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「悪いが、ここには臭いベッドは一つしかないんだ。」
「いいわよ、私は一緒でも。」
「まさか、俺がソファで寝るよ。」
「真面目なのね。いつもあなた」

君のほうこそ、とでも僕は言いたげだった。彼女は長い黒髪をひるがえして、意志の強そうな目線を僕に向けた。足元は事務所で見るいつもの尖ったハイヒールではなく、白いスニーカーだ。本気なんだな。

「仕事だからね。中央真実心理教を君がずっと追っているのは知ってる。俺もできる限りの協力はするつもりだ」
「同期のよしみで?」
「奴らを許さない、ってことなんだろ」

彼女は返事をしなかった。窓から目の前の窓のない真っ白いビルを見ている。中央真実心理教は悪名高いカルト宗教組織として、日本全国に被害者がいる。彼女もその一人。

捜査官はそれぞれがいろんな理由で社会悪を追い詰める。それが個人的な怨恨によるものであっても。

奴らに彼女の家族はめちゃくちゃにされてたんだ。捜査官の素性や出自は皆の間で共有されているので、どんなことが彼女とその家族に起こったかは特別個人情報を含む部内限りの報告書という形で詳細にまとめられている。

我々捜査官にプライバシーなどあったものではないが、良くも悪くもお互いの情報を知り合い共有することで信用できるのパートナーになる。それは同時に「絶対に裏切れない」楔が打ち込まれた関係になるということになるのだが。

彼女の研ぎすまれた感性と捜査への執念は同期の間でも抜きん出ていた。それは、つまるところ、このビルに蔓延る絶対悪を追い詰めることに収斂されていくのだ。それがすなわち、両親が自殺し、心中しようとして死にきれず孤児となった彼女の捜査官としての生きる意味だった。

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