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日々読書‐教育実践に深く測りあえるために

佐藤学『教室と学校の未来へ ‐ 学びのイノベーション』小学館、2023年。

 グループ学習は、「話し合い」にしないことが最も重要であると本書は指摘する。「話し合い」は、すでにわかっていることの交流であって、そこには学びが成立していない。「私はこう思う」「私はこう考える」「これはこだ」という「発表的学び」ではなく、「これがヒントにならないか」「あれとこれは関係しているのではないか」というように、探りを入れながら推論し思考する「探索的会話」が重要であるという。わからない子が「わからない。ねぇ、教えて」と援助要請し、「どこまでわかった?」と尋ねたうえで、わからない生徒とともに考える。「聴き合う関係」「援助要請」「探索的会話」の3つは、グループ学習を有効に機能させるカギとなる要件だと指摘するのである。

 〈現状分析→原因の究明→解決策の提示〉という「指導・助言」ではなく、学校は、内側からしか改革できない。学校や教室に潜在する可能性を洞察し、子どもや教師や校長の沈黙の声を聴いて、彼らの「言葉にならない願い」を探り、それらの「沈黙の声」からヴィジョンを創出して学校全体で共有して、そのヴィジョンを実現する最適解を校長や教師と共に探り出す活動が、学校改革には求められている。

 学校や教室の出来事を因果関係で理解するのではなく、出来事を生み出している「システム」の構造的な関係を理解する必要がある。学校改革には、学校や教室の「観察」による出来事を複合的で構造的な認識にもとづく「共感」と「課題の共有」が求められる。

 そのさい、スーパーヴィジョンの中心的な仕事は、校長と教師を「解放」することにある。校長や教師も「思い込み」や「捕らわれ」によってがんじがらめになっている。たとえば、「静かに教師の話を聞いて板書をノートに写している生徒は学んでいる」というのは、多くの教師が抱いている「思い込み」の一つであり、学校や教師に期待しなくなった子どもたちが学んでいるふりをする「学びの偽装」によって授業を崩壊させていることに気付いていない。あるいは、ほとんどの教師が「いい授業」の追求に「捕らわれ」でおり、その「捕らわれ」によって自らの内側から束縛し、子どもの学びが見なくなっている。教師自身の思い込みや捕らわれの最たるものは、「教師が教えたら生徒は学んでいる」「注意すれば生徒は良くなる」である。それらの思い込みや捕らわれから自由になったとき、教師たちはありのままの子どもを受け入れて授業を創造的にデザインし、教師としての在り方を問い直して、子どもや同僚との新しい関係を築き始めるという。

 かつての授業研究は、「授業の改善」や「授業技術の向上」が目的であり、教材研究→指導案づくり→発問と板書の計画→実地授業→指導案の検証を行う授業協議会という様式であった。授業協議会では、「良かったところ」「悪かったところ」が参観した教師たちから指摘され、授業の「評価」と授業者への「助言」が行われる。学びの共同体の学校改革における授業研究は、「授業の改善」でも「授業技術の向上」でもなく、「一人残らず子どもたちの学びの権利を実現し、学びの質を高めること」と「校内に教師たちが専門家として学び合う同僚性を築くこと」が求められている。授業協議会では、「教師の教え方」ではなく、「子どもの学びの事実」であり、参観者が学んだことを交流する「評価と助言」は行わないのである。ここで言う学びは、対象世界との対話(世界づくり)、他者との対話(仲間づくり)、自己との対話(自分づくり)の3つが統合された対話的実践である。学びは、三つの出会いと対話による「意味と関係の編み直し」なのである。

 なお、学びのイノベーションを推進するうえで、学びの共同体による学校改革は、教室環境の改革が必須要件である。具体的には、授業の最初から最後まで男女混合4人グループの机の配置にして授業と学びを推進するべきとという。小学校1・2年生は、コの字型の机の配置とペア学習であるという。


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