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038_DJ Mitsu the Beats 「New Awaking」

「あ、リラックスしてくれていいよ。全然。あ、コーヒー出すけど、飲む?」
「うん!」
かすみは勢いよく頷く。ひとつにまとめたポニーテールが勢いよく、揺れた。あれだ、ピクミンみたいだな、俺は言いかけてやめた。相手は女子高生、ピクミンを知らない可能性が高いのだ。

俺はスムーズにキッチンに移動して、コーヒメーカのスイッチを入れた。うーむ、とは言っても、いつもと雰囲気が明らかに異なる。あ、こういう時は自分の好きなレコードでもかけとこう。とりあえず、まず自分がリラックスできていれば、それが自然と相手にも伝わるはず。

井上かすみは、俺が3年前から正社員になった学習塾に通う高校2年生で、俺はそこの塾講師兼ねて雑用&事務員。平たく言ってしまえば、いわゆる先生と生徒だ。そしてここは俺(と同棲している真奈美と)の家。先生と生徒であるかすみと俺がいつもいる場所は、もちろんここではない。

ああ、なんで、かすみがなぜ俺の部屋にいるのだろう。
6時か。俺はちらり、置き時計に目をやる。

たぶん同棲している真奈美は、今日は遅番で上がりは9時くらいだろうから、まあ大丈夫だろう。俺は朝早くて、今朝は真奈美と顔を合わせてない。しかし、いきなりこの場にかすみと鉢合わせになるようなことになったら、厄介なこと極まりない。でも真奈美は忘れ物とか用事とかで、バイト中いきなり家に帰ってくる可能性もたまにある。

あーヤバいヤバい、そうなったらもうかなりヤバい。

真奈美の顔を浮かべ波打つ動悸で静かに動揺する俺を尻目に、かすみは俺が出した座布団の上に本当にチョコンと座っている。こうやってみるとリスとか小動物のようだ。部活は女子の軟式テニスをやっているそうで、背はそこまで高くないが、短いスカートから10代の生脚が頼りなさそうに覗いている。

いかんいかん。そもそも、なんでかすみは俺の家に上り込んできたんだ。それを解明しないことには、この娘は帰ってくれない。安心安全に親御さんの待つ家にこの娘を帰してあげるのが、俺の務めなんだ。家ではお父さんが厳しいのだと、かすみがこの前話していた。こんな可愛い娘さんがいるお父さんを、悲しませるわけにはいかない。

経緯は、午後1時まで遡る。土曜日の午前の講習を終えた俺は、残っている事務仕事や次の講習の準備をしていた。かすみは今日は午前しか講習はなかったようで、午後も講習がある他の仲良しグループの数人と、一緒に昼飯を食べている姿が俺の目に入っていた。
今は事務室は俺しかいない。不意にドアが開く音がした。誰か入ってきたのかな?わからないことを質問をしに事務室まで足を運ぶ生徒は多い。俺は、あまり気にせずパソコンから目を離さずにいた。

「せ・ん・せ!」
「う、うわあ、びっくりした」
「へへ」

俺の眼前に、かすみの勢いよく揺れるポニーテールが現れたのだ。ピクミンがいきなり現れたかと思って、もう心臓が止まるかと思った。いきなり、なんなんだ。

「なんだ。か、かすみか。どした?なんかあった?質問か?」
「いやあ、まあ、せんせ、実はー」
「うん」

「うーんと、今日せんせの家行っていい?」
「お、俺の家?へえあ??」

俺は思わず変な声を出してしまった。ちょ、待てよ。ちょっと待ってくれ、まだ頭がついていけていない。ドッキリか?カメラは?

まずはそうだ、前提条件を整理しよう。
俺は先生、かすみは生徒。以上。

「いや、あのな、それはよくないと思うぞ」そう、まず俺もそこは分別のある大人なんだ。

→もう俺も欲求不満だった学生じゃない。てか、同棲している真奈美との関係もある。やっと俺も正社員になれて、お互いに結婚も考え出して、お互いの親御さんにもご挨拶に行こうと話している最中だっていうのに。しかも自分のとこの生徒に手を出すだとか、それは社会人的にもアウトっていうか犯罪
→それはマジでヤバいって…。

俺はスパコン富嶽並みの超高速の演算速度で、この複雑な連立方程式を瞬時に因数分解し、最終的な解として「それはマジでヤバい」という結論を叩き出した。

「なんでー?ダメなの?」
「いや、だから…。そもそも、理由は?なんで俺の家に来るの?」
「それはー、、、後で話す!じゃ、今日の6時ねー」

かすみはニカっーと笑って、ポニーテールをフワフワ上下させながら、事務室を陽炎お銀のように出て行った。

なんなんだ…。家に来るとか言って、そもそも俺の家知らないだろ。いたずらかな…。まったく、大人をからかうとろくなことにならないぞー。最近、俺は妙にかすみに絡まれたり、質問されたりすることが多いけど、まさかこんなことを言ってくるとは思わなかった。
まあ、ああいう年代だと、同級生とか幼く見えたりして、少し上の世代とかに興味を持ったりするもんなんだよなあ、しみじみ。俺ももうすぐ28だし、少しおっさんになった気がする。

数時間後。俺の家。
ピンボーン。ドアスコープを覗くと、かすみ(見えたのはほとんどポニーテール)がドアの前に立っていた。
→あれーーー、本当に来てるー!つか、なんで俺の家知ってんのー!?

そして、現在にいたる。
ダメだ、動揺して思わず家にあげてしまったのは良くない。リラックスのためだとかでレコードを回している場合じゃない。そもそも家にあげちゃダメだったんだ。変な期待を生んでしまう。いや、期待ってなんだ、何を俺は期待してるんだ。ダメだって、かすみのお父さんとかめちゃくちゃ厳しいらしいから、俺殺されちゃうし。ていうか真奈美にも殺されちゃうよ。あと、せっかく俺を正社員に取り立ててくれたこの塾の社長にも殺されちゃうから、もう俺、三重殺の無双三段じゃないか。この先生き残る術は俺にはないのか。

そんな煩悶を繰り返す俺を尻目に、かすみは俺の言ったとおりに、ホントにこの家でリラックスしはじめていて、あろうことか手慣れた自分で家のリモコンを探し出して、勝手にテレビを見始めている。
えーーー、なんで。最近の子はこういうの慣れっこなのーー?どういうこと?やっぱり、場数踏んでたりするの?相当な手練れなの?
俺はもうすっかりパニックになっていた。

不意に携帯にlineの通知。瞬時に、俺はサバンナの野生動物がごとく、己の死期を悟った。これはそう、真奈美だ。
「ごめーん、今、家の前だよー。祐一も待たせちゃってて悪いね」
もうとんでもない量の脂汗が、背中にブワっって出てきて止まらない。最近少し真奈美の手料理で体脂肪率も着々と増えてきたから、そのままシャツ絞ればコクの深い豚骨背脂スープができるくらい、汗が出た。
いや、なにこれ。ちょっと待って。いや、俺、全然真奈美のことなんか待ってないよ。どういうこと、バイトは?まなみちゃん、ねえ、ばいとはいいの?
俺はもうすでに退行の兆候が現れはじめ、思考は停止し知性が3歳児並みになっている。冷静に分析すれば、これだと、あと数分で高橋真奈美はこの家に帰ってくるだろう。

もう、終わりだ…。おしまいだ…。あとはもうこの家から逃げるしかない。あとはもう知ったことか、そうだ、俺は逃げるぞ!そして、なんとか生き延びねば…。

「ごめーん、お待たせ」
ドアが開いて真奈美が買い物袋両手に帰ってきた。ダメだった、ひと足遅かったようだぜ。俺の命もここまでか。結局まだ何もしてないっていうのに。レコードは無常にも部屋の中で回り続けている、これが俺のレクイエムになるのか…。

「もう、お姉ちゃん、遅いよー」

「だから、ゴメンって。かすみ、いつからいたのー?てか、祐一、そんなところで、なに変な顔してんの?」
「へあ、、、お姉ちゃん??」
「うん!」
かすみは勢いよく答える。
「はあ、何言ってんの?かすみは私の妹じゃん」
「え、え、だって、みょ、苗字違うし…」
俺はどこから出しているのかよくわからない声を出していた。
「え、だって、うちの親離婚してるから、かすみはお父さんとこの苗字だって前から言ってるじゃない…。」
そうだ、今度妹と3人で会おうってこの前、真奈美が言ってた。それが今日だったのか。ていうか、真奈美の妹ってかすみのことだったのか…。
「てか、かすみ、まさかあんた祐一に今までなんにも言ってなかったのー!?」「いやー、へへなんか、ちょっと恥ずかしくて」
かすみは頭をかきながら、テヘペロしている。そう言えば、かすみからポニーテール部分をなくして、髪型をショートカットにしてみれば、真奈美そっくりの顔つきだと言うことに今気づいた。
俺はその場でへたりこんで尻餅をついた。とりあえず、どうやら俺はこの場で真奈美に殺されなくて済んだようだ。助かった…。
「まったくー。なんで祐一にちゃんと言ってないのよ。前から同じ塾で生徒だったでしょー?もうとっくに、かすみから話してるもんだと思ってたわ」
「だってー、なんかやっぱ恥ずかしいじゃん。先生だと思ってた人が、急にお兄さんになるなんてさ」
ずっと前から、かすみは真奈美から俺のことを聞かされていたのか。どおりで、最近俺に対するかすみの様子がおかしいと思った。ホントにもう、なんで言ってくれないんだよ。心臓止まるかと思ったぞ。
「今日は今後のお父さん対策も含めて、3人で家でご飯食べよーと思って。だからバイトも切り上げてきたの。3人揃うの今回がはじめてだからさ」
そうか、なぜかこの家の場所をかすみが知ってたり、妙に家の中でリラックスしてるなと思ってたんだが、俺が家にはいないタイミングで、かすみは真奈美に会いにこの家に何度か遊びに来てたってわけか。通りで、なるほど、謎が解けた。
「てか…、ということは、私の妹って認識してない状況で、自分の生徒をこの家にあげたって訳?アンタは」
じとー
これは、殺気…!!
「いや、だからそれはかすみが秘密だっていうから、、ちょっ、かすみ、おまえ、笑ってないで、なんとか言えって」
「大丈夫だよ、せんせーそんな度胸ないから、ねー」
「まあ、そりゃ、そーか、ハハハ」

はあ、生徒から、信頼されてるというのは嬉しいやら、悲しいやら。

かすみと真奈美は笑うと、顔がにかーっとして、よく似ている。確かに姉妹だな、こりゃ、よく似ている。なんで気付かなかったんだろう。そんなこんなで、そのあと、家で3人でわいわいと鍋をつついた。

その日、俺に一人大切な妹ができた。




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