相手が良い人か微妙な人か確かめるには?
「茜色に焼かれる」っていう尾野真千子の映画をザッと見ました。
相当に胸糞映画なので、積極的にオススメはしません。
ただね、その中で尾野真千子が昔の同級生に恋をするわけですが、そいつがまたウソだろ?ってレベルでクソ人間なんですね。
どうしてこんなにクソな人間を信用してしまったのか?
ま、恋をしたら盲目になるとは言いますが、30年、40年生きてきて、相手がどんな人間であるかがわからないケースが多いということは、そもそも人間は相手が善人か悪人か、ヤバいかヤバくないか、そういうものを見抜く力がないのが当たり前なのではないか?
そして、相手のアレコレが微妙ではあるし色々と気にはなるけど縁を切るようなレベルでもないよねってことで勝手に自分を納得させている部分が大きいのではないか?
っていう小さな疑問。
多くの場合ね、人は「みんなと仲良くしなさい・友達を作りなさい・御縁を大事にしなさい」っていうようなことを小さい頃から刷り込まれます。
「変なこと・イヤなことを言う人がいたら別に仲良くしなくていいから!」ってことを桜が咲く頃のピカピカの1年生に言う親はそうはいないでしょう。
ま、明確によろしくないイジメのようなものではない限り、「基本的に他者と仲良くする努力をする」ってのは大事です。
なぜなら人は人と人との関わりの中で生きていく生き物なので、ちょっとでもムカつくことがあったら全部人間関係を切るぜ!ってことをやっていたら平穏には生きていけませんから、集団生活における修行というものは必要です。。
ただね、私が友人知人や人間関係に悩む人の話を聞いてきて思うのは、「本当は付き合いたくはないけど友達だし、仲良くしないのはよくないし、私が我慢すればいいことだし・・・」的な思考に囚われて悩んでいる人が極めて多いということです。
私がそういう人たちに言うのは
「好きじゃなくなった恋人と離れるのは普通のことなんだから、同じ意味で友達と離れるのも普通であるし、そもそもさ、会いたい、話したい、仲良くしたいって積極的に思わない人って友達じゃねえべw」
ってことです。
そういう微妙な人間関係を、「誰かが決めたスタイル」ではなく「自分で選ぶスタイル」で持てるようになればね、だいぶ簡単に自ら微妙な人を遠ざけることは出来ます。
が、普段は全然悪い感じはしなかったんだけど実は・・・っていう、人を見る目を持てない場合どうしたらいいか?って問題があるわけですが、これは痛い目を見て学んでいくか、その人に違和感を持ったあと結果的にその関係はどうなったか?っていうような経験値を重ねていくことが必要で、これには膨大な時間も労力もかかる。
まあね、結婚詐欺師のように明確に相手を騙しに来るような人に当たってしまった場合は不運でしかなく中々避けるのも難しいでしょうが、実はナチュラルにクズである人を見抜くには1つ方法があります。
それは、「あなたが心の底からイヤなこと・気に入らないこと・許せないこと」なんかについて積極的に話し、相手の考えを聞くことです。
例えば、あなたが「躾と称して子供に体罰を加えるのとかマジで絶対にムリ」っていう考えを持つのならば、友人なり恋人なりにその話をするんです。
「体罰ってどう思う?」「自分の大事な趣味の宝物を子供に壊されたらどうする?」とかって。
これも私の経験則によるわけですが、例えば躾としての体罰を肯定している人は、普通に体罰論も肯定します。
「女は勉強なんてしなくていい」「子供は親の言うことを聞くのが当たり前」とかってことを信じている場合も、その考えを普通に言うことが多い。
そもそも、多くの人は自分の信条とか思想、人生観や教育論、家庭観を他者と交わすようなことがほとんどなく、自分が親や学校から受けたものを当たり前に無自覚に肯定したままなので、誰かと議論した上で「お前、それおかしくね?」みたいに言われる経験も少ない。
マジでね、多くの人は自分の人生に関わる超重要な人生観や体験なんかをほとんど他者と話さないで生きています。
話すのは、食べ物の話とかファッションの話とか、食べ物の話とか映画の話とか、食べ物の話とかTikTokの話とか、食べ物の話とか恋バナとかです。
私は真面目な話が好きなので初対面に近い人でもめちゃくちゃ哲学的な話を振ったりしますが、「こんな話したことがない」っていう人は大変多いですからね。
話したことがないんだからさ、相手がどんなことを考えているかわかるわけないよね。
聞かれたことがないんだから、「俺は子供がちょっとでも言うことを聞かなかったら容赦なく引っ叩くよ❤」なんて言うわけがない。
だから、話すことです。
聞くことです。
人間関係は、明るい話、楽しい話、好きなものの話をしていった方が仲が良くなりやすいですが、長期的に穏やかで安らげる関係性・コミュニケーションを作って行く時に本当に必要なことは、自分と相手が「何が嫌いか?何が許せないか?何を譲れないか?」っていうことを互いに了解・理解しておくことです。
例えばね、私は私自身が本当にろくでもない人間であるということを自覚しているので、他者のろくでもない部分にも出来るだけ寛容でありたいと思ってます。
だから、誰かのろくでもない事案に出会っても、ムカつくことはムカつくけどその1回だけで関係を切るようなことはしない。基本的に。友達だと思っている人ならば。
ただね、嘘をついたり、誤魔化したり、非を認めないようなやつはダメですね。
「ろくでもないことをした」ことではなくて、それを認めず謝ることが出来ないって点に置いてムリ。
1回は伝えますよ。
「俺は不愉快に思っているから」ってことを。
で、伝えても改善されない人とはね、別にそこまでして付き合いたいと思わないし、俺がその相手にこの先の未来で持つ不愉快な気持ちとそれを改善して欲しいと思う期待感、でもそれが裏切られるコストや時間を考えると、人生が無駄なので離れます。
過ちをおかすのはしょうがないけれど、そこに対しての自覚と反省がないってことは、その人はまた同じことを繰り返す可能性が極めて高いわけで、そんな精神衛生上よろしくない爆弾を抱えている人と別に付き合いたくない。
悲しいですよ。
仲が良かった人と離れるのは。
悲しいけれど、だからといってこの先もその人の不愉快なことを許容して生きていく気はない。
血の繋がった親や子なら別だけど、俺はもう避けられる不愉快は徹底的に避けて生きていきたいのだ。
というわけで、人物を見抜く力を養うのは大事であると同時に、人物を確認していく力も大事であると思う次第です。
全員にやることはないけどさ、「この人とはずっと仲良くしていきたい」って思う数人には、色んなことを聞いて話す作業をしても損はないと思いますよ。
そもそも、そんな真面目な話を真面目にしてくれない相手と仲良くしたいか?w
取り返しがつかない問題が起きる前に、取り返しがつかない問題になりそうなことを確認しておくことです。
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