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060_Derrick May 「Innovator」

やっぱりだ、こんな時は見えない右目が疼く。こいつは嘘をついている。そんな時はこの右目が教えてくれるのだ。不思議なものだ。本来は物を見るためにあるこの目だが、今の俺にとって別の機能を備えてくれている。便利であると同時に、しかし今、それをこんなに恨んだことはない。

元々健常者だった人が、目や耳が不自由になると、それ以外の嗅覚や人の気配などを感じる知覚の器官などが研ぎ済まれて、すごく敏感になるという話を聞いたことがある。目で見る視覚情報や耳で聞く音などはすごく直接的でわかりやすく我々はそれがあるとそれに頼り切りになってしまって、それ以外の知覚できる部分がおざなりになるらしい。視覚や聴覚で得る情報、それより幾分か精妙な情報などを人間の普段の生活の上で、あまり重要視はされていないということだ。悪い予感がしたり、離れた人の危険などを察知することなどを第6感などと言われるが、結局、必要に応じないと人間はそちらの方にパラメータを振り分けないのだ。

俺は小学校低学年の時、下校している家の帰り道で、壊れた高圧の送電線の事故に巻き込まれた。切れて跳ね回る送電線の右目を直撃し、その時、電流によって右目を失明した。見た目は黒目の部分の色素が薄い以外の変化は全くないので、俺はこれまで15年間、左目だけで生きてきた。両目で見ない分立体視ができないため、目を酷使するスポーツや運転などはなるべく避けてきたが、それ以外特段生活に支障があるわけでない。だが、時折、全く視力をなくしてしまって、もうその本来の役割を無くしてしまったこの右目をどうにも労ってやりたい時がある。この決して物を見ることはできない存在しているこの右目。

そして10代の半ばに差し掛かった頃、いつの間にか、俺のこの右目に不思議なことが起こるようになっった。その前兆がはじめて垣間見えたのが、先生と俺の母親で高校の進路の3者面談を受けた時だった。俺は絵が得意なので、「芸大を受けたい」と言った時に、担任の教師がこう言った。

「芸大か。そうだな、種田には秘めた才能があるから、アーティストになるのもいいかもしれないな」その担任の先生は、あまり成績などで生徒を評価しない理解のある教師だということで、クラスで割と人気のある先生だった。大体いつもそうやって、生徒に寄り添うような鷹揚な発言をする。俺はあまりいい気はしなかった。

その時、俺の右目が疼いた。普段は何も感じない右目が急に、グニューと何かに握り込まれるような圧迫感を感じたのだ。俺は思わず右目に手をあてた。
「どうした?何かあったか?」
担任は不思議そうな目で俺を覗き込んだ。母親も同様に俺の顔を見る。
「いや、大丈夫です。なんでもありません」
その場はなんとなく、片付いたが、家に帰って自分の部屋のベッドで寝転びながら天井を眺めていた。すでに右目の疼きは消えている。だが俺の胸にはずっと違和感が残り続けていた。あの時のあの先生の言葉に、すごく俺の右目が反応していたように感じる。

これを境に、俺はあらゆる場面でこの右目の疼きを覚えていく。クラスメイトの「俺には彼女がいる」という発言。自分の父親の「週末は仕事で出張するので留守にする」という母親との会話。結果として、クラスメイトにはもちろん彼女はいなかったし、父親は週末に不倫相手と温泉旅行に出かけていた。(その後、両親は離婚して、俺は母親の元で暮らすことになる)

俺は確信した。俺の目の前の人間が嘘をつくと、俺の右目が教えてくれる。なんとも便利なものだ。すごく簡単なウソ発見機を手に入れたってこと。なんとも使い勝手がいい。必然的にそのせいで、俺は嘘をつく人を自然に遠ざけるようになった。そりゃそうだ、人間同士、正直に付き合ってくれた方がいい。やはり人間、嘘をつく時にはそれなりの動機がある。なんらかの理由で真実を隠したい意図や、人からよく見られたいとかの見栄や欲望といったものが絡んでいる。

時折、大学のクラスメイトの女子と話していて、右目が疼きっぱなしの時があった。「家がお金持ちなの」「彼氏が優しくて、すごく自分を愛してくれるの」といった言葉をいつも彼女は繰り返していた。たぶん、本人も嘘をついているのだと自覚がないくらい、まさに息を吐くのと同じくらいに嘘をついていたのだろう。しかし不思議なことに、最終的には、彼女が話しているのを聞いても右目が疼かなくなった。それは彼女が「嘘を言わなくなった」のではなく、彼女の中で「嘘を嘘であると認知しなくなった」のではないか、と僕は見ている。

俺には親友と彼女がいた。真司は大学のクラスメイトですぐ隣の席で、すぐに意気投合した。愛菜はバイト先で知り合った専門学生で、人懐こくて笑顔が可愛い。二人とも、本当に率直で正直な人だ。俺が右目が見えないことを知って、心から同情してくれた。そういう奴らだ。右目が見えなくなったことによって人の嘘をわかるようになり、自然と嘘をつく人を遠ざけるようになってからは、なんとなく世の中すべてを歪んだものとしてとらえるようになっていた俺にとって、二人の存在は新鮮だしある種の救いだった。二人とも人を疑うようなことを知らないからだった。

たまに3人で遊ぶ機会があった時もすごく盛り上がって、楽しい時間を過ごす。いわゆる青春の一コマというやつ。
「慎司くんて面白いね」「愛菜ちゃんっていい子だよな」
二人から二人のお互いの印象をそれぞれ聞いた。嘘はない。本心でそう言っているんだろうな。なんとなく、光が見えない自分の右目から見て、二人の存在というものが眩しく見えた。

ある時、3人で車を走らせて海に行こうをいうことになった。俺は目の関係で運転は避けているので、慎司に頼むことになった。「俺、運転好きだから」慎司は快諾する。3人は車の中で他愛のないおしゃべりをし、なぜ慎司に彼女ができないか、という話題になった。

「慎司くんって、実は理想が高いんじゃない」
「ああ、慎司そういうとこあるよな。」
「そんなことねーーって。俺はやっぱ性格第一だからさ。スタイルとか顔とかなんて、もう全然気にしないよ」
「じゃあ、好きな子とかいるのー」
「そうだ、それコイツから聞いたことなかったな」
「好きな子かあ」
3人を乗せた車はカーブに差し掛かる。真司はハンドルを握る手を少し持ち替えつつ、いかにも車の運転に集中しているんだ、というトーンでこうつぶやいた。
「今はいないかなあ」
その時、俺は右目に微妙な違和感を感じた。あれ。これまで慎司の発言には決して感じたことはなかったこの右目の疼き。なんでだろう。俺の直感はすぐに理性に訴える。

過去の記憶がスクリーンのスライドショーのように蘇ってくる。慎二の愛菜を見つめる時の顔。初めて慎司に彼女を紹介した時に、慎二は一瞬呆けたような表情になったことを覚えている。俺の中で高鳴る動悸。まさか、そんな。そのあとは、2人に察せられないように、俺はその後ずっと外の眺めを見ることにした。

3人を乗せた車はやがて、目的地だった夕日が見える海の岬のスポットにやってくる。
「うわー夕日綺麗ー。すごーい」
「ここら辺じゃ、ここが一番だね」
「ああ」
「慎司くん、運転ありがとね!さすが」
「いや、全然」
愛菜は最近ハマっているという首から下げたカメラで、夕日の絶景を必死になって撮りだした。なんとも小動物のように愛くるしい。俺と真司は二人でベンチに座っていた。正直、もうあまり俺は慎二の顔が見れなくなってる。
なぜ、これまで気づかなかったのだろう。

「愛菜ちゃんってホントいい子だよな」慎二がつぶやく。
「ああ、俺にはもったいないくらいだな」
俺は自嘲気味に漏らす。動悸がすごい。口もカラカラに乾いている。
「そんなことないよ。2人お似合いだよ」
慎二の言葉に、俺の右目が疼き出す。
「そうかな、どっちかつーっと、俺より慎司の方が愛菜に合っているのかな、ってたまに思うんだけど」

俺はすでに言葉のブレーキが利かなくなってきている。自分で自分をペシャンコにプレスするようなベルトコンベアーのスイッチを入れていた。
「え」
慎二が俺の顔を怪訝そうに見る。
「いや、なんとなくだけど」
俺は慎二の目を見れない。だめだ、慎二の言葉が怖い。聞きたくない。そして今、この役に立たない俺の右目をくり抜いて、この海の向こうに捨ててやりたい。

「俺は、お前が愛菜ちゃんにふさわしいと思うよ」
少し間を置いて、きちんと俺の目を見て慎二はそう答えた。
「そうか。ごめん、変なこと聞いて」
俺の右目は、今まで感じたことのないような鈍い痛みを持って疼いた。





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