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汝は、如何にして死んだのか?~前書き~

 ~人の死からは、多くの事が見えてくる~ 

 ”人の死”というのは、悲しいものです。大人になるにつれて、私たちは、周りの友人や家族の死を目撃することが多くなり、その悲しみの上に、人生は成り立っていきます。そして、いずれ自分の死を受け入れなければいけない時がやってきます。

 2020年3月29日、多くの日本人は、あるコメディアンの死に直面しました。そして、そのコメディアンの死に対し、涙を流し、哀悼の意を表する日本人が多く存在しました。

 例え、読者の中に、このコメディアンが誰であるのか分からない人がいたとしても、このコメディアンがとても愛されていたことが分からない人はいないでしょう。

 人の死からは、悲しみだけではなく、その人が生前どのような人であったのかが見えてくると思います。

 ~古今東西さまざまな日本人の”死”にせまっていく~

 仰々しい書き出しにはなってしまいましたが、筆者としては、この作品を”仰々しい”ものとするつもりはありません。片手間で、「へえ~」と思えるくらいで、読んでくれれば、ありがたい限りです。

 次に、筆者がこれを書こうと思った理由を伝えたいです。

 筆者は、そもそも日本史が大好きなのですが、高校生の時、日本史の教師に言われた事があります。それは、

「歴史とは、"history"であって、”his story”(人の物語)なんだ。」

ということです。

 聞いた直後は、「ふーん」としか思わなかったのですが、次第にその言葉の意味みたいのが、分かってきました。

 つまり、歴史というのは、一人一人の人の人生が積み重なって出来る、一本の柱のようなものだと認識するようになったのです。だから、どんな人であってもその柱を形作る、”かけがえのない存在=木材”であって、逆にいえば、一人でも欠ければ、その柱はすぐに崩れてしまうのです。

note 前書き

 図示すれば、こんなイメージです。

 よって、歴史とは突き詰めていけば、その時代に生きた人々の”人生”そのものであるというのが、筆者の意見であり、筆者は、一人一人の”人生”を見ていきたかったということです。そして、先に述べたように、”人生”を見るために、死に様というのは、よい資料(史料)となるわけです。

~最後に~

 色々と書いてしまいましたが、歴史とは突き詰めれば、人々の人生であり、その人生を見るために、死に様を見ていこうという事です。

 筆者は、歴史のプロでもなんでもありません。また、なるべく知識がない人にも分かるように記事を書くことを第一としているので、時には、不正確な記述や認識もあると思われます。批判されることも覚悟の上でございます。

 しかし、ぜひとも温かい目で見てくれれば、幸いでございます。片手間で、「へぇ~」と思ってくれればよいのです。

                            Z世代の眼

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