『文藝春秋』が創刊96年目でnoteに辿り着くまでに起きたこと。担当者の記録#1
突然ここに「文藝春秋が…」「noteが…」などと書いても何のことだか分からないと思うので、まずは簡単に自分自身のことから書くことにします。
私は文藝春秋という出版社の編集者をやっています。2011年に入社し、『週刊文春』編集部に配属になって4年間記者をやり、2015年からは『文藝春秋』編集部編集の仕事をしてきました。そして2019年7月からは「文藝春秋digital」のプロジェクトマネージャーという立場で仕事をしています。
本日(2019年11月7日)、『文藝春秋』初となるデジタル定期購読サービス「文藝春秋digital<シェアしたくなる教養メディア>」がオープンしました。月額900円で『文藝春秋』の記事が読み放題。配信記事は月に70本以上。紙の雑誌体験を、ウェブ上でも可能にするーーそんなコンセプトのサービスです。
今回のプロジェクトで特筆すべきは、「デジタル定期購読サービスを行う上で利用したのがnoteのシステムだった」ということです。一体どんな経緯で『文藝春秋』はnoteに出会い、デジタル定期購読サービスを行うに至ったのか。ここに担当者として書き残しておきたいと思います。
「わかりやすい」「読みやすい」のが文藝春秋の特徴
そもそも『文藝春秋』という雑誌について、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。
『文藝春秋』はどんな雑誌なのか。(強引に)3つにまとめると次の通りです。
▼作家の菊池寛が創刊し、今年で96年目を迎える
▼芥川賞受賞作が毎年2回、全文掲載される
▼文芸誌というわけではなく、政治・経済・芸能・スポーツ・小説・コラム…とあらゆるジャンルの記事が掲載されている
雑誌の表紙は、ご覧になったことがある人も多いかと思います。堅そう、難しそう、と言われることも多いのですが、決してそんなことはありません。私たち編集部員は「文章のわかりやすさ」「文章の読みやすさ」には、非常に気を使っています。おそらく、どの媒体よりも、その2点にはこだわっている。それが『文藝春秋』という雑誌だと、私は思っています。
そんな『文藝春秋』のコンテンツが、パソコンやスマホにギュッと詰め込まれたもの。それが「文藝春秋digital」だと思っていただけると嬉しいです。
『文藝春秋』とnoteの発想は近い!その理由は
ぜひ一度、上の画像のクリックして、中を覗いてみてください。紙とウェブの違いはあれど、私たちが大切にしている“文藝春秋の価値観”がここにあります。
『文藝春秋』デジタル定期購読サービスのプロジェクトがスタートしたのは今年の7月。本日迎えたオープンまでの約4ヶ月間、私はあらゆる人に会いに行き、たくさんの話を聞きました。その上で、noteのシステムを利用することに決めました。
noteのシステムを使うんです、という話をすると、結構多くの人たちからこう言われました。
「意外だなあ。その組み合わせは思いつかなかったなあ」
「文化の違うベンチャー企業と、老舗メディアが組むのは大変だと思いますよ」
しかし私にとっては、むしろそういう反応が出てくる方が意外でした。なぜならば、文藝春秋がnoteという「まち」の中に入っていくことには、全くと言っていいほど違和感がなかったからです。
紙であろうと、ウェブであろうと、老舗であろうと、ベンチャーであろうと、関係なかった。文藝春秋とnoteは、「活字文化をこの先も守っていきたい」「書き手(クリエイター)が何よりも大切である」という点において、物事の発想が一致していたからです。
それゆえ、サイトがオープンするまでの作業はとてもスムーズに進みました。『文藝春秋』とnoteの間には、「会社の文化が違うことによる摩擦」みたいな出来事が全くと言っていいほどありませんでした。
『文藝春秋』デジタル定期購読プロジェクト始動
では、どのようにして『文藝春秋』はnoteに出会ったのか。経緯は次の通りです。
会社の人事異動を控えた2019年の春頃。私は『文藝春秋』の松井一晃編集長に呼ばれ、こう言われました。
「雑誌の本格的なデジタル化に着手したい。無料ではなくコンテンツの有料課金。それを実現するウェブサイトを作る責任者を村井にお願いしたいのだが、やってみないか?」
私たちの会社には、「文春オンライン」という社の媒体を横断したニュースサイトがあります。『週刊文春』のコンテンツを中心に、『文藝春秋』のコンテンツもそのサイトで配信されています。現在、「文春オンライン」が配信しているのは無料記事のみ。従って、『文藝春秋』は、雑誌の記事を無料記事というかたちに“再編集”し、「文春オンライン」を経由して、ヤフーなど外部サイトに配信していました。
しかし、こうした枠組みは『文藝春秋』にとっては悩ましいものでした。無料版の記事に書き換え、PVが取れるようにタイトルを書き換えた上で文春オンラインから配信すると、それは「『文藝春秋』の記事」ではなく、外から見れば「『文春オンライン』の記事」になってしまう。雑誌のブランドという観点で考えれば、『文藝春秋』という媒体は、インターネット上で存在していないも等しいものでした。
また、『文藝春秋』には、過激な内容のもの記事は少なく、じっくり深く読む記事が多く掲載されています。それゆえ、PVを取りに行く無料記事配信モデルの「文春オンライン」では、コンテンツが必ずしもマッチしていないという現状もありました。
長くて読み応えのある文章。じっくり読んで、考えて、そこから何かを得る。雑誌とはいえ、読書に近い濃密な活字体験。それが『文藝春秋』のコンテンツの持ち味です。PVだけではない、本来の『文藝春秋』のコンテンツの良さを活かしたデジタル展開はできないものか。松井編集長の問題意識はそこにあったのだと思います。だからこそ、「有料課金でやりたい」と考えたのでしょう。コンテンツそのものに課金してもらえる“ウェブ媒体での戦い方”をしないと、未来は拓けない、と。
その一方で、「責任者をやってくれないか」と言われた時、正直にいうと「自分でいいのだろうか?」と思いました。というのも、私は入社以来、一貫して取材の現場にしかいたことがなかったからです。私は編集者ではあるものの、どちらかといえば、マインドは記者に近いくらいだと思っています。現場で取材をして原稿を書くことが楽しいと思っていましたし(今でも取材の現場が一番好きです)、自分がウェブメディアに特化した仕事をすることはあまり考えたこともありませんでした。
でも、なぜかすぐに「やってみたいです」と言っていました。理由は単純で、新しいことをやるのは、面白そうだから。そのあと、「こんなのはどうですか?」「いや、こういうサイトがいいかもしれない」と、思いつくかぎりの『文藝春秋』デジタル化構想を松井編集長に話しました。
そんなこんなで、私は『文藝春秋』デジタル化のプロジェクトを任されることになりました。
まずは「取材」から始めた
とはいえ、「ウェブ」「デジタル」については、知識も知見もありません。言うなればド素人です。パソコンのキーボードを叩きながらひとりでウンウン唸っていても意味がないので、早速、6月中から「取材」を始めました。社内外のデジタル・テック系分野に詳しそうな人に次々アポを取り、色々な話を聞くことにしたのです。
この「取材」は、個人的にものすごく大きな経験になりました。
今までの私は取材をして記事を書いて一丁前に取材記者・編集者のつもりでいました。ところが、デジタル系の話や、自分たちの創作活動を支えているビジネスについてあまりに無知だった。「取材」を通じ、そのことを思い知らされました。いったい自分は今まで会社で何をしてきたんだ、と。
「ウェブサイトを作れ」というお題を前に、私はあまりにも無力でした。
「これではやばい。自分だけで考えていたら絶対に失敗する。誰かすごい人に『文藝春秋』の有料課金サイト全体のコンセプトも含めてデザインしてもらわないといけない」
6月が終わる頃には、このように思い始めるようになっていました。
6月30日、浜松町のタリーズにて
ちょうどその頃、私はデジタル系の話題に詳しい友人、C君と会う約束をしていました。C君は、元々は妻の会社の同期なのですが、ウマが合うのか、今では私の方が仲がいいくらいです。
C君は「俺でよければ壁打ちの相手になるよ〜」と言ってくれていたので、この日は愚痴半分・相談半分くらいの感じで彼と会うことにしました。
しかし、結果的に、あの日のC君とのお茶はとんでもなく重要なものでした。
6月30日、日曜日。15時、浜松町のタリーズ。そこでC君に会う約束をしていなければ、『文藝春秋digital』は全く違う形になっていたかもしれません。
C君は、広告代理店でデジタル系の仕事をやっているビジネスマンです。業界の動向にも詳しい。忙しいはずなのに、わざわざエクセルで私のために細かい資料を作ってきてくれました。「有料サイトの比較」というもので、これが超・優れものでした。現存する有料課金サイトの特性がグラフにされているもので、素人の僕にはまさに教科書のようでした。
基礎的なことから色々と教えてもらいつつ、仕事と関係ないことも色々と喋り、1時間ほどが過ぎた頃でした。C君が作ってくれたエクセルの下の方、「日経電子版」の備考欄に、あるメモがあるのを私は見つけました。
〈深津さんが記事の読みやすさ、ログインのしやすさなどユーザの使いやすさにこだわった改善を提案した〉
実は、私は『文藝春秋』のサイトを作るにあたり、3つのコンセプトをもとに作りたいと心に決めていました。それは、「読みやすいこと」「使いやすこと」「シンプルであること」です。
だから、この一文にピンときた。
「Cがここに書いてる深津さんって人、なんか凄そうだね。」
私がこう言うと、C君は「え、マジですごい人だよ!業界では超有名人!」と言い、その「深津さん」という人の凄さについて、私に説明してくれました。
その日、私は家に帰って、C君からついさっき教えてもらったばかりの「深津さん」について、そして深津さんの会社である「GUILD」について、色々と調べました。深津さんの過去のインタビュー記事、そして手がけたお仕事の数々……。
そして、こう思ったのです。
「この人に会いに行くしかない。いや、もう頼むしかない。自分たちがやりたい事を話して、率直な意見を聞いてみるしかない」
それから日を空けず、私は深津貴之さんにアポを入れることを決意しました。しかし、業界の超有名人である深津さんにどうやって会えばいいんだろうか。自分にはコネもツテもない。アクセスする方法は1つだけ。深津さんの会社であるGUILDの「お問い合わせフォーム」でした。
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ーーちょっと長くなり過ぎたので、一旦ここまでにします。この続きは#2に書きます。
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