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【映画】「キッズ・リターン」を語る

「キッズ・リターン」という映画は1996年に公開された北野武監督の作品だ。
初めてみたのは10年以上も前。まだ実家にいた頃、何気なくリビングにいると、父と兄がDVDでこの映画を見ていた。

自分は特に意識せずに一緒に見始めた。
「途中で飽きたら自分の部屋にでも戻ろう」とでも思っていた。
しかし、あっという間に引き込まれ最後まで見てしまった。

そして、ラストシーンで受けた衝撃。
あれ以来、自分にとって忘れられない衝撃の映画となった。最近また改めて見る機会があったので、感じていることを思いのままに書き残しておこうと思う。

あらすじ

落ちこぼれの高校生マサルシンジは、高校が受験ムードになっても悪戯やカツアゲなどをして勝手気ままに過ごしていた。ある日、カツアゲの仕返しに連れて来られたボクサーに一発で悶絶したマサルは、自分もボクシングを始め舎弟のシンジを誘うが、皮肉にもボクサーとしての才能があったのはシンジであった。

ボクシングの才能がないと悟ったマサルはボクシングをやめ、以前にラーメン屋で出会ったヤクザの組長のもとで極道の世界に入り、2人は別々の道を歩むことになる。高校を卒業しプロボクサーとなったシンジは快進撃を続け、マサルは極道の世界で成り上がっていく。
時を経て、それぞれの世界で挫折を味わった2人は再会する…

Wikipedeaより

10代特有の根拠なき全能感

10代の若さ。
それはエネルギーに満ち溢れている。
しかし、それゆえの悩みもある。持て余したエネルギーを上手く消化できず、どこに向ければいいのか分からない。どこか空回りしている感覚に陥ることもある。

さらに、勉強で落ちこぼれ、学校という枠に上手く順応できなければ、
教師から冷酷な視線を容赦なく浴びせられる。これは本当に辛い。

でも、唯一救いとも言えるのが、根拠のない自信だけはあるということだ。
これは10代特有のものではないか。なんとなくビッグになってやる的な。
若さゆえの自信、全能感。
無知だからこそ、世間を知らないからこそ持ち合わせている大人にはない良い部分ではないか。

怖いもの知らずで何にでも挑戦できるというのは強みだ。

(この映画に出てくるシンジが、個人的にはめちゃくちゃ良い味出しているなって思います。こういうヤツ学校にいるんだよ。本当に。
何か成し遂げたわけでもないのに、自信だけは一丁前に持ってるヤツ。。でもそれがいい。)

突きつけられる圧倒的な現実

しかし、その一丁前の自信は脆くも打ち砕かれる。
圧倒的な現実を突きつけられるのだ。

上には上がいるということを知るし、とんとん拍子で成り上がれるほど、
大人の社会はそんなに甘くないのだ。

こういう挫折を経験をし、現実を知る。
これが「子ども」から「大人」になるということなのか。

自分の思い通りにいかないこと、挫折、絶望、世の中の不条理。

全てを全身で受け止め、
圧倒的な現実を自分の中で消化していかなければならない。

時に腐りかけるときもある。
道を踏み外しそうになることもある。
それでも人生は続いていく。

挫折という絶望の中のかすかな光

そして、ラストシーン。

シンジはボクシング、マサルは極道の世界で成り上がると誓うも、挫折を味わう。
2人は再開し高校へと戻り、授業中の校庭に誰もいない中、
二人乗りの自転車を当てもなく漕いでいく。

そしてラストの会話がこれだ。

シンジ「マーちゃん、俺たち終わっちゃったのかなあ。」
マサル「バカやろー、まだ始まっちゃいねえよ。」

2人は笑い合い、エンディングを迎える。

何度このシーンに勇気づけられたことか。自分にとって、初めて見た時に完全に心を持っていかれた衝撃的なラストだった。

この主人公のようではないけれど、
自分も圧倒的現実に直面し、心を打ち砕かれ、絶望を味わった、そんな経験がある。

でもそれで終わりじゃないんだ、
これからなんだよ。ってことを教えてくれる。

人生は死ぬまで続いていく。
だから、生きている限り、命がある限り、何度だってやり直せる。
失敗してもまた立ち上がればいい。

挫折という残酷な現実の中に、かすかな希望の光は必ずある。


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