官吏が赴任先に赴く途中、灘河のほとりに船を泊めた。夜半、数人の盗賊が松明を手に刃を露わにして押し入ってきて、皆は怯えて這いつくばった。  すると、盗賊の一人が彼の妻を引っ張って起こすと、片膝をついて跪き、申し述べた。 「ご夫人の一物を頂戴したいのでございます。どうか驚かれないでくださいませ。」  言うや否や、夫人の左耳を切り取った。そして粉薬を傷口にふりかけると言った。 「数日は洗ってはなりません。そうすれば自然

          閲微草堂筆記(194)耳泥棒

          閲微草堂筆記(193)あの世の富貴

          巻九 あの世の富貴  呉恵叔が言うことには、あるところに疫病で死んだがその後生き返った者がいた。彼は冥府の役所でたまたま旧友に出会ったのだが、友人は襤褸を着て枷を掛けられていた。互いに顔を合わせると、心中悲喜こもごも様々な感情が入り乱れたが、彼は思わず握手を交わし嘆息しながら言った。 「君は生涯、裕福だったはずだ。その富をここまで持ってくることはできなかったのかい?」  彼は辛そうに眉間に皺を寄せて言った。 「富を全てこちらに持ってくることはできるんだ。ただ人々は持って

          閲微草堂筆記(193)あの世の富貴

          閲微草堂筆記(192)冥銭

          巻九 冥銭  戊子の夏のこと、若い下僕の玉兒が労咳を患って死んだのだが、にわかに甦って言った。 「冥府の役人に銭を持ってくるようにと言われて帰されました。」  冥銭(※)を買ってきて焚き上げると死んだが、いくらもしないうちにまた甦って言った。 「銀色が足りなくて、冥府の役人が受け取ってくれません。」  そこでさらに銀箔を買ってきて銀貨をこしらえて焚き上げたところ、今度こそ死んで二度と甦ることはなかった。  思い起こせば、雍正の壬子の年(雍正10年)、弟の映谷の臨終の

          閲微草堂筆記(192)冥銭

          閲微草堂筆記(191)陳太夫人

          巻六 陳太夫人  亡くなった祖父の寵予公は、元は陳太夫人と結婚していたが、夫人は早くに亡くなってしまった。  後添えとして張太夫人を迎えたその日のこと、彼女が一人部屋に座していると、若い婦人が簾をかかげて入ってきて、すっと寝床の端に座った。黒色の帔(肩にかける婦人用の装飾の布)を肩にかけ、黄色の衣と淡い緑の裳裾を身に着け、その立ち居振る舞いには大家の風格があった。  その場に相応しくないため、新婦は挨拶をするわけにはいかなかったが、夫の兄弟の妻か、あるいは姉妹であろうと思った

          閲微草堂筆記(191)陳太夫人

          閲微草堂筆記(190)槐鎮の僧

          巻二十三 槐鎮の僧  私が十歳の頃に聞いた話では、槐鎮(槐鎮は『金史』にある槐家鎮のことである。今は淮鎮と書くがこれは誤りである。)に一人の僧侶がいた。彼は農家の息子で酒を飲み、肉を食らうことを好んだ。その廟は数十畝の田を所有しており、彼は自ら種を植え、自給自足の生活を送っていた。牛を放牧すること、田を耕すことのほかは、あらゆることを知らなかった。  経巻や法具をまったく備えていなければ、僧帽や袈裟までも何ひとつ持っていなかった。佛龕の香も焚かれているかいないかといった様子で

          閲微草堂筆記(190)槐鎮の僧