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輪るピングドラムの結末の美しさについて評価する



※輪るピングドラムのネタバレを含みます






ピンドラ劇場版(前編)を見てから数日。
この機会に、アニメの結末について色々考えていたのですが、今さらながらめちゃくちゃ綺麗なラストになってることに気付いたので、それについて軽くまとめます。

前述のとおり、ネタバレ含みます。
というより、ネタバレしかしません。



・最終回全体を通しての評価


視聴者を振り落とす気しかないのか?という超展開。
全話通して真剣に視聴したとしても、一周目に全てを理解するのは非常に難しいです。

というか、何周しても完全にピンドラを理解するとか絶対無理だと思います。
実際、未だに私も理解できている気がしません。
大抵の人には「言いたいことはなんとなくわかるが意味わからんアニメ」と評価されがちかと思います。
それは正当な評価だと、私も同意出来ます。

けれど、幾原邦彦監督の作品は、例え意味がわからなくても言いたいことはめちゃくちゃわかりやすい特徴があります。
故に、私を含め多くのファンがいるし、監督の「言いたいこと」に心惹かれる人がものすごく多い。

それから、演出が憎い。例えばサブタイの出てくるタイミングとか。愛してるのダイレクトアタック、えぐいですね。狂います。

そこに加えてピンドラ最終回の場合、登場人物の行き着くラストが、めちゃくちゃ綺麗な落ち着き方になってます。
さっき気付きました。映画見てなかったら多分ここまで考えてなかった。ありがとうクラファン。
この件について、つらつらとまとめていきます。


①あの事件は高倉に始まり高倉に終わる


高倉剣山がリーダーとなり、引き起こされたあの事件。
眞利先生の差し金によって、16年前の事件の続きが冠葉へ引き継がれてしまいます。

事件については結局苹果ちゃんが「運命の乗り換えの呪文」を唱えたことで食い止められるわけですが、ここで本来なら、苹果ちゃんは乗り換えの代償で蠍の炎に焼かれて消えてしまうはずでした。
しかし、その代償は高倉剣山の実の息子である高倉晶馬が肩代わりすることで、苹果ちゃんは燃えることなく生還することとなります。

つまり、呪文を唱えたのは苹果ちゃんなのですが、実質的に運命の乗り換えを行ったのは晶馬ということになるのです。

(厳密には眞利先生ですが)高倉剣山から始まった罪を、高倉の血を引く者が食い止める。
なんていうか、あまりに綺麗な因果だから、気付いた時は鳥肌が立っちゃいました。しんどい。


②高倉冠葉による、陽毬の救済


最終回、陽毬の命を直接的に救ったのは、おそらく冠葉です。
でも、冠葉って元々、前半のラストで陽毬が2度目の死を迎えそうになった時は、陽毬を助けることは出来なかったんですよ。

冠葉は13話にて、死にかける陽毬の為に命を差し出そうとするんですけど、何の成果も得られないんです。
「どうして俺じゃダメなんだ」という悲痛な台詞が、劇場版でも印象的でした。

結構ピングドラムって、自己犠牲を肯定或いは推奨しているように解釈されると思うんですけど、ここで冠葉がしようとしたことも完全に自己犠牲なんですよね。
にもかかわらず、この時の冠葉は自己犠牲では陽毬を救えなかったし、時間切れによって、眞利という黒兎の呪いを呼び込んでしまうことになった。
自己犠牲による死を選択することが正解であれば、本来こうはならないはずなんです。

じゃあ、13話と最終回の冠葉って何が違うの?って話なんですけど、13話及び最終回ギリギリまで、冠葉ってずっと自分一人で背負おうとしてるんですよ。
でも、陽毬や晶馬が「罪も罰も皆で分け合うこと」を選択。
それによって冠葉は救われます。そして、高倉家はようやく「ピングドラム」を手に入れる。

愛を正式な形で受け取れなかった、或いは失くしてしまった弱い子どもたちは、孤独で罪と罰を受け入れちゃダメなんです。
皆で分け合って生きていかないといけない。それが彼らの成すべき生存戦略。

つまり、13話の行動は失敗だったけど、最後の最後でピングドラムの正解を見つけ出し、陽毬の救済に初めて成功したということになるんです。

"かつて救えなかった命を救う"
すごい対比になっとる……と映画見てようやく気付きました。冠葉はちゃんと報われてるんですね……。


③姉が成し遂げられなかった呪文の詠唱の成功


これは苹果ちゃんです。
桃果が16年前に失敗した運命の乗り換えを完成させたのは、妹である苹果ちゃんでした。

16年前、呪文を半分までしか唱えられず、あの事件を防ぐことが出来なかった桃果。
眞利先生の策略により、最終回にてその続きが行われようとしたわけですが、ここで桃果では成し遂げられなかった「事件を完全に防ぐこと」を、苹果ちゃんはちゃっかり成し遂げちゃうんですよね。

姉の意志を妹が継ぐ。
妹、東京を救う。
めちゃくちゃ綺麗な構図だと思いませんか?

最も、苹果ちゃんには桃果の意志なんかどうでもよかったはずです。
大切なのは、陽毬を救うというただそれだけ。

であっても、結果的にこの結末に繋がるというのはやっぱり美しいし、華麗な伏線回収のようで見ていて気持ちいい。眩しい。
着地の仕方が優勝過ぎる。本当に。


終わりに


私が考え付いたのは、以上の三点でした。
他にもあるかもしれませんが、これだけでも結末があんまり綺麗な流れになっていて、爽快で、物語として美しすぎる。

ただ、輪るピングドラムが自己犠牲を肯定する物語ではないとすれば、結果的に多くの視聴者にそのように解釈されているのは失敗だったのではとも思うし、それはこの作品の未熟な点だとも考えられます。
それでも、この美しさは疑いようがないし、それもまた評価に値するはずです。
何より私はずっとこの作品が大好きです。本当に魅力的だと思う。

劇場版にて、この美しいラストをどのように再構築するのか。
それを私は早く見たいし、とても待ち遠しい。

監督の作ったものは大体好きなので、多分また愛してしまうと思うし、信じています。
勿論、どんな結末であっても、或いは何も変わらなくても、私は多分一生輪るピングドラムか大好きなんだろうと思っています。

後編がすっごく楽しみです。

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