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夏の空気にヤマユリの香り漂う…乙字ヶ滝(福島県須賀川市・玉川村)

タイトルに使った赤い橋を背景に流れ落ちる滝を見て、「ああ、乙字ヶ滝…」と分かった福島県民(特に中通り)の人は多かったのではないでしょうか。落差こそ6mですが、白く砕けながら川幅いっぱいに流れ落ちる美しい飛瀑が美しい乙字ヶ滝。

さて、前々回の記事で、不思議なおじいさんに導かれ、無事に宇津峰登山を果たした(のか?)わたしは、その勢いのまま、(またしても)「滝が見たい…!」状態となり、須賀川市と玉川村の間にある乙字ヶ滝へと向かったのでした。

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■乙字ヶ滝DATA■
阿武隈川唯一の滝。
水量が豊富な時期の川幅約100mいっぱいに「乙の字」を描くように流れることから、「乙字ヶ滝」と呼ばれる。
水系:阿武隈川
滝幅:約100m
落差:約6m
日本の滝百選。古くは竜崎滝、石川滝とも呼ばれた。

せっかくなんで、今回から滝のデータを入れてみることにしました。いっそ、県内の滝を全部めぐって、「滝マニア」として名を馳せることを目標にしようかな(;^_^

以下は比較的スタンダードなアングルの乙字ヶ滝。川沿いの石段を降りて撮影しました。青空と緑、飛瀑の白に赤い橋が映えてフォトジェニック♪

できるだけ滝のほうに体を寄せて撮影。

乙字ヶ滝周辺では阿武隈川が「Z」もしくは「乙」の字に大きく屈曲して流れている……とありますが、どーでしょうか(;^_^

川の近くまで降りていける石段があり、降りるとこんな光景が広がっています。今回は男の子たちが遊んでいました。

宇津峰山もそうでしたが、乙字ヶ滝周辺でもちょうどヤマユリが見頃を迎え、川沿いに美しい姿を見せていました。宇津峰の山中では、そんなに感じなかったのですが、滝周辺ではユリ独特の芳香を強く感じました。滝が空気を揺らし、香りを振りまいているのかも…?

ヤマユリ越しの滝を数枚。

1本の茎から何本もの花が競い合うように咲いていました。

※この部分は追記です(;^_^
「わたし好みの滝」って?
今回、乙字ヶ滝、達沢不動滝を見て、わたしは「自分好みの滝」に気づいたのでした。どちらの滝も落差よりも滝幅があり、瀑布が「ズドーン!」と落ちる感じではなく、滝幅の広がりが魅力です。
達沢不動滝は乙字ヶ滝よりは落差があるけど、個人的には「瀑布がズドーン!」というより、やさしく癒される流れだなあと感じたのでした。

つまり、私好みの滝とは、滝幅よりも落差があり、

「瀑布がズドーン!」

ってことです。どうやら、私は滝壺に水が叩きつけられ、「われて砕けて裂けて散る」(by源実朝さん)ような激しい滝が好みのようです。

とりあえず、夏休み中に郡山市の「銚子ヶ滝」へ行ってきます!

※以下、乙字ヶ滝周辺の記述に戻ります。

周囲には滝見不動堂(やはり滝といえばお不動様!)のほか、太子像や石仏、松尾芭蕉さんの像などが並び、昔からこの滝が有名であったことがうかがえます。

以下は、高さ2.6mとかなり巨大な聖徳太子像。巨大な太子像はかなりレアらしい。解説板によると「明治40年、地元の建設発起人の小林寅五郎ほか2名、世話人の小林留吉ほか5名の尽力により建立」とのこと。
「太子信仰は、建築(特に木工)業者の守護神として信奉されている」とありました。確か郡山市の開成山大神宮の太子像にも同様のことが書いてあったように記憶しています。

こちらは古峯神社の石碑(でいいのだろうか?)
栃木県鹿沼市に鎮座される古峯神社を祀ったものと思われます。ウィキペディア情報ですが、古峯神社は、特に郡山市湖南町やいわき市などでさかんに信仰されているようです(実際にいわき市の勿来の人たちが寄進した額が掲示されていました)

俳聖・松尾芭蕉も「奥のほそみち」の旅で須賀川を訪れ、商人であり、俳人でもあった相楽等躬(さがらとうきゅう)宅に逗留したあと、乙字ヶ滝を訪れ、一句詠んでいます……ということで、芭蕉さんとお弟子さんの曾良さんの像がありました。

須賀川市ロータリークラブの皆さんが立てた案内板に、芭蕉さんが詠んだ句が記されています。

「五月雨の滝降りうづむ水かさ哉」

芭蕉さんと曾良さんが訪れた日も、雨で水嵩が多かったらしい。芭蕉さんは、ここから守山村を経て郡山へ入ったようです。

下は滝見不動堂。滝の近くには、やっぱりお不動様がいるらしい。このお堂は、数年前の豪雨で阿武隈川が氾濫した際、被害を受けたようです。ご本尊も流されたと聞いたような…定かではありませんが。

案内板によると、「大同3年(808)、弘法大師の開基」とのこと。本尊は寄木造彩色の不動明王。制作年代・作者ともに不詳。祭日は4月8日。江戸時代初期より代々の白河藩主が参詣探勝し、堂宇修復費を寄進していたとのこと。

不動堂近くの解説板によると、滝周辺は江戸時代は白河藩の領地で、「遠く海から遡上した鮭、鱒、鮎が滝を飛び跳ねるうちに梁に落下する魚が多かった。多い日には一日に千尾を越える程でこれの売却代は漁猟者の収入となった」そうです。また、乙字ヶ滝でとれた初漁は白河藩主に献上することとされ、藩の役人が監視のために寝起きする番所も置かれていたらしい……ここは結構な内陸なんですが、鮭が獲れたって本当?

石仏が並んでいたり…

ヤマユリ近くの杉の幹にセミの抜け殻がしがみついていました。ここで脱皮して、パートナーを求め、短い夏を楽しむセミたち。だけど、悲しいかな、滝の爆音でセミの合唱が消されている…! がんばれ、セミくん! 滝に負けるな!

セミの抜け殻がしがみついていた杉の木には、新しい生命の息吹がもう一つ。上部に新芽が…! 夏のうだるような暑さのなか、ひっそりと、だけど確実に生命が育まれています。

桜の名所でもある乙字ヶ滝。近年は、ランタンを灯して夜景を楽しんでもらったり、いろいろイベントも開催しているようです。
隈研吾氏設計であることが判明した、もとのお蕎麦屋さんもリノベーションされるらしい。どんな施設になるんだろう。そちらも気になるところです。


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