「ほう…　ノビタのヤツ…
　愛する彼女だけ逃がして、自分はヒッチハイカーとの決着をつけに戻って来やがったのか。
あいつめ…　この短時間で本物の男になりやがったな。」
　
　『夕霧橋ゆうぎりばし』と並ならぶ高さの空域に光学迷彩ステルス機能を施ほどこして空中停止飛行ホバリングしながら浮かぶ『黒鉄の翼くろがねのつばさ』の上に４本足でしっかりと立ち、橋の上に立つヒッチハイカーと睨にらみ合ったまま対峙たいじしていた白虎びゃっこが、自分の前方を青白く輝く目を細めて眺ながめながら嬉うれしそうにつぶやいた。

「まったく…　ほんの少しの間に、見違えるほど逞たくましくなりやがって…」

　白虎の見つめる先には、左手に『ヒヒイロカネの剣つるぎ』を握り、右手に自動拳銃の『ベレッタ90-Two』を握って構え立つ青年、伸田のびた伸也のびやの勇いさましい姿があった。白虎の眼には、逞たくましく成長した我が子を見守る親の様に優し気で嬉しそうな光が浮かんでいた。

「ギギギギギ…　小僧こぞうっ！　貴様きさま、俺のシズちゃんと腹の子供をどこへやりやがった？
　それに、この俺と決着を付けに戻もどっただと…？　ギヒヒ…笑わせるなよ。たかが人間の分際ぶんざいで誰にモノを言っている？　生意気なまいきな小僧めが！　　　
　だが、喜ぶがいい。貴様などバラバラの肉片に切り刻んで、やがてシズちゃんから生まれてくる我が子への捧ささげ物にしてくれるわ。貴様は、きっとそのためだけにこの世に生を受けたのだろうからな。」

　ヒッチハイカーは言いたい事を言うと、装甲の様に硬かたい外骨格で覆おおわれた８本の脚を巧たくみに素早く動かし、アーチリブ上で自分の後ろに立つ伸田のびたの方へと身体の向きを変えた。
　だが、彼の頭部から生はえた先端に目玉の付いたカタツムリの様な二本の触角しょっかくは、白虎の乗る『黒鉄の翼』の方を相変わらず捉とらえたままだった。
　当面は伸田のびたの相手をするが、白虎の方へ向ける警戒も決して怠おこたらないという姿勢だろうか。それほどヒッチハイカーは、白虎の存在を恐れているのだった。

　以前の様な肉体損傷部位の迅速じんそくな修復再生は無くなったものの、この時点では既すでに超電磁加速砲レールガンの砲撃によって失われたヒッチハイカーの尻尾しっぽの再生は終了していた。
　そして、その復活したサソリの様な禍々まがまがしい尻尾しっぽの終端部にある尾節から生えている毒針が、レールガンで破壊される前よりも長さも鋭さも増しているのに、対峙する伸田のびたは気が付いた。
　まるで注射器の針を巨大にした様なその毒針は、突くのも斬るのも可能な鋭い切っ先を持った槍やりの穂先ほさきの様に恐ろしい外観を呈していた。

「ヤツの尻尾の先端がさっきとまでは違う…　あれじゃまるで、剣か槍やりの穂先だ…」
　伸田のびたがそうつぶやく合間あいまにも、十数ｍも離れた位置に立つ彼に向けて、その禍々まがまがしいヒッチハイカーの尻尾が容赦なく襲い掛かってきた。
　その槍やりの穂先ほさきにも似た鋭い先端が、伸田のびたの心臓を狙ねらって真っ直すぐに繰くり出されて来たのだ。

「うわっ！」

　咄嗟とっさに心臓を庇かばって身体を伏せると同時に、伸田のびたは繰くり出されて来た尻尾の針に向けて、左手に持った『ヒヒイロカネの剣つるぎ』を一直線に突き出した。

「キンッ！」
　甲高かんだかい金属音と共に、夜目よめにも眩まぶしく火花が飛び散った！
　
　伸田のびたが左手で突き出した『ヒヒイロカネの剣つるぎ』の白く輝く刃やいばが、ヒッチハイカーの鋭く尖とがった尻尾の針を下からすくい上げる形で見事に受け止めたのだ。
　だが、攻撃を受け止めたとは言っても、競せり合うにはパワーで圧倒的に勝まさるヒッチハイカーに分ぶがあり過ぎた。
　押し負けて弾はじき飛ばされた伸田のびたの身体は、凍り付いたアーチリブの鋼鉄の表面を後方へと滑すべっていった。

「くううーっ！」
「ズザザザーッ！　キンッ！」

　滑ってアーチリブの上から飛び出しそうになった伸田のびたは、『ヒヒイロカネの剣つるぎ』の切っ先をアーチリブの表面に突き立てて、なんとか『夕霧橋ゆうぎりばし』の上からの転落をギリギリの所で危機一髪免まぬがれる事が出来た。

それにしても見よ…
　驚く事に『ヒヒイロカネの剣つるぎ』の切っ先は、鋼鉄製のアーチリブの表面を難なんなく貫つらぬき、数cmも突き立っているのだ。
　古いにしえの日本に存在した伝説の超金属『ヒヒイロカネ』で作られた剣の前には、現用の金属では文字通り太刀たち打ち出来ない事がよく分かった。
　手にする者にとって、これほど頼りになる武器はあるまい…伸田のびたは、間一髪で命拾いさせてくれた剣を見つめて、そう思い知ったのだった。

「チッ、生意気なまいきな奴め！　さっさと死ねばいいものを！　それなら、これはどうだ！」
　ヒッチハイカーは舌打ちすると間髪かんぱつ置かずに、今度は先端部を硬質化させて鉄をも切り裂く刃と化した伸縮自在の左腕の触手を、一刀の下もとに伸田のびたの身体を上下に分断しようと、水平方向に薙なぎ払った。

「カキーンッ！」

　ヒッチハイカーの繰り出して来た触手攻撃を見切った伸田のびたは、咄嗟とっさの判断で今度は力で受け止めるのではなく、『ヒヒイロカネの剣つるぎ』の刃に当たった怪物の触手の力に逆らわずに、攻撃と同じ方向に向けて力の流れを変える事なく受け流したのだ。
　これによって、今度バランスを失ったのはヒッチハイカーの方だった。
　彼にしてみれば当然伸田のびたの身体の骨肉を切り裂く心地良い衝撃が伝わって来るべき筈はずであったのに、身を躱かわされた上に同方向へ力を受け流される事によって、さらに勢いを加えられた触手の遠心力でバランスを失ったのだ。

　いくら、驚異的な再生能力や他の生物への変身能力を持った怪物とは言っても、この地上に生ある存在である限りは、重力や遠心力といった自然の法則を無視する訳にはいかないのだ。

　凍り付いたアーチリブの表面を滑ったヒッチハイカーの８本の脚のうち、半分の４本までがアーチリブの上から何もない空間に飛び出した。

「くっ！」
　慌あわてたヒッチハイカーは、残っていた４本の脚でアーチリブの表面に必死にしがみ付いた。
　だが、それだけではバランスを失ったまま滑る巨体の勢いを止める事が出来ないと見て取ったヒッチハイカーは、受け流された左腕の触手の硬い先端部を伸田のびたが『ヒヒイロカネの剣』でやった様に、アーチリブの鋼鉄の表面に錨いかりの様に打ち立てた。やはり鋼鉄をも貫つらぬいた触手のおかげで、なんとかヒッチハイカーの身体は転落を免まぬがれた。

「ふううぅ、危なかったぜ…　どうだ、見たか。貴様に出来る事は当然、俺にだって出来るんだぞ。」

　そう言って伸田のびたの方へ顔を向けたヒッチハイカーは、先ほどまでいた地点に伸田のびたの姿が無いのに驚愕きょうがくした。

「何？　い、いない！　ヤ、ヤツはどこだ！」
　慌あわてて周囲を見回したヒッチハイカーが、自分のすぐ足元にいた伸田のびたの姿に気が付いた時には、すでに遅かった。

「僕はここだあっ！　ていりゃああーっ！」

　裂帛《れっぱく》の気合と共に伸田のびたが振り下ろした『ヒヒイロカネの剣つるぎ』が、アーチリブに錨いかりのように先端を打ち込んでヒッチハイカーの身体を繋つなぎ止めていた左腕の触手をスパッと断たち切った！

「ぐっぎゃああああー！　き、貴様ああー！」

　錨いかり代わりの触手を断ち切られ、再びバランスを失ったヒッチハイカーの巨体に加わる重力と、それを後押しするかの様に猛吹雪が襲い掛かった。一本、また一本とアーチリブの表面にしがみ付いていたヒッチハイカーの足先が引きはがされていく…

「お、落ちるのは…　い、いやだああっ！」
　遂ついに重力に負けたヒッチハイカーの身体は、猛吹雪の中を『夕霧橋』の上から転落した。

　伸田のびたは、荒れ狂う濁流と化した『木流川』の水面へと落ちて行くヒッチハイカーの姿を見届けようと、『夕霧橋』の端はしに移動した。そこで下を見下ろした彼が見たのは、予想外の光景だった。

「そ、そんな！」

「へ、へへへ…　ばーか！　こんな事で俺様が無様ぶざまに落ちると思ったか？」

　ヒッチハイカーは、蜘蛛くもの様な巨大な胴体の尻の先端部にある出糸突起しゅっしとっきから吐はき出した強靭きょうじんな糸で『夕霧橋』から逆さまにぶら下がりながら、下から伸田のびたを見上げて嘲笑あざわらっていたのである。

「見てろ。今からそこへ戻って、貴様をズタズタにしてやるからな！」

　そう叫んだヒッチハイカーが宣言通り、糸をよじ登ろうとした時だった。

「ロシーナ！　PSGランチャー、『炸裂焼夷弾さくれつしょういだん』発射！」
「了解ラジャーッ！」

「ポンッ！」

　『夕霧橋』の路上で皆元 静香みなもと しずかを無事回収した『ロシナンテ』のPSGランチャーの砲身が、鳳 成治おおとり せいじの号令ごうれいと共に火を噴ふいた。
　
「？」

　発射音に気付いたヒッチハイカーが振り向いた時は遅かった。PSGランチャーから発射された『炸裂焼夷弾さくれつしょういだん』が糸を吐き出している怪物の胴体に着弾し炸裂すると、オレンジ色の炎がヒッチハイカーの胴体を包み込んで盛大に燃え上がった。

「ぎゃあああーっ！」

　ヒッチハイカーの驚愕きょうがくと苦痛の絶叫が、吹雪の吹き荒れる周辺の渓谷けいこく一帯に響き渡った。

　だが、『ロシナンテ』のPSGランチャー（Passenger seat助手席 Grenade launcherグレネードランチャー）から発射された『炸裂焼夷弾さくれつしょういだん』に含まれる爆燃性の特殊火薬で燃焼する炎は猛吹雪の中でも消える事無く、胴体はもちろんの事、ヒッチハイカーの尻から『夕霧橋』まで伸びる糸をも伝い登って行く。
　ピアノ線以上に頑丈がんじょうで、『ヒヒイロカネの剣』以外の通常の刃物では切断出来ない強度を誇ほこるヒッチハイカーの糸も、生体組織で作られた物質である以上は、炎に抗あらがう事は出来なかった。
　糸の表面を炎が舐なめる様に伝わっていき、髪の毛が焦こげる様な不快な匂においを発しながら燃え広がっていった。

「グギギギギギーッ！」

　火だるまと化したヒッチハイカーは異様な叫び声を上げながらも、まだあきらめずに蜘蛛の様な八本脚を器用に使って、燃え続ける糸をよじ登ろうとしていた。

「ジッ…ジジッ！　ジジッ…ジジジッ！」
　だが、その頼みの綱とも言える糸を、炎が燃え広がる音と異臭を発しながら焼いていく。

「ジッ…ジジジジッ…　ブチンッ！」

　伸田のびたの立つアーチリブの下面まで後あと少しという所で、炎で表面を焼かれ、体長十数mにも及ぶ巨大なヒッチハイカーの体重に耐え切れなくなった糸が、遂ついに切れた。
　そして、全身をオレンジ色の炎に包まれたままのヒッチハイカーの身体が、『夕霧橋』からゆっくりと落下していく。
　50ｍ近い真下は、数日来の降雪により水量が増し、激しい濁流だくりゅうと化した一級河川かせんの『木流川きながしがわ』だった。

　伸田のびたは、眼下を逆さかさまに落下していくヒッチハイカーの炎に覆おおわれた巨大な腹部に、右手に構えたベレッタの銃口を向けて狙ねらいを定めた。

「さよなら、ヒッチハイカー…」

　伸田のびたは今までの経験から、ヒッチハイカーがこの程度の炎や、『木流川きながしがわ』の濁流に飲のまれた程度で死ぬとは思えなかったのだ。
　やはり、こいつに確実にとどめを刺せるのは鳳 成治おおとり せいじから託たくされた『式神弾しきがみだん』しかない…
　『式神弾』ならばヒッチハイカーの身体を内部から焼いていき、灰になるまで燃やし尽つくすだろう。そして伸田のびたの考えでは、その青白い炎は『木流川』を流れる大量の水を持ってしても消火する事は出来ない気がするのだった。

「あの魔物の身体を焼く青白い清浄せいじょうな炎は、誰にも消す事なんて出来ないはずだ。きっと、ヒッチハイカーの身体を最後の最後まで燃やし尽くすまで…」
　そんな事がなぜ分かるのかと問われても伸田のびたには答えようがなかったが、それが否定しようの無い真実であると、彼は心の中で確信していたのだった。

「だから、ヒッチハイカー…　これで最後だ！」
　伸田のびたは、『木流川』の水面に着水寸前のヒッチハイカーに向けて、右手に構えた『ベレッタ90-Two』の引鉄ひきがねを引いた。

「パーンッ！」

「ブシュッ！」

　伸田のびたが撃ち放った『式神弾』は、ヒッチハイカーの剛毛に覆おおわれた腹部後端部にある糸を吐き出す出糸突起しゅっしとっき近くに、狙ねらい通り着弾した。

「ドッパ－ンッ！」

　『式神弾』の身体への着弾とほぼ同時に、遂ついにヒッチハイカーは派手はでな水しぶきを上げて『木流川』の濁流に落下した。

　巨体だった彼の身体も水嵩みずかさが増え、さらに巨大な存在と化した一級河川である『木流川』から見れば、その姿は哀あわれなほどちっぽけな存在に過ぎなかった。
　何度も浮き沈みを繰り返しながら下流へと流されていくヒッチハイカーの姿を、『夕霧橋』のアーチリブの上に立った伸田のびたは目で追っていた。先ほどまでヒッチハイカーの身体を包み込んで焼いていたオレンジ色の炎は、彼の身体が『木流川』に何度か水没した時点で完全に鎮火ちんかしていた。

　しかし、伸田のびたの予想は正しかった。
　『炸裂焼夷弾さくれつしょういだん』によって身体に燃え広がったオレンジ色の炎は消えても、伸田のびたの撃ったたった一発の９mmパラベラム弾がヒッチハイカーの体内から点火した青白い炎は、『木流川』の膨大ぼうだいな流量の水を持ってしても消せはしなかったのだ。
　不謹慎ふきんしんだが、浮き沈みしながら流れていく青白い炎の灯ともったヒッチハイカーの身体は、見る者に死者の魂を弔とむらって川に流す『精霊流しょうろうながし』を連想させた。

　だが、ヒッチハイカーの完全な死を見届けるまで、自分と静香 しずかが安心する事は出来ないだろうと伸田のびたは心の中で無念に思った…

「これ以上は、もうどうしようもないな…　とにかく、精一杯やったんだから…」
　そう自分に言い訳するようにつぶやいた伸田のびたが、ヒッチハイカーの流れ去る『木流川』の下流に背を向けた時だった。

「バカ野郎！　何、そこでボーッとしてやがる！
　ノビタ！　お前もこいつに乗れ！　ヒッチハイカーを追うぞ！」

　川の濁流と吹き荒れる吹雪が生じさせる音にも負けないくらいの怒鳴り声が、伸田のびたの背中に浴あびせられた。

「！　白虎さん？」」

　忘れようとしても忘れる事など出来そうにない、カミナリの様な怒鳴り声に驚いて振り返った伸田のびたが見たのは、すぐ目の前に浮かんでいる真っ黒で巨大な飛行物体だった。

　それは伸田のびたはハッキリと目にした事は無かったが、先ほどまで光学迷彩ステルス機能を展開し、不可視の状態と化していた『黒鉄の翼くろがねのつばさ』の姿だった。
　もう光学迷彩ステルス状態でいる必要が無くなったので、機能を解除して本来の姿を現したのだった。

　キャノピーを開け放った『黒鉄の翼くろがねのつばさ』の縦たて二列の複座タンデム式座席の操縦席に座っていたのは、伸田のびたが見た事の無い30代前半だと思われる男の姿だった。驚いた事に、この吹雪の吹き荒れる厳冬の山中で、その男は全裸姿で操縦席に座っていたのだ。

「あ、あなたは…？」

　間抜けな顔で聞き返したのも、伸田のびたにとって見知らぬ男なのだから仕方が無い。いや、待て…どこかで見た事がある。すぐに伸田のびたは思い出した。

「そうだ…　さっき白虎さんが人間に姿を変えた時の男の人だ。」
　伸田のびたは少し前、アーチリブの上から姿を消してしまった白虎に変身していた（？）男を思い出した。

「バカ野郎！　やっと分かったか？　俺だよ、オレ！　お前を何度も助けてやった白虎様だろ！」
　少し笑いながら伸田のびたを怒鳴りつける男の声は、間違えようの無い白虎の声だった。

「ま、また…人間の姿に…？」

「バカ！　これが俺のホントの姿なんだ…って、そんな事はどうでもいい！
　つべこべ言ってないで、さっさと後ろに乗れ！」
　いらついて本気で怒り出して来たその声に恐れをなした伸田のびたは、白虎と名乗る男がアーチリブの真下に移動させた『黒鉄の翼』の機体に恐る恐る飛び移った。

　伸田のびたが後部座席に乗り込むとすぐにティルト式のターボプロップエンジンのツインローターが、空中停止飛行ホバリングだった水平角から徐々に角度を変えていき、垂直角に近い状態になると前進飛行を開始した。
　そして、進行方向を『木流川』の下流へと向けた『黒鉄の翼』は、静かだが素早い動きでヒッチハイカーの流れた方向を目指して飛び立った。

　もちろん、伸田のびたは通常の旅客機に乗った事はあっても、このような特殊な機体に乗るのは初めてである。
　男の子なら誰でも一度は憧あこがれたであろう、正義の味方が乗るような戦闘機である。ジェット戦闘機では無い代わりに垂直離着陸が出来るし、完璧なステルス機能まで搭載している。おまけに、とんでもなく強力な砲撃が可能なのだ。
　そんな夢の機体に乗っている伸田のびたではあったが、今は喜んでいる場合では無かった。
　彼は一刻も早く、濁流に流されていったヒッチハイカーの生死を確認し、もし生きていたならとどめを刺さなければならないのだ。ヒッチハイカーの死を確認するまでは、愛する静香 しずかの元へは帰る事は出来ないと自分に誓った伸田のびただった。

「それで…あなたを何とお呼びすればいいんですか？　白虎さんのままで…？」
　伸田のびたは、これだけは確認しておかなければ話しかけるのも難しくなりそうなので、恐る恐るではあったが率直に聞いてみた。
　虎の姿だった白虎の今までの言動から、彼自身がハッキリしない事は自分にとっても嫌いだと言われそうな気がしたのだった。

「そんなの何だっていい…と、言う訳にもいかないよな、お前さんにとっては。俺の人間の姿…と言っても、ほとんどがそっちなんだが…　その時の名前は千寿せんじゅ…『千寿 理せんじゅ おさむ』って言うんだ。
　日本最大の歓楽街、新宿カブキ町でちっぽけな探偵事務所を営いとなんでる、しがない探偵さ。街の連中は俺の事を『風俗探偵ふうぞくたんてい』って呼ぶ。俺もその呼び名は、くすぐったいが嫌いじゃない。
　探偵なんていやあ聞こえはいいが、ホントの所はカブキ町に住んでるヤツらのために働くのが好きな、ただのおせっかい野郎さ。だから俺の事は、何とでもお前さんの好きな様に呼びな、相棒。」

　『黒鉄の翼』を巧たくみに操縦して『木流川』の上を低空で飛行して川を下くだりながら、千寿せんじゅと名乗った男が言った。

「じゃあ、千寿せんじゅさんて呼びます。あなたの白虎の秘密は、僕の口からは絶対に誰にも言いませんから安心して下さい。
　それよりも千寿せんじゅさん、『式神弾』を食らったヒッチハイカーはまだ生きているんでしょうか？」

　自分自身で確認するまでは、その事実が伸田のびたを安心させてくれないのだ。彼は愛する静香 しずかと見た今夜の長い悪夢に、一刻も早く終止符を打ってしまいたいのだった。

「わからん。だが、ヤツの完全な死を確認しなきゃ、お前さんも愛する彼女も、安心して夜を眠れそうにないからな…そうだろ？」

　千寿せんじゅの問いかけに伸田のびたが大きく頷きながら答える。

「ええ、その通りです。僕は彼女とお腹の子を護るために、ヤツの生存という禍根かこんは必ず断っておきたいんです。それに、ヤツの犠牲になって死んでいった大勢の人達のためにも…
　でも、先に流されていったヤツの居場所を簡単に見つけられるんでしょうか？」
　伸田のびたが不安げに千寿せんじゅに聞いた。

「それなら心配ない。お前がヒッチハイカーに撃ち込んだ『式神弾』には超小型のGPS発信機が仕込まれていたんだ。
　鉛製の弾頭部は着弾と同時に潰つぶれちまうが、GPS発信機は頑丈な樹脂製のカプセルに内蔵されてるから大丈夫だ。
　だから、あの弾丸はヤツの身体を内部から滅却めっきゃくしていくと同時に、どこへ逃げようともヤツの居場所をこっちへ通知して来る。
　お前さんが座ってる座席の、手元にある液晶モニターに映し出されたレーダー画面を見てみな。」

　千寿せんじゅに言われた通り、伸田のびたは手元に表示されているレーダー画面に見入った。
　レーダーの中心部が『黒鉄の翼』だとして、その前方に赤い輝点が点滅して表示されている。

「ヒッチハイカーの身体は、この機体の前方を『木流川』の流れに乗って移動中の様ですね。ヤツは今もまだ川を流されてるんだ…　早く追いつかないと。」

「ああ、死んでいようがいまいが、必ずヤツの身体に追いついてやる。」

　そう言った千寿せんじゅは『黒鉄の翼くろがねのつばさ』の速度を、さらに上げた。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「『黒鉄の翼』、行っちゃいましたね…」

　『ロシナンテ』の車内から出て、外で自分の肉眼で伸田のびたとヒッチハイカーの戦闘の様子を眺ながめていた県警のSIT（Special Investigation Team：特殊事件捜査係）所属でAチームリーダーを務める島警部補が、自分と同じく車外にいる鳳 成治おおとり せいじに対して話しかけながら、『ロシナンテ』の車内の様子をそっと気遣づかわし気に窺うかがい見た。

　今、暖房の効きいた『ロシナンテ』の車内には、ヒッチハイカーの巣から伸田のびたによって救出された皆元 静香みなもと しずかが後部座席に毛布にくるまれて一人で座っているのだった。

「ああ、千寿せんじゅと伸田のびた君はヤツの生死を確認に行ったんだろう。」

「伸田のびた君の撃ったベレッタの銃弾…『式神弾』は、ヒッチハイカーに当たりましたよね？」

「ああ、『木流川』にヤツの身体が着水する寸前に間違いなく命中した。」

　銃器に関してはプロ中のプロであり、射撃の腕前も国内の現役警察官中でトップクラスの成績を誇る島には、伸田のびたが撃った『式神弾』のヒッチハイカーへの命中は、無論むろん一目ひとめで分かっていた。
　だが、鳳おおとりの口から肯定こうていの言葉を聞く事で更さらなる安心を得たかったのである。そして、車内で救われた今も震ふるえている静香 しずかにも聞かせてやりたかったのだ。

　島は自分も娘を持つ父親として、娘と同じ年頃の静香 しずかの受けた精神的なダメージが気がかりで仕方が無かったのだ。本来ならすぐに救急班を呼ぶか、急いで『ロシナンテ』を駆かって設備の整った病院へと運ぶべきなのである。
　島は断固として静香 しずかを病院へ連れていく事を主張したのだった。鳳おおとりも島の主張に反対した訳では無かった。
　だが、静香 しずか自身が二人と共に、この場に留とどまる事を強く希望したのだった。彼女は島の懸命な説得にも関わらず、愛する伸田のびたと一緒でなければ、どこへも行かないという自身の強い意志を譲らなかったのだ。
　鳳おおとりはそんな静香 しずかの希望を受け入れて、自分達二人と共に『ロシナンテ』の後部座席に彼女が留まる事を許可したのだった。島としては不承不承ふしょうぶしょうながら、その決定を呑のまざるを得なかったのだ。

「じゃあ、ヒッチハイカーは『式神弾』に込められた陰陽術おんみょうじゅつで消滅するんですね。」

　島が静香 しずかを気にしながら嬉しそうに言った。彼は車内の静香に聞かせるために、わざと必要以上に大声で話しているのだ。

「そのはずだ。ヒッチハイカーは、すでに完全に魔界の存在と化していると考えていい。魔物があの銃弾を喰らったなら、無事に生存し続ける事は出来ない。」

　鳳 成治おおとり せいじも島と同様に、静香に対しても聞かせるように語気を強めて話していた。
　島の説明を聞いた静香の顔にホッとした様な表情が浮かんだ。その表情をガラス越しに見た島は嬉しくなって、彼女に見える様に右拳こぶしを握りしめて突き出しガッツポーズを取った。
　それを見た静香の顔に浮かんでいた微笑が、さらに大きく広がった。

　疲れていても美しい静香の笑顔を見て大喜びをしたのは島だけでなく、鳳おおとりの顔にも微笑が浮かんでいた。その微笑に、とても暖かく優しい気持ちが込められていたのを静香 しずかは見逃さなかった。彼女の気持ちが、救助されてから初めて温かい気持ちに満たされた。

「ノビタさん…　私の元へ、必ず無事で帰ってきて。お願いよ…」
　静香は自分の身体を暖かく包み込んでいる毛布の中で両手を合わせ、愛する伸田のびたの無事を強く祈った。

＊＊＊＊＊＊＊＊　
　

　『木流川』の濁流だくりゅうに浮き沈みを繰り返しながら流されていくヒッチハイカーは、まだ自分の生存をあきらめきれないでいた。
　だが、自分の身体が伸田のびたに腹部に撃ち込まれた『式神弾』により、じわじわと遅い速度ではあったが確実に消滅していきつつあるのを、当の本人であるヒッチハイカー自身が一番よく分かっていたのだ。
　この激しい川の流れでも消える事なく、自分の身を焼き滅ほろぼしつつある青白い清浄せいじょうな炎…　今までの経験から身を以もって分かっていたが、この炎は自分の力では決して消す事が出来ない。それだけではなく、外部の物理的な力である吹雪や大量の水の力をもってしても消せないのだった。つまり、ヒッチハイカーの身体を焼き尽くすまで消える事の無い『浄化じょうかの炎』なのだ。

　伸田のびたによってヒッチハイカーの身体に撃ち込まれた『式神弾』は、鳳 成治おおとり せいじの父でもあり、現代における陰陽師おんみょうじの中で彼かの安倍晴明あべの せいめいに比肩ひけんする唯一無二の存在と言われている稀代きだいの大陰陽術師である『安倍賢生あべの けんせい』が、自ら陰陽術の念を込めて一発ずつ弾頭に五芒星ごぼうせいを刻きざんだ弾丸なのである。
　魔界の存在に対して、これほど効果てきめんな武器が存在するだろうか。ヒッチハイカーの肉体再生修復能力がいかに不死身並みだとしても、その弾丸の効果に抗あらがえる筈はずが無かったのである。
　ヒッチハイカーの再生修復能力が目に見えて衰おとろえて来たのも、伸田のびたによってその身に『式神弾』を数回受けてきたためだったのを、ヒッチハイカーも撃った伸田のびた自身も気付いてはいなかった。
　だが、『式神弾』に込められた稀代の大陰陽術師『安倍賢生あべの けんせい』の陰陽術が、魔物と化したヒッチハイカーの身を、じわじわとだが確実に体内から蝕むしばみつつあったのである。

「くっそおおおーっ！　こ、こんな所で死んでたまるかあああーっ！　俺は家族で南へ行くんだ！　暖かい南の楽園で、シズちゃんと俺の子供達と一緒に暮らすんだあっ！」
　だ、だから頼むっ！　つ、翼だっ！　翼よ、俺の身体に生はえろおおおおーっ！」

　ヒッチハイカーは喉のどから血を吐く様な絶叫を振り絞りながら、必死で自分の身体への更さらなる変化を念じた。

すると…　それは起こった！　
　またしても、ヒッチハイカーの身体に新たな変化が生じて来た。この夜における彼の何度目かの変態であった。
　それは、彼の比較的人間の形態を保っている上半身に生じた。
　彼の背中の両肩甲骨の辺りの皮膚面の色が黒ずんでくると同時に、表面がモコモコと波立つ様に蠢うごめきながら盛り上がって来たのだ。
　そして左右の肩甲骨からそれぞれ持ち上がって来た四つの突起は、一気に長く大きく、そして薄く広がっていった。まるで四枚の翼の様に…いや、それは鳥類の翼ではなく、左右二対ずつ合計４枚の昆虫の翅はねという方が相応ふさわしかった。
　一番近いとするなら、それはトンボの翅に最も近い形状をしていた。その半透明の膜状に広がった翅の表面には、葉脈の様な複雑に入り組んだ筋が走っていた。これは昆虫では翅脈しょうみゃくと呼ばれる。
　翅脈の色が半透明からが黒ずんで来ると、そのトンボ様の４枚の翅は完成したのだろうか…？　
　４枚の翅の肩甲骨から繋がる基部にある筋肉が、まるで細かく震える様に一斉に激しく動き始めた。形状だけでなく、その動きもトンボが飛ぶ時の翅の動きにそっくりだった。

　自分の背中に４枚の翅が完成したのを知ったヒッチハイカーは、今までは死にゆく者の絶望の表情を顔中に表現していたが、ニヤリといやらしい笑いの浮かぶ表情へと見る見るうちに変貌していった。
　何がそれほどヒッチハイカーを笑わせるのか…？　今さら、更さらなる変態を遂げたとて何になると言うのか？
　彼の蜘蛛の様に変化した下半身は『式神弾』に込められた陰陽術によって、そのほとんどが青白い炎で灰と化し、消滅しかかっているのだ。もうすでに、腹部から生えていた脚は８本の全てが根元から千切れて消え失せ、伸田のびたへの毒液攻撃に使用したサソリの様な尻尾もとっくに消失し、下半身で残っているのは剛毛に覆われた巨大な腹部のうち、一割程度の範囲だけだろうか。しかし、その残っている部分ももちろん、水でも消えない青白い炎でじょじょに焼かれていた。
　千切れた８本の脚や尻尾とて、川に漂う物体として無事に存在している訳では無く、最後には完全に燃え尽きてしまっただろう。ヒッチハイカーの身体の全てを焼き尽くすまで、青白い炎は消えないだろう。

　だが、この絶望的な状況でもヒッチハイカーの身体は新しい変態を続けているのだ。何という生命力、何という生への執着心だろうか…

「は、ははははは！　やった！　羽根だ！　遂に俺は、翼を手に入れたぞ！　だが…これが邪魔だ！」

　そう叫んだヒッチハイカーは、すでに全体の九割ほどが消滅しつつある自分の下半身に目を向けた。そして、右手に握った山刀マチェーテと左腕の硬質化した触手の先端の刃やいばで断ち切ろうとでもいうのか、自分自身の臍へその辺あたりを滅多めった切りにし始めた。

「ズバッ！　グシュッ！　ズババッ！」
「ぐ、ぐわあっ！　うぎゃああああーっ！」

　自分で自分自身の身体を断ち切るという凄まじい行為を、凄すさまじい苦痛に絶叫しながらもヒッチハイカーは止やめなかった。
　滅多切りに切り刻まれた腹部からは血まみれの内臓や肉片が四方八方に飛び散り、やがて苦しみながらもヒッチハイカーは自身の臍へそより下に位置する下半身を切断し終えた。
　これで、ようやく彼は『式神弾』による肉体の消滅から逃れられたのだった。

　彼の身体は、背中に新しく生はえた４枚の翅はねが高速で起こす羽ばたきの振動によって浸つかっていた『木流川』の水面から空中へと、ゆっくり浮揚ふようし始めた。

　フラフラと不安定に飛び上がっていくヒッチハイカーの見るも無残な腹部の切断面からは、ズルズルと内臓や切断された筋肉の束たばが垂れ下がっている。しかし、見る見るうちにそれらが融合し始め、空気に触れている部分が乾かわくと共に表面が枯れ木のような色へと変わっていったかと思うと、その部分全体が細長く下へと伸び始めた。

　細長く伸び、見た目が枯れ木の様な表面の硬質化した尾部びぶへと変化したヒッチハイカーの下半身には、数か所の節ふしが出来、その部分が自在に曲がる事でくねくねと動き始めた。
　そして、そのトンボの様な尾部の先端部分が次第しだいに膨ふくらみ始めると、最先端には鋭く尖とがった針の様なモノまで生じて来た。それは恐ろしい事に、彼が失ってしまったサソリの尻尾しっぽにとてもよく似ているのだった。

　だんだんと飛翔に慣れて来たのか、力強い振動で羽ばたかせた細長い半透明の４枚の翅はねで空中停止飛行ホバリングをする上半身と、新しく形成された細長い尾部と化した下半身を合わせたヒッチハイカーのその姿は、まさしく昆虫のトンボを連想させた。

　しかし、上半身に関しては４枚の翅以外には大きな変化は無く、カタツムリの様な二本の触角しょっかくの生はえた頭部や力強く発達した強靭で引き締まった胸板、そして今もなお愛用の山刀マチェーテを握る右腕は人間の形態を残しており、ミミズの束のような外観の触手の左腕も大きな変化は無くそのままだった。

　先ほどまでの蜘蛛に似たヒッチハイカーの姿もおぞましかったが、今度の変態を遂とげた新しい姿もまた、恐ろしい悪夢の中でしかお目にかかれない様な不愉快極きわまりない禍々まがまがしさでは決して引けを取らなかった。
　肉体の再生能力が弱まっているにしては、今回のヒッチハイカーの変態がスムーズに進んだのは、彼の貪欲どんよくで揺ゆるぎない生への執着しゅうちゃくから生じた結果だと言えるだろうか…？

「うおおおおおおーっ！　俺は飛べるぞ！　おれは遂に、翼を手に入れたんだ！　それに、あの忌いまわしい青白い炎からも解放された！
　もうノビタや虎野郎も怖くも何とも無いぜ！　見ろ、俺が手に入れたこの飛翔力とスピードを！　待ってろよ！　今から俺様のリターンマッチだあっ！」

　そう叫んで『木流川』の上流へと身体の向きを変えたヒッチハイカーは、まさにトンボの様に素早い動きと速度で吹雪に逆らいながら飛び去った。驚いた事に彼は誰に教わった訳でも無いのに、もう４枚の翅はねを自在に操あやつって空を飛べるようになっていたのだった。

【次回に続く…】