「マスター、ヒッチハイカーを示す輝点の位置は『黒鉄の翼くろがねのつばさ』の真下です。速度は『木流川きながしがわ』の濁流の流速りゅうそくとほぼ一致。しかし、生体反応は感知されません。
　これは『式神弾しきがみだん』に仕込まれていたマイクロGPS発信装置が川の流れによって流されているだけだと思われます。
　すでにヒッチハイカーの肉体は消滅しょうめつしたものと推測されます。」
　『黒鉄の翼』搭載の完全独立思考型人工知能である『スペードエース』が操縦者であり、この機体の所有者でもある千寿 理せんじゅ おさむに対して美しい女性の声で告げた。

「分かった。おそらく、お前の分析通りなんだろう…　だが…」

そこまで言った千寿せんじゅの言葉が詰まった。

「だが…？　だが、どうしたんです？　千寿せんじゅさん？」

　千寿せんじゅの何となく煮にえ切らない様な態度と、彼が途中で止めた言葉の先が気になった伸田のびたが、前の操縦席に座る千寿せんじゅに向かって問いかけた。

「あ？　ああ…　何となく気になってな。
　説明するのは難しいが、野生の勘かんってやつかな。
　お前は知らないが、俺はいつも不死身って訳じゃない。完全な不死身になれるのは満月を間に挟はさんだ三日間だけだ。その俺が、この勘を頼りに何度も死線を潜くぐり抜けて、命拾いして来たんだ。
　だから俺は、スーパーコンピュータに直結してるAIの『スペードエース』の意見よりも、自分の野生の勘の方を信じる。」
　いつも軽口を叩たたく千寿せんじゅが、自分の弱点に繋つながりかねない話を自分に対して真剣に話すのを、伸田のびたは驚きながら聞いていた。

「で、あなたのその野生の勘が今回は、どう告つげているんですか？」

　そう問いかけた伸田のびただったが、実際の所、彼自身も千寿せんじゅの言う野生の勘という言葉が意味する所のだいたいの予想はついていた。
　なぜなら、伸田のびたもまた千寿せんじゅと同じ様にヒッチハイカーが消滅したとは、完全には信じる事が出来なかったのだ。
　だからと言って、その理由を問われても彼に説明する事は出来なかった。自分の口から千寿せんじゅの言う野生の勘などという漠然ばくぜんとした表現をする事はためらわれたのである。

「いやにしつこく聞いてくるが、お前さんが心で感じてる事と俺の勘は、たぶん同じじゃないのか？」

　ニヤニヤ笑いながら、そう千寿せんじゅが伸田のびたに言った時だった。

「ガガガガガンッ！」
「ビシッ！ビシビシッ！」
「うわっ！」

　伸田のびたが驚きの叫びをあげた。何かが連続して『黒鉄の翼』の機体に激しい勢いでぶつかって来たのだ。それはまるで、マシンガンの連射攻撃を受けたかの様な衝撃だった。

「警告！　当機右後方よりUFO接近！　今のは、そのUFO（unidentified flying object未確認飛行物体）からの攻撃です。
　ただし、機体に当たったのは弾丸の様な金属製の物体ではありません。超圧縮された液体を高圧で発射して来た模様。先だっての戦闘にてヒッチハイカーの使用した猛毒性の溶解液に類似した成分の液体です！」
　『スペードエース』が甲高かんだかい女性の声で警告を発した。

「ノビタ！　やっぱり俺達の危惧きぐは当たったようだ！
　奴やっこさん、性懲しょうこりも無く生きてやがったぜ！　しかも、生意気なまいきに空まで飛びやがる！」
　
　千寿せんじゅはそう叫ぶと、ヒッチハイカー捜索のため『木流川きながしがわ』の濁流だくりゅうと同じ速度まで落としていた『黒鉄の翼』の速度を目一杯上げつつ機体を急角度で上昇させた。

「グンッ！」
「うっ！」
　急激な加速により、機体に進行方向とは逆に向かってG（加速度）の負荷ふかがかかった。慣れていない伸田のびたの身体に対し、シートに対して押し付けられるような向きにGが働く。

「ガガガガガッ！」
「うわあーっ！　また来たっ！
　せ、千寿せんじゅさん！　く、黒鉄の翼くろがねのつばさの機体は、だ、大丈夫なんですかあっ？　と、溶けませんか？」

　凄まじい速度で続けざまに発射してきた超高圧縮された毒液は、機関銃の弾丸と同じくらいの衝撃を機体に与えてきた。しかも、それは鋼鉄製のアーチリブでさえ溶とかしてしまうほどの強力な酸性の液体であった。伸田のびたは悲鳴に近い叫び声で千寿せんじゅに問いかけた。

「安心しろ！　この『黒鉄の翼』のボディーは、軽いが超頑丈がんじょうな特殊チタン合金製だ！『ヒヒイロカネ』製とまではいかないが、地球上でもっとも硬くて酸やアルカリの腐食性ふしょくせいの液体にも強い合金だ！　あれぐらいの攻撃は屁へでもねえ！」

「そ、それはすごいっ！」
　口ではそう言いながら、実際のところ伸田のびたは身体にかかるGのせいで今にも吐はきそうだったのだ。
　それだけは決してやってはならないと、彼は手で強く口を押さえて必死で耐たえた。
　万が一にも嘔吐おうとをすれば、前の座席に座っている千寿せんじゅの頭に自分のゲロの雨が降り注そそぐだろう。
　そんな事をすれば、怒り狂った白虎と化した千寿せんじゅに噛かみ殺されるのは想像に難かたくないからだ。伸田のびたは、そんなみっともない死に方だけは御免ごめんだった。

「野郎！　いつの間に飛べるようになったのか知らねえが、調子に乗りやがって！
　スペードエース！　超電磁加速砲レールガンの電圧チャージだ！　いつでも撃てる様にしておけ！」

「お言葉ですが、マスター！　レールガンではヤツの飛行速度に照準を合わせるのは非常に困難です！
　ヤツの俊敏で変幻自在な飛行の動きは予測不能！　あの体長の生物が当機を遥はるかに上回る運動性能と速度で飛ぶとは信じられません。まるで昆虫のトンボです！」

「上手うまいこと言ったな、スペードエース！　ノビタよ、クソッたれのヒッチハイカーめ、今度は蜘蛛くもからトンボに化けやがったようだぜ！」

　伸田のびたも見た。後方カメラで撮影され、手元の液晶モニターに映し出されたヒッチハイカーの変態した新あらたな姿は千寿せんじゅが言った様に、まさしく巨大なトンボの化け物だった。
　未いまだ人間の形態を保っている上半身の背中には、目にも止まらない凄すさまじいまでの激しい動きで振動し続ける４枚の翅はねが生えていた。その翅で飛行するヒッチハイカーの動きは上下左右、高低差までもが自由自在で思いのままに飛べる様だった。

　まだまだ暗い夜明け前の吹雪の中、ヒッチハイカーを振り切ろうと速度を上げてジグザグに飛行する『黒鉄の翼』の後方に、そのトンボに似た姿の化け物はピッタリと張り付くように追跡して来ているのであった。

「駄目だめだ！　振り切れねえ！」

「ヴイィィィィィーッ！」

　２ｍを超す巨大な４枚全ての翅はねが凄すさまじい速度で振動し続ける音が空気を震わし、吹雪で舞う雪をさらに自分の身体に寄せ付けない動きで吹き飛ばしながら、後方から『黒鉄の翼』に猛然もうぜんと迫った！

　ターボプロップエンジンで回転する二対のティルトローターで飛ぶ『黒鉄の翼』は、『アパッチ』などの攻撃ヘリに比べると機動性では劣おとるものの速度では大きく勝まさっている。
　しかし、トンボに似た４枚の翅で飛翔する新生ヒッチハイカーは、機動性でも速度でも『黒鉄の翼』を大きく上回っているのだった。

「ヴヴイィィィィィーッ！」
　４枚の翅が立てる甲高かんだかい羽音はおとがキャノピー越しに伝わって来る。

　伸田のびたが食い入るように見入っていた手元の液晶画面に、後方監視カメラから映し出されていた巨大なトンボに似たヒッチハイカーの姿が画面上から突然消えた。どうやら、カメラの死角に入ったようだった。

「コン、コンコン…」

　突然、自分の頭上を覆おおうキャノピーが外から叩たたかれる様な音が聞こえたので、上を見上げた伸田のびたは、そこに見た物に驚愕きょうがくした。

「うっ、うわああーっ！」

　伸田のびたの恐怖の叫び声が『黒鉄の翼』のコクピット内に響き渡る。

　その時、上を見上げた伸田のびたは特殊強化樹脂製の透明なキャノピー越しにそれを見たのだった。
　『黒鉄の翼』に追いつき、千寿せんじゅに振り切らせない動きでピタリと機体上部に張り付くようにして飛ぶヒッチハイカーの顔が、コクピットのキャノピーを間に隔へだてただけのわずか十数ｃｍの距離で対峙たいじする自分の顔に向かって不気味にニヤリと笑いかけたのを…

「ちいぃーっ！　クソ野郎、なめるなっ！
　スペードエース！　操縦席側の前方キャノピーを開放しろ！　俺が外へ出る！」

「了解ラジャーッ！　気を付けて下さい、マスター！」

　『スペードエース』の返事と共に、千寿せんじゅの座る前部操縦席の上を覆うキャノピーが前方向へとスライドして開いた。
　複座タンデム型シートの『黒鉄の翼』のキャノピーは中央部で二つに分かれるのだ。前側は前方へとスライドし、後部側は後方へとスライドして開く機構となっている。

　前半分とはいえ、飛行中の機体の密閉されていたキャノピーを開放したのだ。外との気圧の違いからコクピット内の空気が凄すさまじい勢いで流出し、続いて猛吹雪の風が恐ろしい勢いで吹き込んで来た。

「ううっ！」

　その時、激しい吹雪と寒気の流入で呼吸の出来ない伸田のびたが自分の少し下方に位置する前部操縦席に見た驚くべき光景は、吹き込む吹雪の中で青白く淡い光を発しながら変身を始めた千寿せんじゅの獣人化現象ゾアントロピーだった。
　伸田のびたの座る後部座席から千寿せんじゅの全身が見える訳では無かったが、全裸で操縦席に座っていた彼の浅黒く引き締しまった身体中に白い剛毛が生はえていく。

　すでに千寿せんじゅが白虎の正体だという事を承知している伸田のびただったが、彼の変身の過程を目まの当たりにするのは、もちろん初めてだった。

　だが、息苦しい呼吸を堪こらえながら見る、その人知を超えた人間から獣への変身過程に、不思議な事に伸田のびたは恐怖や不愉快な感情を抱く事は全く無かったのだ。
　奇妙だったが、それは伸田のびたにとっては感動する様な美しい光景に思えた。神々こうごうしいと言っても過言では無かった。

　その繰り広げられた神々しいばかりの獣人化現象ゾアントロピーは数秒で終わり、伸田のびたの目の前に再び白虎びゃっこが姿を現した。

「ぐわおおおおおおーっ！」

　今、目の前の操縦席から開いたキャノピーを乗り越えて四本足ですっくと立ち、機体を震わし自分の周辺に吹き荒れる吹雪を全て吹き飛ばしてしまうほどの凄すさまじい野獣の咆哮ほうこうを上げているのは、伸田のびたにとってこれ以上頼もしい存在は無い白虎の姿だった。
　猫族のしなやかで優雅な身のこなしで、操縦席から外の『黒鉄の翼』の機体上部へと白虎がひょいっと飛び出すと共に、開いていた前部操縦席のキャノピーがスライドして元通りに閉じた。
　これで吹雪の侵入が止まり、伸田のびたは普通に呼吸が出来るようになったのだが、千寿せんじゅが変身した白虎は猛吹雪の中を飛行中である『黒鉄の翼』の機体外へと生身のまま出てしまった訳だ。上空で吹きすさぶ猛吹雪を生身で受ける現在の白虎にとっての体感気温が氷点下なのは間違いなかった。

「せ、千寿せんじゅさん！　無茶苦茶だよ！」
　伸田のびたは閉じた強化特殊樹脂製のキャノピーを内側から両こぶしで叩きながら、キャノピー越しに見る白虎に対して大声で怒鳴った。
　白虎の姿に変身した千寿せんじゅなら絶対に大丈夫だと思いたい伸田のびただったが、何と言っても白虎にはヒッチハイカーの様な翅はねも翼つばさも無いのだ。
　この高さから落ちれば、いくら真下が『木流川』だと言っても、白虎の身体は濁流に飲み込まれて一気に流されてしまうだろう。

「ヴィヴィィィィィーッ！」

　ヒッチハイカーの４枚の翅が起こす空間を揺ゆるがすような羽音が、白虎のすぐそばで聞こえた。

「バシュッ！」

　白虎の背中に、ヒッチハイカーの尾部先端の毒針から高圧縮されて発射された弾丸の様な毒液の塊が命中した。

「ジュジュウー…」

　強力な酸性の溶解液でもある毒液の当たった白虎の背中の見事な毛皮が、黒い煙を上げてブスブスと焼け焦こげ始めた。

「はん、見た目は変わったが、てめえの攻撃もワンパターンだな。その攻撃で俺は倒せねえってのは蜘蛛くもの時に実証済みだろうが！」

　そうヒッチハイカーに向かって吠えた白虎だったが、現在の彼が立てる足場と言えば僅わずかに『黒鉄の翼』の機体の上だけという狭い領域だけなのだ。
　飛び道具を持たない彼が、本物のトンボの様に自由自在に飛び回るヒッチハイカーに、いったいどんな反撃が出来ると言うのだろうか…？
　ただの負けず嫌いなだけの強がりなのか？　安全な『黒鉄の翼』の内部から固唾かたずを飲んで白虎を見守るだけしか出来ない伸田のびたは、焦燥感しょうそうかんに身も心も焦こがされるような思いだった。

「ひひひ、飛行機に乗らなけりゃ空も飛べない貴様に何が出来るって言うんだ？　このまま、手も足も出せない貴様をじわじわと嬲なぶり殺しにしてやるよ！」

「ドドドドドドッ！」
　トンボの様に飛び回りながらヒッチハイカーの弓型に折り曲げられた尾部の先端にある毒針から、毒液の塊がマシンガンの様に次々と発射される。
　飛んでくる毒液を躱かわそうにも白虎にとって、それだけ動き回るスペースが『黒鉄の翼』の機体上には存在しないのだ。ほんのわずかなスペースの中でで躱かわし続けるのだが、いくら白虎といえども全てを避よけ切れるはずも無かった。
　白虎の白い毛皮のあちこちから溶解液に焼かれる煙が上がり、肉の焼ける匂においが漂ただよって来た。

　伸田のびたは、自分の頭上や目の前で繰り広げられる白虎とヒッチハイカーの闘いを見ている事しか出来ない自分が腹立たしかった。しかも、現状では空を飛べない白虎が圧倒的に不利で、一方的に嬲なぶられているばかりなのである。
　だが、『黒鉄の翼』と現在のヒッチハイカーでは機動性に遥はるかに開きがあり、逃げる事も攻撃する事もままならないのだ。主武装の超電磁加速砲レールガンも空対空ミサイルも、この近距離ではいくら照準を付けても命中させる事は不可能だろう。いや、その照準を付ける事さえおぼつかない、それほど変幻自在で超スピードを誇ほこる飛翔能力なのだった。

「くっそうっ！」
「ドン！、ドンドンッ！」

　伸田のびたはキャノピーを内側から両こぶしで叩き、ただ叫ぶしか出来無い自分を神に呪のろった。

「スペードエース！　このままじゃ、いくら俺でも手も足も出ねえ！　『妖滅丸ようめつまる』を俺によこせ！」
　ヒッチハイカーから受けた攻撃で身体のあちこちから煙を上げながら、機体上の白虎が叫んだ。

「了解ラジャーッ！　ミスター伸田のびた！　後部座席のあなたの足元にある棒を取って下さい。マスターに渡すのです、急いで！」
　『スペードエース』の声が後部座席の伸田のびたに要請した。

「ぼ、棒だって？」
「カタッ！　カタカタカタッ…」
　伸田のびたが自分の足元を見下ろすと、床の隅すみに転がっていた棒が、奇妙な事にそれ自身が意志を持って彼に見つけてくれと言ってでもいるかの様に震えているのだった。
　伸田のびたは不思議な事象を見慣れてしまったのか、そんな自ら振動する異様な棒を見ても驚かず、少し首をかしげた程度で拾い上げた。

「変な棒があったけど、これの事かい？」
　伸田のびたが足元から拾い上げた棒は、長さが60～70ｃｍで直径は４～５ｃｍといったサイズの一本の棒だった。その材質は木の様でもあり金属の様でもある不思議な手触てざわりだったが、とても軽くて伸田のびたが持つと手にしっくりとなじむ感じがした。
　だが、白虎が『妖滅丸ようめつまる』と呼んだこの棒を手に握った伸田のびたが何よりも感じたのは、微かすかだったが気にせずにはいられない、棒自身の発する禍々まがまがしさの混ざった冷気を発している様な印象だったのだ。それは、あまり気持ちのいい感触とは言えなかった…

「これ…なんだよね？　スペードエース。」
　伸田のびたが足元から拾い上げた不思議な棒を、顔の前に翳かざした。

「ええ、そうです。ミスター伸田のびた。その棒は持ち主の意思のままに伸縮自在の魔槍まそう、『妖滅丸ようめつまる』です。
　マスター千寿せんじゅがミスター青方 龍士郎あおかた りゅうしろうより譲ゆずられた、魔界で作られし槍やりです。その槍は魔界の生き物に対しては絶大な威力を発揮します。
　その『妖滅丸ようめつまる』さえあれば、ヒッチハイカーに対して今の立場を逆転出来る事でしょう。
さあ、早く！　その『妖滅丸ようめつまる』をマスターに！」

　相変わらず美しい女性の声で『スペードエース』が強く伸田のびたに訴えると共に、操縦席側のキャノピーが合わせ目から10ｃｍほどスライドして開いた。すぐに開いた隙間すきまから機体内部の暖気が抜けだしていくと共に、外からは吹雪が吹き込んで来る。

「白虎さん！　後ろです！　この『妖滅丸ようめつまる』を！」

　キャノピーの開いた隙間から『妖滅丸ようめつまる』と呼ばれる棒を差し出しながら伸田のびたが叫んだその時、白虎はちょうど伸田のびたに自分の尻尾しっぽを向ける様な向きで、飛行中のヒッチハイカーと対峙たいじしていた。

「おお！　待ってたぜ！」

　そう叫んだ白虎は猫族のしなやかな身のこなしで振り向きざまに、伸田のびたの手から『妖滅丸ようめつまる』を鋭い牙きばの生はえた強靭きょうじんな顎あごでしっかりと咥くわえて受け取った。

「シャキィーンッ！」

　白虎が咥え持った途端とたん、長さ60ｃｍ強くらいだった棒が瞬時に前後に伸び、一方に鋭い刃やいばの穂先ほさきを備そなえた180ｃｍほどの長さの槍やりへと姿を変えた。
　
　こうして、魔槍まそう『妖滅丸ようめつまる』が伸田のびたの眼前で完成したのだった。

「あ…あれが、魔槍まそう『妖滅丸ようめつまる』…」
　ゴクリと生唾なまつばを飲み込んで、伸田のびたがつぶやいた。

「そうです、ミスター伸田のびた。
　マスターはあまり使いたがりませんが、元々魔界で誕生したあの魔槍まそうは、まさしく神獣である白虎のために作られた様な武器…　別の神獣『青龍せいりゅう』からマスター千寿せんじゅへと託たくされた武具なのです。」
　『スペードエース』が伸田のびたに説明した。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「な、何ですか…？　あの槍は？」

　万能装甲戦闘車『ロシナンテ』の車内で隠密おんみつ追跡型ドローン『ハミングバード』から送られてくる映像を見つめながら、県警のSIT（Special Investigation Team：特殊事件捜査係）所属でAチームリーダーを務つとめる島警部補が、運転席に座り今回のヒッチハイカー捕獲作戦の司令官である鳳 成治おおとり せいじに尋たずねた。
　鳳おおとりは『黒鉄の翼』がヒッチハイカーの生死を確認するために飛び立った後、すぐに『ハミングバード』を飛ばしたのだった。
　今回の戦闘において、トンボ並みの変幻自在の動きと飛翔力を持ったヒッチハイカーの動きに、かろうじてついて行く事が可能なのは、この『ハミングバード』だけだっただろう。
　だが、残念な事に隠密おんみつでの追跡が主要な任務である『ハミングバード』には、ヒッチハイカーを攻撃する様な能力は無かったのだ。

「ああ、あれは魔槍まそう『妖滅丸ようめつまる』と言って千寿せんじゅの武器だ。
　魔界の生き物を滅し、その血を槍の穂先に吸わせれば、滅し去った魔獣を自分の中に封じ込める事が出来る。その封じ込めた魔獣を槍の持ち主が自在に使役しえきする事が出来るようになるという驚異の力を秘めた武具ぶぐ…『妖滅丸ようめつまる』。
　あの『妖滅丸ようめつまる』は過去の日本において、真田幸村さなだ ゆきむらや由井 正雪ゆい しょうせつといった歴史上の名だたる者達の手を渡って来たが、今は最もふさわしい持ち主と言える千寿せんじゅの手に収まったのだ。
　あれは、まさしくヤツのために作られたような槍だ。いや、その真の力は神獣白虎である千寿せんじゅにしか扱いきれないだろう。
　だが、今回のヒッチハイカーとの戦いで『妖滅丸ようめつまる』まで使う事になるとは私も予想しなかった。もちろん、千寿せんじゅ自身もそうだろう。」

　後部座席で島の隣となりに座る皆元 静香みなもと しずかは、恋人である伸田のびたの身が心配でならず、『ハミングバード』が映して配信して来る戦闘のライブ映像を、毛布もうふにくるまれながら食い入るように見つめてはいたが、鳳おおとりの話す不思議な槍の話を静かに聞いていた。

「ノビタさん、無事でいて…」
　隣りでつぶやきながら両手を組み合わせて伸田のびたの無事を必死に祈る静香 しずかの肩を、島は安心させるように優しく力を込めて叩いてやった。

「安心しなさい、きっと彼は無事に帰って来る。」

　島は自分の娘に話しかける様に優しいいたわりの気持ちを込めて、静香に言った。

「ああ、その通りだ。二人とも必ず帰って来る。」

　そう言った鳳おおとりの声もまた島と同じで、いつものクールすぎる彼には珍しいほどの温かくて優しい、いたわりの響きが込められていた。
　静香は感謝の涙を浮かべながら、そんな二人の顔を順に見つめると、笑顔を浮かべて頷うなずいて見せた。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「ヒュン！　ヒュンヒュンヒュンヒュンッ！」

　伸田のびたの目の前では、信じられない光景が繰り広げられていた。虎の姿をした千寿せんじゅが凄まじい勢いで首を振り続け、口に咥えた槍を扇風機の羽根の様に器用に回転させているのだった。

「ドドドドドドッ！」
「ブシュブシュブシュッ！」

　目にも止まらない勢いの槍の回転は、ヒッチハイカーが次々に放つマシンガンの様な毒液の連射攻撃を、見事に全て弾はじき返していた。毒液は一発たりとも白虎の身体に触れる事は無かった。
　そして、不思議な事に魔槍まそう『妖滅丸ようめつまる』は、鋼鉄をも溶かすヒッチハイカーの強酸性の毒液をどれだけ大量にその身に浴あびたところで、溶ける事はまったく無かったのである。

「はあはあはあ…　くっそう…　おかしな槍を取り出したかと思ったらメチャメチャに振り回しやがって！　これじゃキリが無え…」
　さすがのヒッチハイカーも、トンボの姿への変態を行なったすぐ後での凄まじい動きでの変幻自在の飛翔の連続と度重たびかさなる毒液の連射で疲れたのであろうか、息切れがしているようだった。
　やはり魔人ヒッチハイカーの体力も、『式神弾』が身体へ及ぼす影響で、再生能力と同じく目に見えて衰えてきているようだった。
　ついに毒液の連射攻撃が止まった。体力を取り戻すための小休止と言ったところだろうか…？

「へっ！　どうした、ヒッチハイカーさんよ？　もうてめえの攻撃はネタ切れか？
俺はこの通り、まだまだピンピンしてるぜ！」
　ヒッチハイカーの様子を観た白虎は『妖滅丸ようめつまる』の回転を止め、足元に槍を置いて、そう叫んだ。
　白虎の身体は、度重たびかさなるヒッチハイカーの毒液攻撃で身体のあちこちが溶けたり焼け焦こげていたはずだったが、この時には白地に黒い縞模様しまもようの見事な虎の毛並みを完全に取り戻し、毛皮の欠損や焼け焦げなどはどこにも見当たらなかった。
これが、満月が彼の肉体に及ぼす影響なのだろうか…？
　荒い呼吸のヒッチハイカーと違って、白虎は身体中に無尽蔵むじんぞうのエネルギーが満ち溢あふれている様子だった。

「ちっ！　やかましい！　虎の化け物が！」

「へっ！　てめえにだけは化け物扱いされたくねえや！」

　ヒッチハイカーの怒鳴どなり声に白虎が応じる。とても人間とは思えない外見をした者同士の、まるで掛け合い漫才の様な罵ののしり合いだった。
　一見すると喜劇の様な、この人ならざる者同士のやり取りを、伸田のびたはキャノピー越しに笑うに笑えずに真剣に見守っていた。

「てめえが攻撃して来ないってんなら、こっちから行くぜ。
　この魔槍まそう『妖滅丸ようめつまる』の真の力を見せてやる！」
　そう言ったかと思うと、白虎は足元に置いてあった魔槍まそうを再び口に咥え、牙の隙間すきまを通して器用に叫び声を上げた。

「出いでよ！　飛妖ひよう、野衾のぶすまっ！」

　叫ぶと同時に、白虎は口に咥えた魔槍まそうを首を振って数回回転させた。
　すると、どうしたというのだろうか…？　魔槍まそう『妖滅丸ようめつまる』の穂先ほさきから紫色の煙が噴ふき出し、その紫煙しえんと共に突然何かが現れ出たのだ。

「ぎえええええーっ！」

　キャノピー越「ご」しに様子を見守っていた｜伸田のびたは自分の目を疑った。彼の目の前数ｍの空域に奇声を発しながら突然現れたのは…

　その姿を見た伸田のびたは、まず初はじめに幼おさないい頃に絵本で見た『魔法の絨毯じゅうたん』を思い出した。
　茶色いフサフサした毛に覆おおわれた長方形の身体…いや、長方形に見える物とは広げた四本の脚の間に張られた薄い膜まくだった。そして太くてふさふさした長い尾を生やしたその姿は、巨大なムササビだった。
　魔槍まそうから現れた体長数mもある巨大なムササビが、吹雪の中を空中停止飛行ホバリング中の『黒鉄の翼』の機体と並んで飛んでいるのだ。

「む、ムササビ？　いや、モモンガ？　あ、あれも妖怪なのか…？　ひよう…？　のぶすま？」
　伸田のびたは目の前で起こった光景に、パニックを起こしかけていた。
　もちろん彼には、白虎の言った「『妖滅丸ようめつまる』の真の力」の意味する所など分かるはずも無かった。
　だが、自分の目の前に新たな妖怪が幻では無く現実となって現れたのだ。もう何を見ても驚かないつもりだった伸田のびただが、この時ばかりは大きく見開いた目とあんぐりと開いた口をなかなか閉じる事が出来なかった。

「ぎぃやあああーっ！」
　再び奇声きせいを発した妖怪『野衾のぶすま』の口から、ヒッチハイカーに向けて凄まじい勢いでオレンジ色の火炎が放射された。

「うわっ！」
　伸田のびたと同じ様に妖怪『野衾のぶすま』の出現を呆然ぼうぜんと見つめていたヒッチハイカーが、自分に向けたオレンジ色の火炎攻撃を危うく躱かわした。
「また、へんてこりんな化け物が出て来やがった！」

そう怒鳴り声をあげるヒッチハイカーだった。

「ちっ！　やっぱり簡単には、焼きトンボになっちゃくれねえか…
なら、これはどうだ。伸びろ！『妖滅丸ようめつまる』！」
　白虎がそう叫ぶと同時に、口に咥えていた魔槍まそう『妖滅丸ようめつまる』の柄えが、十数ｍ離れた空域に浮かんでいるヒッチハイカー目指して突然伸びていったかと思うと、鋭い穂先がヒッチハイカーを襲う。

「ギューンッ！」
「パリンッ！」
　今度も危あやうく身を躱かわしたかに見えたヒッチハイカーだったが、４枚翅ばねのうち左後方の一枚を『妖滅丸ようめつまる』の穂先に貫つらぬかれてしまった。

「ぎいいぃーっ！　くっそう！」
　悔しそうに叫ぶヒッチハイカーだったが、実際に魔槍まそうに貫かれたのは翅の先端部分だったため、飛翔ひしょうする事に関しては、さしたる影響は無さそうだった。

「見たか！　我が意のままに伸縮自在の如意にょい魔槍まそうの威力！」

「ギュィーンッ！」
　ヒッチハイカーの翅の一枚を貫いた『妖滅丸ようめつまる』が、再び元の長さへと戻っていった。

「さあこれで、てめえとの戦力差は無くなったぜ…　いや、本物の不死身野郎の俺の方に分ぶがあるのかな？
　魔界の怪物になっちまったのは、お前のせいじゃない…気の毒なこった。だが、お前は不可抗力だったとしても新しく得た力を使って人を殺し過ぎた。
　心の底まで魔界の生き物になっちまったヤツを、この世に生かしとく訳にはいかねえんだ。もう気の毒なんて金輪際こんりんざい思わねえから、覚悟するんだな。」

　白虎は多くの人々の命を奪って来た怪物ヒッチハイカーに対して、引導いんどうを渡すように厳格げんかくにハッキリとした口調で言った。

「いよいよ本当に、この長かった夜の戦いに終止符しゅうしふを打つ時が来たんだな…」

　白虎の言葉を聞いた伸田のびたは、そう思った。
　彼の脳裏のうりに、無残に殺された自分の仲間達や、仕事とは言ってもヒッチハイカーとの戦闘で理不尽りふじんにも死ななければならなかったSITの隊員達の顔が浮かんだ。そして、それ以外の被害者達の無念な死に対しても目を瞑つむって冥福めいふくを祈った。

「みんな、これでやっと…終わります…
　でも、終わらせるのは白虎さんじゃない…　この僕なんだ！
スペードエース！　キャノピーを開け！ 僕も出る！」

伸田のびたは最後の一発となった『式神弾』の込められたベレッタを右手に握りしめ、左手で腰のベルトに差し込んだ『ヒヒイロカネの剣つるぎ』の柄つかを握った。

　そして、静かにキャノピーがスライドして開くと、全身を包み込む吹雪の中で伸田のびたは後部座席に立ち上がった。

【次回に続く…】