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第70話 一目置かれたい圭たん

「親方、聞いてくださいよ。俺だって彼女に尊敬されたいんですよ」

荒木圭一郎は、休憩室でたばこをくわえている職長の浜田龍雄にぼやいた。浜田は、小難しい顔をしたまま、もくもくと煙が上がる様子をじっと見ている。この人は、仕事以外では言葉が少ない。


 
「正月休みは何をしてたんですか?」

「今日は寒いですね」

「国道沿いにオープンしたラーメン屋、うまいらしいですよ」 

荒木が話し掛けても、「別に」「そうか」「だろうな」くらいしか返ってこない。
飲みに行ってもマイペースのまま。大人数でいることは苦ではないようだが、自分から会話を切り開くタイプではないので、荒木のような部下たちが周りを囲むことは少ない。
だが仕事は一級品。その姿は格好いい。

 荒木たちは、新築の建物の屋上やベランダなどの外部空間で、階下への水の侵入から守るための作業を担う防水屋だ。
防水工事といっても、ウレタン塗料を用いる比較的安価な「ウレタン防水」から、塩化ビニールやゴム製のシートを使う「シート防水」、アスファルトによる「アスファルト防水」、ガラス繊維とプラスチックを組み合わせて強度を高めた繊維強化プラスチック(FRP)による「FRP防水」など工法によって、作業方法やコストが異なる。

荒木たちのグループは、費用は高いものの、軽くて強度を確保でき、工期も短いFRP防水を得意としている。
 

今回の現場は、あの災害からの復興事業の一環で進められている複合施設の屋上だ。周囲を一望できる展望フロアになっていて、災害発生時など緊急事態には一時避難などにも利用されるという。このため、FRP防水が採用され、荒木たちの出番となった。 

現場では、ガラスマットを2層にして密着させていくのだが、何段階にもわたる作業が入る。ローラーはけで防水用ポリエステルを下塗りし、防水用のガラスマットを敷いてから防水用ポリエステル樹脂を塗っていく。樹脂内部に気泡が残らないようにローラーで押し出していく「脱泡」と呼ぶ作業も非常に重要だ。

さらに、防水用ポリエステル樹脂を塗る「中塗り工程」を経て、表面を仕上げていく。FRP防水層が硬化してから、床洗浄機や円盤状の研石で研磨するディスクサンダーなどを使ってきれいにしていくのだ。
溶液を調合して塗布する樹脂を準備したり、作業で出てくるごみを片付けたり、最後に丁寧に拭いていったり、途中途中にも細かい作業が入る。 

屋上などの外部空間は、雨が降った際に水が流れていくよう若干の傾斜が付けて整備されており、「水勾配」と呼ばれる。防水工事で仕上げた後も、同じように水勾配を確保しなければ、躯体構築時までの丁寧な仕事を台無しにしてしまう。
 
平滑さも欠かせない。凹凸があれば特定の部分に水がたまりやすくなり、それは時間と共に防水層を局所的に痛めていく。すべての物は劣化する運命にあるが、全体が同じように少しずつ痛むのであれば、当初想定通りの耐久性を維持できる。 

厚さが足りないと所定の防水機能を発揮できないし、逆に必要以上に厚塗りになってしまうと割れやはく離につながる恐れがある。時間が経つにつれて硬化していくため、作業のスピードも求められる。真夏などは特に注意が必要だ。

細やかな作業すべてが防水の品質に直結する。

腕が良い職人が手掛けた防水工事は、スピーディーに進むし、全体を見渡しても非常になめらかだ。仕上がりの美しさは、すなわち品質なのだ。

荒木は10年弱のキャリアがあり、1級防水施工技能士の資格を持っている。一人前の職人だと自負している。

だから、現場でパートナー見学会を開くと知ってテンションが上がった。

現場に張り出された案内には、こう書かれていた。 

「あなたが大切に思う方を現場にお連れするパートナー見学会を開きます。
ご家族でも、お付き合いされている方でも、ご友人でも、どなたでも構いません。

あなたの素晴らしい技術で、この現場は支えられています。
そのことへのささやかな感謝の気持ちです。

一つだけ約束してください。
それは、お互いがすべての方を受け入れるということ。
私は、あなたが連れてきた大事な人を、大切にします。
それは、この現場で働いていただいているあなたが大事だから。

そのことは、あなた以外の皆さんに対しても同じです。
ですから、参加する方の皆さんが、来てくれた皆さん、つまり仲間たちのパートナーを大事にする。
それだけを約束してほしいのです。

建設業には、人を大切にしない時代があったと思っています。
それはおかしいと思う。

そんなおかしいことは変えないと、建設業に未来はありません。
建設業に未来がなければ、現場に未来がありません。

現場に未来がなければ、
社会に未来はありません。

あなたを誇りに思っています。
そして、あなたを支えてくださっているパートナーを、かけがえのない存在だと思っています。
皆さんにとって、楽しいひとときになることを願っています。

いつもありがとうございます。

CJV所長 西野 忠夫」

圭一郎は、この張り出しを見て、心が震えた。

自分のことを分かってくれている人がいる。
そう思えてうれしかった。

パートナー見学会には、もちろん参加する。
呼ぶ相手は付き合っている大石好美だ。

大石は根は優しくてかわいい女の子だが、言われたくないこともずけずけとたたみかけてくるタイプ。
守ってあげたいと思っているものの、頭の回転が向こうの方が早く、いつも言いくるめられてしまう。

下らない冗談を話すことが多いのだが、周りをよく見ていて、荒木が気付いてないような所まで観察している。
正直、人として負けている。
彼氏として、一人前のところを見せつけたい。
腕の良い職人として活躍する姿を目の当たりにすれば、自分への見方も変わるはず。

パートナー見学会に参加する職人たちには宿題が課せられた。
それは自分の仕事を15秒間撮影して、現場の人間がだけが参加できるビジネスチャットに投稿すること。
15秒間というのが良い按配だと思った。それだったら、一番見栄えがする場面を切り取ることができる。

荒木は、ええ格好しいで目立ちたがり屋のくせに、見られていると緊張して伸び伸び動けない。
晴天の日に三脚を持ってきて、自分で仕事姿を撮影した。
回りに人がいないタイミングを狙って、3回目で満足のいく仕事姿を納められた。

再生してみると、なめらかに防水樹脂を塗っていく自分の姿が映っていた。
職人に成り立ての最初のころに比べたら雲泥の差がある。

「圭たん! かっこいい! 見直したよ!」

尊敬の念で見つめる彼女のまなざしが目に浮かぶ。思わずにやつく。

きっとうまくいく!

そう思っていたのに…。

パートナー見学会では、まずは建設中の現場を見て回り、その後は、懇親会形式になった。
200人規模の参加になったため、複合施設の現場事務所では入りきれず、この街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の大会議室が会場となった。

感染症の懸念は残っていたが、重症化のリスクは下がってきている。それぞれのペアの間隔を取りつつ、飲食しながら歓談する形式が採用された。
軽食が全員に配られ、アルコールを含めてフリードリンクで振る舞われた。

それぞれの仕事ぶりが放映されていく。会場前方には動画で映し出された本人とパートナーが座る特等席が設けられた。
特等席は、放映が終わると入れ替わっていく。
そのほかの人は見ていてもいいし、歓談していても良い。自由な空間だった。

見学会には、職長の浜田も参加していた。席はパートナーとの二人がけだが、同じ仕事とのグループ同士は近くには位置されている。

浜田のパートナーは宗田聡という白髪が交じった男性だった。
浜田の私生活はまったく知らなかったので、荒木は正直、戸惑った。

だが、大石は違った。
浜田を指さして、「俺に教えてくれている親方」と伝えると、「なに! 早く言いなよ!」と怒られた。
すぐに近づいて、浜田と宗田に「荒木とお付き合いしている大石です。いつもお世話になっていて、ありがとうございます。よろしくお願いします」と笑顔で頭を下げた。

浜田は「こちらこそ。圭一郎にはいつも助けてもらっています」と返してから、「パートナーの宗田君です」と伝えた。
宗田も「よろしくね!」と応じた。
荒木も慌てて付いていった、大石から腕で小突かれて、「よろしくお願いします」と応じた。

今になって振り返ると、発表会はとてもよく考えられて運営されていた。
下手な人から放映されたのだ。

荒木は終盤だった。スムーズな手さばきに、大石は「結構いいじゃん。圭たん、割とやるじゃん」と誉めてくれた。

「まあな」

荒木は誇らしげだった。 

最後の方は、現場のリーダーたちである職長たちが登場した。
その職種でトップクラスの腕を持ち、なおかつマネジメント能力にも秀でた「登録基幹技能者」として認められたスーパー職長たちだ。

ざわついていた会場が静まりかえる。皆が、プロの腕に見入っていた。 

最後から2番目に登場したのが浜田だった。

荒木はいつも見ているのだが、大画面の映像で見ると改めて、その腕のすごさを思い知らされた。
その手さばきは自分とは全然違った。
防水の樹脂を塗った後の平滑さ、平坦さが全く違う。
荒木よりも、一歩も二歩も、いやまったく違う次元の腕だ。
仕上がった姿を見れば、誰だって歴然とした差が分かる。 

「親方さん、すごい…」

大石からため息のような声が漏れた。

腕の違いが素人でも分かるのか。

荒木は浜田の方に目を向けた。
宗田が目を輝かせて画面を見ていた。
浜田は満面の笑みだった。
いつもの仏頂面とは全く違う。あんな自慢げな顔は、見たことがなかった。
 

最後の映像が終わって、「皆さん、これからは自由にご歓談ください」というアナウンスが流れた。
多くの声が入り交じる賑やかな場に戻った。

大石は、浜田の方に近づいて、「親方! 超かっこいいです。やばいっす」と話し掛けた。

荒木は、「やばいが出た!」と思った。
大石が「やばい」という言葉を口にする時は、相当に興奮している。
 

大石は、「超かっこいい!! 惚れ惚れしました!」と何度も繰り返した。
浜田は、ニコニコしているだけで何も言わない。
隣の宗田が「龍雄さん、すごいでしょ! 惚れ直したわ!」と応えた。
大石が「こんな凄腕の人なんて、なかなかいないですよ。うらやましい!」と言うと、宗田は「そうでしょう!!」と返した。

なんだよ。

荒木は不満だった。

もちろん、浜田は格好いい。それはそうだ。でも、俺だって一生懸命やっている。
それなのに、これでは蚊帳の外だ。
 

席に戻ってきた大石に、思わず「なんだよ格好いいってよ」と不満を漏らした。

「はぁ? なに、圭たん、妬んでるの? ひがんでるの?」

大石は間髪入れずに攻めてくる。

「ちっちゃいなあ、君は。
文句は、もっと腕を上げてから言いなさい」
 

そういうと頭をなでなでされた。
 

「あら、彼氏クンも格好良かったわよ」
宗田がフォローしてくれた。

荒木が「ありがとうございます」と言いかける前に、大石が口を挟んだ。

「全然違うっす。負けてます。
いいんです、圭たんは甘やかすと努力しないから。
親方さんとは天と地くらい違います。
やっぱり親方さん、超格好いいっすね!」

「でしょう!」

浜田は、そんなやり取りを一瞥すらしない。クールなままだ。
でも、左手に酒を持ちながら、右手はちゃっかり手をつないでいる。
そんな二人の姿を素敵に思えた。

負けてなんていられない。
身近に目標にする相手がいるのは幸せなことだ。

でも、正直なところ、こう思う。
 「あー。つまんねえ」

思ったことがすぐ口に出てしまうのが、荒木の悪い癖だ。
机の下から、大石の足が飛んできた。
見事に弁慶の泣き所にヒットする。

「あっ…痛っ」
大石が憎らしい笑顔を見せる。

ああ、むかつく。
絶対に見返してやる。


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